阿武隈 twitter版

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    超微風でストームを揚げた

    12月27日 日曜 晴れ 北東の風 風力4
    1200、「阿武隈」上船。機関室のビルジをチェックすると、前回下船時より増えていた。量は5リットルほど。少なくない。漏水箇所は前回同様、冷却水ポンプ軸ハウジングの水抜き孔だ。ゴムシートで作った導水路の場所が悪かったようだ。
    風は北東でほどよい、と思ったら強風波浪注意報が発令されているという。これは意外。確かに艤装中に風を切る音が港を覆っていた。
    1240、出港。北東の風のおかげで海面はフラット。セイルはジブと1ポイントリーフメインの組み合わせを選ぶ。1250、帆走開始。本船航路の北側を西に向かう。風がどんどん落ちてきた。メインセイルのリーフを解除する。さらに風が落ちる。東に向かってクローズホールドにとっても進まない。
    おっ、これは先週「Barbarian」のメンバーから聞いた「超微風におけるストームジブの効果」を試すチャンスじゃないか。クローズホールドで走りながらヘッドセイルをストームジブに変える。その効果は……、うーん、特に目立って「スルスルスルー」と加速する感じはなかったが、それでも行き足は維持できた。しかし、対水的には前進しているはずなのにGPSの示す針路は西に後進している。潮に流されているらしい。1430、帆走をあきらめてエンジンを始動する。機帆走でMMFに1530、帰港する。
    「阿武隈」で初めてストームジブを揚げた。超微風で海面がフラットな状態でもハンクス仕様のヘッドセイルを交換するのに難儀した。ストームジブに交換する状況というのは、海況がかなり厳しいときになる。練習を重ねておくべき。
    解装し、ビルジ受けの導水路の位置を調整して、1630、下船。ハーバーマスターに車でバス停まで送っていただく。おかげで坂道を登らずに済みました。ありがとうございます。2009年はきょうが最後です。いろいろとお世話になりました。2010年もよろしくお願いします、と暮れの挨拶をするべきところを忘れてしまった。

    機関室にビルジあり

    12月20日 日曜 快晴 南西の風15メートル(剱埼灯台観測値)

    1030、三崎口到着。バスで見た三浦半島西海域は白波多数。1100、MMF到着。管理棟で「Barbarian」のメンバーと肩ふり。ストームジブの効果を質問すると、きょうの風でもストームジブをあげれば安定して鼻唄歌いながら走れるとのこと。でも、揚げるまでが大変だから、一人で出ないほうがいいとクギを刺される。

    超微風のときは、大きなヘッドセイルの代わりにストームジブをあげると、するするするー、と走り出すという。ちょっとでも風を感じたら、すぐにジェネカーかジェノアにチェンジするのが肝要。これは面白い話だ。今度試してみよう。

    1130、「阿武隈」上船。機関室を見るとビルジがたまっている。きれいな海水だ。グランドパッキンから漏水か?しかし、シャフト部分の床面は完全に乾いていて塩の跡すらない。ビルジを汲み上げて、エンジンを回す。冷却水ポンプの回転軸カバーに空いた水抜き孔から漏水しているのを発見した。1GMでよく聞くトラブルだ。この解決はポンプ軸のシールドを交換すればいいという。そのシールドを交換するには以前なめてしまったボルトを外さなければならない。おおぉ、困った。

    とりあえず、ペットボトルとゴムシートを組み合わせてビルジ受けを作成した。エンジンを回してテストする。エンジンを高速運転させると漏水が止まる。エンジンを低速回転にすると漏水が始まり、エンジンを止めたあともしばらく続く。急造のビルジ受けはエンジンの振動を吸収して壊れることなくビルジを貯めてくれた。当面は、これでしのぐか。

    エンジンにけりがついたところで、先週忘れてしまった両色灯に取りかかる。以前、テスターで配線の導通を調べたら問題なかった。腐食したコードのせいだと思っていたのに原因が分からなくなった。きょうは、ソケットの端子部分をやすりで削ってみた。地金の色が出てきたところで電球を取り付けると点灯した。結局接触不良だった。ずいぶんと遠回りをしてしまったなあ。

    天気は快晴だが風が冷たく、そして強い。キャビンを閉め、ストーブを焚いて昼寝。しかし、ストーブのガスが切れてしまった。きょうはここまで。1630、下船。最後に機関室をのぞいたら、またビルジが溜まっていた。げげ、どこから漏れているんだろう。エンジン本体か船体か。原因つかめず。次に持ち越し。

    エンジン整備はこのへんで

    12月13日 日曜 曇り 北東の風

    1230、「阿武隈」上船。いい風が吹いているけど、エンジン整備の続きをする。エンジンジングが固着して外れなくなったカバープレートをあきらめて、土曜日にYBMのコアタイムで「奇跡的」に調達できたカバープレートに交換する(通常ならば在庫として置いておくようなパーツでないとのこと。何であるのか分からないとは、コアタイムスタッフの言葉)。

    エンジンジングの交換でオルタネータを外したので、Vベルトも交換する。ベルトのテンションを調整、といっても、最も張った状態でオルタネータを固定する。ボルトの詰め付けは裏側(船尾側)で行うこと。

     続いてオイル交換。ああ、ポンプの排出側チューブがないっ。ペットボトルを抱えてポンプ本体に密着させる。ポンプで古いオイルを吸い出して新しいオイルを500ミリリットルずついれる。おおおっっと。オイルフィルタを交換するんだったー。入れたオイルを吸い出す。さーて、オイルフィルタを外すかな。のあー、パイプレンチで外れないぃぃ。当然ながら手回しもダメ。ええぃ、もういい。オイルを注入。ギアボックスのオイルも交換する。ギアボックスはエンジンを載せ換えてから初めて交換したんじゃないかな。

    エンジン整備に3週間かかったが、結局のところ、できたのはバッテリーターミナルの交換と、エンジンジングの交換、エンジンオイルとギアボックスオイルの交換、Vベルトの交換にとどまった。

    1630、下船。来週は海に出たいな。いかーん、両色灯直すの忘れていた。

    エンジン整備は続く

    12月6日 日曜 快晴 南西の風弱く

    1200、「阿武隈」上船。先週、原因が判明したバッテリーターミナルを新品に交換する。エンジン始動に問題なし。南西の風が緩やかに吹いていて、出港したくなったが、これからセイルをセットして帆走するには冬の夕暮れは早い。エンジン整備を続ける。

    Vベルトとエンジンジングを取り替えるため、オルタネータを外す。先週、KAZIシープラザで、30インチタイプのVベルトを調達できた。KAZI シープラザでは29、30、31インチの3タイプを用意している。どれもヤンマーの純正品とのこと。その新しいVベルトと外したVベルトを比較したら、長さも太さも変わらない。ただ、古いVベルトは耐久性が衰えているかもしれないので、ここは交換しておこう。

    エンジンジングのカバープレートを固定するボルトをゆるめ、外す前に、ジングを固定しているナットもゆるめておく。カバープレートを外してジング固定のナットを外す。ジングは2分の1程度まで溶けていた。ペンチでつまむとグズグズと崩れる。

    ジングをカバープレートから外そうとしたら、固着して動かない。ハンマーで叩いても、カバープレートの表裏を逆にしてエンジンに固定してペンチで回してもダメ。これは困った。カバープレートごと交換か。KAZIシー プラザに持ち込んで相談してみよう。あ、ついでにオートパイロットの修理もお願いしよう。くわー、来週もメンテナンスかー。

    このあと、燃料フィルタエレメントを交換しようとしたが、こちらもエレメントカバーが外れず断念した。

    結局、あとはインペラを取り替えて、この日の作業は終了。1630、下船。夕焼けがきれいだった。

    エンジン復活

    11月29日 日曜 曇り 北東の風10米(剱埼灯台観測値)

    土曜日にKAZIシープラザで、エンジンパーツを調達してMMFに発送してもらう。午後の買い物だったが、日曜着で発送してもらえた。

    日曜日は1130にMMF到着。ハーバーマスターから荷物を受けとる。1200、「阿武隈」上船。

    テスターでバッテリー電圧とエンジン各部配線の導通をチェックする。電圧も導通も問題なし。セルモーターがきゅるんと回って沈黙するのは先週と同じ。バッテリーと配線に問題ということは、セルモーターがダメになったか。

    テスターがあるので、両色灯の導通も確認する。電球よし。電球ソケット側端子導通なし。接続端子で繋がっている配線をはずす。バッテリーから船体を通ってパルピット下まで来ている配線の導通はよし。パルピットから両色灯につながる配線も導通よし。あれ。ここから両色灯までの配線に問題があると思っていたのに違うようだ。原因はなんだ。

    ここまできたところで、「Yeehaw!」を訪ねて、メンバーが購入したBlackBerry Bold をGPSプロッターとして使う方法を探る。私のX02HTはWindowsMobile対応の航海ソフト「Pathaway」を使っているが、BlackBerryはどうなんだろう。ユーザーが多いのでオンラインでGPSプロッターソフトが(航海用でないにしろ)入手できるはず。

    「Yeehaw!」のメンバーに電機のエキスパートがいる。その方に「阿武隈」の症状を診断していただく。症状を伝えると、やはりバッテリーに問題があるのではとの診断。Yeehaw!からバッテリーを持ちこんで端子にケーブルを直付けしたところ、エンジンが起動した。しかし「阿武隈」のバッテリーも電圧に問題ない。そこでターミナル金具をはずして、ケーブルを直付けすると、なんとエンジンが始動した。「Yeehaw!」のメンバーによると、バッテリーターミナルの金具が汚れて、十分な電流が流れなかったためではないかとのこと。

    1600、もう暗くなってきた。船内は暗くて作業が続けられない。1630、下船する。続きは来週、といきたいが、大阪に抑留される予感。

    またエンジン始動せず

    11月21日 土曜 快晴 北東の風2メートル(剱埼灯台観測値)

    この週末は、土曜日の午前中にいい風が吹くという。その風で帆走すべく金曜日は(比較的)早く寝た。おかげで、(個人的には)奇跡的に6時ごろ目を覚ます、が、二度寝した。なんてこったい。

    0830出発、1100過ぎにMMF到着。風がほとんどない。あああ、間に合わなかった。管理棟でハーバーマスターと中村造船所の兄さん、「SnowLight」船長と雑談。

    先日乗り上げたキールの件で相談。デッドスローでヌルリと暗岩に乗り上げた状況を説明する。ソレイユルボンでキール付け根の状態を正しく調べるには、厚く積層されたFRPをかなりはがさないといけないらしい。そのため費用がかなりかかる。現状ではすぐに用意できない。

    とりあえず、船内から見てキールボルト周辺に漏水、ヒビなどの異常がないので、年が明けてから上架して外観を目視でチェックすることにする。

    どうせ上架するならばと、動作しないスルハルバルブの件も相談。ヘッドの2カ所、ギャレー、エンジン冷却水の修理見積もりを作成してもらうことに。用意できる予算に応じて修理する箇所を決める。

    1200、ようやく上船。北東の風が上がってきた。艤装して出港の準備。ヘッドセイルはジェノアを選ぶ。艤装が終わってエンジンをかけようとしたら、セルモーターがきゅるん、と回っただけで動かなくなった。アラームは鳴るので、バッテリーは生きている。デコンプにしても状況は変わらず。そのうち、アラームもならなくなってしまった。

    バッテリーの供給電力が弱くて回せないのか、エンジン内部に問題があって回らないのか。テスターを忘れてきてしまい、電気系統の把握ができない。エンジンは、デコンプにして手でVベルトを引くと特に問題なく回る。バッテリーとセルモーターを繋いでいる太いコードが問題か? 

    次回はエンジンの整備に時間をかけよう。エンジンジングとVベルト、インペラ、エンジンオイルも交換すること。テスターと電池も忘れずに。エンジンオイルとVベルトを調達しておくこと。Vベルトサイズは29インチでよし。時間があれば、購入したままにしている水深計も取り付けたい。

    1630、下船。中村造船所の弟さんが見積書を持ってきてくれた。ありがとうございます。よく検討させていただきます。連休中、船に泊まる船長たちへ挨拶をしてMMFをあとにする。

    大西が吹いて港で過ごす

    11月15日 日曜 晴れ 南西の風18メートル(剱埼灯台観測値)

    0930自宅出発。「Princess Bay II」の船長がTwitterで昨晩から随時配信していたMMFのLWR(Local Weather Report)によると、南西の風がかなり強いらしい。ほかにも、三浦半島西岸で予定されていたレースが中止になっているようだ。これは出港できないか。

    三崎口からバスにのって引橋辺りから西の海を見ると白波がいたるところで跳ねている。セイリングクルーザーは1隻もいない。1130、MMF到着。ハーバーマスターと雑談。剱埼灯台観測値は15メートルを超えた。きょうは港ですごそう。

    「阿武隈」に上船して 昼寝 に励む。2時間ほど駄眠を堪能してから、ブームバングのブロックを交換する。

    これまでは、マスト側ブロックに用意されたクサビ状の切れ目にシートを挟み込んで固定するタイプだったが、これていったん固定するとリリースできなくなったり、意図しないときにリリースされたりとなにかと不便だった。ここを、大分前に交換してから予備として残していた古いカム付メインシートブロックに交換した。

    ついに点かなくなった両色灯をチェックする。いかん、テスターを忘れた。目視でできるところまでやろう。電球よし。コードを覆っていたビニールテープをはがして配線をチェック。おっと断線だ。しかし、被服をはいで芯線を出すが黒ずんでいる。こりゃだめか。繋ぎ合わせても両色灯は点灯しなかった。テスターで調べていないので確実なところは言えないが、コードは交換したほうがいいかもしれない。

    1500、キャビンで茶を飲んで「ぼへっ」と過ごす。本を読むつもりだったが、風の音に聞き入ってしまう。

    1700、明日は船検という「Donie」の船長を残して下船。風は強かったが気持ちのいい1日だったな。

    予想以上に風が残った

    11月8日 日曜 晴れ 北東の風 風力3から4

    1000自宅出発。予想では午前まではいい風が吹いて、昼過ぎからぱたりと止んでしまうはずだ。ぐあー。もっと早く出るはずだったのに。

    1145、MMF到着。管理棟でPB保険の保険証を受け取る。ううぅ、もう風が弱い。風車ものったりと回っている。出るかでないか。「船底を磨くだけでも出たほうがいいよ」というハーバーマスターのアドバイスで出港を決意。1215阿武隈上船。ヘッドセイルはジェノアを選択。振り返れば、出港するのは1カ月ぶりだ。

    1300、出港。港を出ると風がそよそよと背後から吹いてくる。ええぃ、向きを変えずにそのままメインセイルを上げてしまえ。あ、上がった。ついでにヘッドセイルも上げてしまえ。あ、上がった。弱い風を左舷開きのクオーターリーで受けて、のったりと進む。定置網のブイを交わして東京湾に向かう。風はアビームになって船足が伸びる。来る途中で買った握り飯をペットボトルの茶で流し込む。

    剣埼灯台を交わすと北東の風が上がってきた。ジブシートがクククッときしみ、阿武隈がぐぐんと傾いて船体をかき分ける波の音が大きくなった。3ノットだった速度が4ノットに、そして、5ノットまで上がる。予想に反して快適な帆走となった。

    Twitterで航海記録を入力する。X02HTでPockeTwitQuickPostを起動し、風向風力、針路対地速度、天候をテキストで入力、GPSデータを添付して投稿する。撮影画像も添付したいが、X02HTの防水パックの背面が透明でないので不可能。投稿したツィートを見ればそのときの位置をGoogleMapで確認できるので、陸で待つ家族も安心できるかなと。ただ、やっぱり入力にある程度の時間がかかる。慣れていないせいかもしれないが、定型文を入れる機能がPockeTwitにあればなあ。

    1430、本船航路と交差する前に反転。右舷開きのアビームで風を受ける。風はさらに募り、6ノットに達する。海面はフラットで実に快適。すでに高度を下げた太陽の光を受けて左舷の海面はきらきらと輝いている。仰ぐと巻き雲が空高くたなびいている。

    セイルが橙色に染まる時分にMMF前に達する。もう少し帆走したい気持ちもあるが、帰港準備にはいる。ヘッドセイルを降ろしてメインセイルだけで帆走しながらフェンダーと係留索をセットする。エンジンをかけてメインセイルを降ろして1600、帰港。解装して1700下船。偶然にもSnowLightの船長と駐車場で会う。またまた、憧れのジムニーで駅まで送っていただいた。いつもいつも、本当にありがとうございます。


    この日の帆走を3分程度の動画に編集してみた。Windows XP標準のツールとフリーウェアソフトだけで、これぐらいのことはできるんだなあ

    YBMでVベルトを探して月に驚く

    11月3日 祝日 晴れ

    磯子で陸の用事を済ませる。予定外の空き時間ができたので近場のYBMに行く。

    品薄と言われているVHFの在庫を児島とコアタイムで確認する。どちらも在庫あり。児島ではメンバー割引が使えない。コアタイムでは10%引きというがYBMメンバー限定なのか確認するのを忘れた。

    「阿武隈」で予備がない1GMのVベルトをコアタイムで探す。「阿武隈」のVベルト型番はREMF−1305でこれは30インチサイズ。ところがパーツリストでは29インチサイズ、「もしくは」31インチサイズが指定されている。29インチにするか31インチにするかは「実船で確認して決めること」とされている。

    いやー、知らなかった。オルタネータの位置はアジャストできるけど、念のため、調整余地がどれだけあるか確認してから調達することにする。

    コアタイムを出たら、海面から丸い月が「ぬ」と出ていた。のあー、でっかい。



    YBMで撮影したH.264動画をMovie Makerで編集。16:9の画像が4:3で出力されて月が楕円になっちゃった。XPのMovie Makerが対応しないのはやむを得ないとして、Xacti付属の編集ソフトがクリップした動画を最大640×480ドットで出力するというのはちょっとちょっと

    南西の暴風でキャビンに籠る

    11月1日 日曜 晴れ 南西の風18メートル(剱埼灯台観測値)

    1130に自宅出発。非常識的に遅い時間だけど、船に行かないよりマシ。船でお茶を一杯飲むだけでも、次の週の精神状態はすこぶるよろしい。

    1330MMF到着。ハーバーマスターと雑談。学生時代は漕艇のコックスで国体に出場したそうだ。知らなかったー。

    帰宅する船長たちを「なにっ、これから?」と驚かせつつ、1400「阿武隈」上船。両色灯の配線を直したいが、この風では甲板作業ができない。なにをするわけでもなく、来る途中で買ってきたおにぎりを食べながらキャビンでごろごろと過ごす。風がマストを切る悲鳴で港が満たされる。先々週に漂流するテンダーを桟橋に固定したロープを回収する。

    1700、下船。連休中は船に泊まるという「OFF」の船長を残してMMFを去る。ブームバンクのブロックを交換したり差し板をペンキで塗ったりと、やっておきたいことは多々あるが、3日は陸の用事で「阿武隈」に来ない。


    キャビンでバッハを聴く。ギターにアレンジした無伴奏チェロ組曲と港を吹き渡る風の音が交差する(DMX-CA9で撮影したHD動画をYoutubeにテストアップロード)

    阿武隈twitter版をテスト運用

    twitterを仕事で使う必要に迫られて、練習用のアカウントを取得しました。

    こちら=>http://twitter.com/sail_abukuma

    そんでもって、練習で帆船「阿武隈」課業記録にも掲載できるようにブログパーツを組み込んでみました。いつまで続くかは未定。あまり考えずにひょいひょい入力できるので、素の自分が出てしまいそうで心配なり。

    すでに、twitter版で投稿しているように、使いやすいクライアントソフトと一緒に携帯電話で利用すれば、便利な航海日誌作成ツールになるのでは、と考えています。
    また、多くのプレジャーボードスキッパーで海象情報や港湾情報をリアルタイムで発信して、情報を共有できれば、かなり有益な情報になるのではないかと期待もしています。

    豪雨強風なのに船検

    10月26日 月曜 雨 北の風10メートル(剱埼灯台観測値)

    夜半過ぎから風が上がってきた。空気を切り裂く音がしてしばらくすると唸るような音とともに風が「阿武隈」をぐわんと揺さぶる。

    0500に目を覚ます。雨が甲板を勢いよく叩いている。これではキャビンから出られない。レトルトカレーとパックご飯で朝食。午前中はキャビンから出られず。薄暗くて本を読むのも辛い。X02HTで音楽を聴き、YouTubeの動画を見て過ごす。防滴タイプのBluetoothスピーカーは便利。「阿武隈」では航海中に音楽を聞かないが、デッキにおいて、電脳ナビゲーションのアラームを鳴らすのにも使えそうだ。

    クォーターバースに、ライフジャケット定員分、紅炎、吊り下げ式の全周灯と紅灯×2、黒球×3、黒円錐、消火バケツを並べる(救命浮環も並べておけばよかった)。脈絡なく思い立って、ロッカーの整理を始めてしまう。案の定、収拾がつかなくなった。古くて使えないロープ、ショックコード、デッキシューズを処分する。

    収拾つかない「阿武隈」にJCIの検査官がやってきた。備品と船検証、検査記録をチェック。それから救命胴着保管場所ステッカーと着用説明ステッカーの船内表示も確認する。船検証と検査手帳はお持ち帰りで週半ばに郵送するとのこと。着払いで500円程度。

    プロパンガスの使用について質問を受ける。大分前にカセットガスに切り替えたと説明する。プロパンガス使用船は、ガスボンベからコンロまでの配管で漏れがないかチェックする必要ありとのこと。実際にはその場で検査するのではなく、取り扱い業者による検査を行ったことを証明する書類(もしくは検査記録紙など)の提出が求められるとのこと。事前に説明がないと対応できないのではないかな? 申込用紙についていた説明にはなかったはずだ。

    1430、検査終了。検査官を見送るついでに管理棟に届いていた6本のフェンダーをピックアップして「阿武隈」にぶら下げる。収拾のつかないロッカーをなんとか整理する。スピンシート/アフターガイ、フォアガイをばらす。フォアガイはリーフ用ロープに転用する。

    1630、小降りになったタイミングでMMFを脱出する。栄町からバスに乗って三崎口へ。いかーん、脱出するのに気をとられて、台風20号対策を忘れたぁー。

    船検対応で港入り

    10月25日 日曜 曇り 北東の風

    1430、自宅出発。月曜日に予定している船検対応のため「阿武隈」に泊まる。三浦海岸で降りるつもりが寝過ごして三崎口まで行ってしまう。幸い、日曜夕方の三崎港方面はバスも道も空いていた。

    1630、「阿武隈」上船。明るいうちについて両舷灯の配線をチェックしようと思っていたが、すでに暗い。管理棟でハーバーマスターに保険の申込書を渡す。それから、月曜午前に荷物が届くことも伝える。

    午前中の雨はすでにやみ、風波ともに穏やか。ただ風が冷たい。キャビンも寒くてストーブを焚いた。レトルトのシチューとパックのご飯で夕食。

    忙しかった先週の疲れのせいか、何をすることもなく、2030には寝てしまった。タオルケットと毛布でも寒くない。夜半過ぎ、唸るような風の音を夢うつつに聞く。

    第1バッテリーを交換する

    10月18日 晴れ 南の風弱く、のち6メートル(剱埼灯台観測値)

    1050、三浦海岸駅到着。宮川へ行くバスは出たばかりだ。海辺のマックで時間を調整して1150のバスに乗る。宮川町まで満席。久しぶりにまるよしで昼食をとる。

    1300、「阿武隈」上船。第1バッテリーを交換する。狭いスペースで太いコードを取り回すのに苦労する。第1バッテリー取り付け終了後、エンジン始動。問題ない。

    作業中、いっしょにダメになったと思っていた第2バッテリーの端子をペンチで誤ってショートさせたら火花が散った。管理棟に持ち込んでチェックしたら充電状態だった。ん? 先週、エンジンを始動できなかったのは第2バッテリーを接続していたときだ。配線がダメになったか。

    船に戻って、第2バッテリーを第1バッテリー系統のコードに接続する。エンジン始動問題なし。第1バッテリーを第2バッテリー系統のコードに接続してエンジンを始動する。お、問題ない。配線も大丈夫か。最後に第2バッテリーを第2バッテリー系統のコードに接続してエンジン始動。おおお、動いた。

    ここまでの作業では、デコンプ状態でエンジンを始動していた。試しに第1バッテリーを接続して圧縮を有効にしたままエンジンを始動する。「きゅりゅん」と回りかけてエンジンが沈黙。先週の症状が再現した。すぐに始動を試みてもダメ。5分ほど時間をおくとエンジンが始動する。供給電流が足りないのだろうか。とりあえず、エンジン始動はデコンプで行うこと。

    14時すぎから南風が上がってきた。一時は「10メートル超えてんじゃね」と思うほどだったが、剱埼灯台の観測値は6メートル程度だった。感覚が鈍ったか。

    前甲板で沈む夕日を眺める。マストとシュラウドの根元から、何かが流れでたような染みが甲板にあった。なんだろう。気になる。

    1700、下船。栄町まで歩いて三崎口までバスで行く。渋滞していなくてよかった。

    バッテリーアウト

    10月11日 日曜 晴れ 南の風1メートル(剣埼灯台観測値)

    1040、三浦海岸駅からバスに乗る。バス停は長蛇の列で乗りきれない人が多数。いつもは三浦霊園でほとんどが降り、松輪海岸を過ぎると乗客は2〜3人しかいなくなるのに、最近は宮川町まで満席で驚く。

    1130、阿武隈上船。A桟橋の東端に沈んで漂流しているテンダーあり。ボートフックで引き寄せて、穴の空いている船底からロープを回して桟橋に固定する。錆び付いた正体不明のガスボンベもあり。こちらはハーバーマスターがロープで固定していた。月曜日に東部漁協が処分するとのこと。

    台風に備えて下ろしていたブームとブームキッカーを元に戻す。天気図も予報も風が吹くことを示していたが、「そよ」ぐらいしかない。どうしようか。とりあえずエンジンを回そうとしたら、「キュリュン」といったきり力尽きて回らなくなった。のあー、バッテリーが2つとも上がってしまったか。清水を補充して管理棟で充電してもダメ。交換しないとダメか。

    台風18号で波を浴びて固まったブームバンクとメインシートをブロックごと水洗いする。ギャレーでスパゲティーをゆでて鶏肉缶と鮭缶をおかずに昼食。食べたらいつものように昼寝。キャビンは、暑くもなく寒くもなく。

    1700、下船。1730のバスが30分待っても来ない。ええぃ、栄町まで歩こうか。でも、三崎東岡からギュウギュウのバスで渋滞で動かない道路を三崎口まで乗っていくことになりそうだ。どうしようか。あ、きた。遅れた理由は説明なし。時刻表に会わせて時間調整する必要がないので、飛ばす飛ばす。宮川町から菊名まで15分で到達。しかしその先は渋滞で動けず。琴音手前でこの記録を書いている。

    最後の最後で乗り上げた

    10月4日 日曜 晴れ 南の風、風力1(阿武隈独自基準)

    0930、自宅出発。1030、三浦海岸駅着。バスが出るまで少し時間がある。京急ストアで鶏モモ肉のブロックと見切り品のブドウパンを買う。1130、「阿武隈」上船。メインセイルだけセットして1200出港する。

    機帆走で三浦半島西岸を北上しつつ、江ノ島を目指す。恥ずかしながら、「阿武隈」は小網代の赤白ブイから北に行ったことがない。江ノ島を海から見たこともなければ。葉山、逗子、佐島も沖合いから見たことがない。城ヶ島や南西ブイのあたりから北を眺めたときに、2つに割れた岩のように見えるのはたぶん江ノ島、と思いながら自分の目で見たことがなかった。きょうはそれを自分の目で確かめて「スッキリ」したい。

     城ヶ島から針路330度で北上する。参考図が三浦半島西岸が秋谷海岸で分かれているので、城ヶ島から江ノ島をダイレクトで狙う航海では使いにくい。

     MMFから30分ほどで諸磯湾入り口の白灯台を右正横に見る。沖合いに出ているおかげで周りに「動いている」船はいない。海面がフラットなので、ここで鶏肉を焼いてしまおう。

    最初、コンロを甲板に出して調理しようとしたが全然加熱できず。ギャレーにコンロを戻し、甲板とギャレーを行き来しつつ塩をふっただけの鶏肉を焼く。ブロック肉だったので、中まで火が通らない。飲みかけのほうじ茶を注いでゆでる。調理開始から10分ほどで完成した。投入したほうじ茶は鶏肉の味に影響せず。

    1400、逗子マリーナのマンション群を右正横に見る。2つに割れた岩のように見えていたのは、やっぱり江ノ島だった。
    スッキリしたところで反転する。三浦半島西岸にある「顕著な陸標」を確認しながら南下する。久里浜発電所の三本煙突も見えるんだ。ほー。

     1530、三崎港港内でセイルダウン。城ヶ島大橋の西海域、航路の真ん中でウェークボードに興じるパワーボートあり。城ヶ島大橋をくぐって「みさき第2ブイ」の近くで係船索とフェンダーをセットする。あとはMMFに帰港するだけだ。

    パワーボートが東から入港してきた。ブイの外側(南側)に避けて航路を開ける。デッドスローで、パワーボートが通りすぎるのを待つ、と、ドッシンという音とともに、ゴリゴリゴリという感触が甲板から尻に伝わり、船体がグッと浮き上がったと思ったらわずかに傾いた。いかーーん、航路外の岩礁に乗り上げた。機関中立、後進微速、すぐに機関中立。デッドスローだったのが幸いした。

    「阿武隈」は停止した。船体が浮いたように感じて傾いたということはキールで立っている状態か。金属異音はしなかったのでリグとスクリューは無事だろうか。

    後進微速、異音なし。そのまま回転数をあげる。「阿武隈」が動き出した、おお、助かった、と思ったとたん、また、ゴリゴリという感触とともに船体が浮き上がった。ちょうどそのとき、すぐ脇を通りすぎていったパワーボートの引き波が阿武隈に到達した。とたんに波に翻弄された「阿武隈」は、右舷にぐぐぅーと傾斜していった。やっばいぃぃぃー。「阿武隈」は、どうにか持ちこたえて、左舷にちょっと傾いた状態で停止した。

    船内に浸水の兆しはない。キールボルトの周りは亀裂も漏水もボルトの緩みもない。速度がほとんど出ていなかったのが幸いした。

     さっきは後進して引っ掛かったので、今度は前進してみる。ダメージを与えないように微速前進。ごりっ、という感触とともに「阿武隈」が動いた。取りかじ一杯で「阿武隈」が回頭する。舵中央でそのまま前進微速。そろそろと「阿武隈」が進む。よかったー。離礁できた。キールボルトからの漏水はなし。なんとか大丈夫か。

     1610、MMF帰港。解装して来週接近する台風18号に備えて荒天準備をする。ブームを下ろしてメインシートで固定する。ブームキッカーは、ブームバンクで固定した。

    1710、下船。SnowLightの船長に三崎口まで送っていただく。ありがとうございました。京急の右窓に十六夜の月を眺めながら横浜に帰る。

    中秋の海を帆走する。

    9月27日 日曜 晴れのち曇り 北北東の風 風力4(阿武隈独自基準)

    1030、MMF到着。テレビに出演していたハーバーマスターを冷やかそうと思ったら休みとのこと。バーバリアンが、新しいマストを作っていた。これまで蓄積した戦訓を反映して、ハリヤードを引きやすい場所に穴を開けているので、以前のマストより使いやすくなるとのこと。自作できるメンバーの強みだ。

     1030、「阿武隈」上船。のぉぉぉ、ケイフンでいっぱいだ。メインセイルをセットし、ヘッドセールにジブを選んで、1100、出港する。風は北北東でMMF前の海域はフラット。すぐさまセイルをあげて帆走を始める。クォーターリーで南下と西進を繰り返す。1か月ぶりの帆走だ。右肩に違和感はない。風予報で風が強まると思い、カッパを着たが、空は晴れて追い風の甲板は風も弱く、暑くて汗をたっぷりと流す。

    昼時になって空腹を覚える。海面はフラットだし、ほかに船もいないことだし、船で自炊するか。城ヶ島灯台の南方沖でヒーブツーして「阿武隈」を流しながら、ギャレーでカレーを作る。食べたら後片付けしてしばし昼寝。1300、復航。

    戻りはクローズホールドで北上と東進を繰り返す。風が募って、カッパを着ていても涼しい。雲も出てきて日がかげる。1時間ぐらいで戻れると思ったら、タックタックで時間がすぎる。1500にはMMFを出立しなければならなかったので焦る。

    1510、ようやく帰港。慌ただしく船を片付け、1530、下船。栄町からバスに乗って三崎口に向かった。

    いい風なのにキャビンで仕事

    9月21日 祝日 晴れ 南の風5メートル。

    きょうは、わがままをいって船で仕事をする。1030、自宅出発。京急がポイント故障で遅延。宮川町を通るバスを逃す。海辺のマックで食事しながら仕事開始。1時間ほど時間を潰してバスに乗る。

    1330、阿武隈上船。いい南の風が吹いている。海を見るとほとんどうねっていない。出港するセイリングクルーザーが見える。うううううっ、海に出たいっ。が、がまんしてキャビンで仕事の続き。

    海に来てまで仕事ですかと、多くのヨット乗りから不興をかっているが、それで海に来れるなら船に仕事を持ち込んでも自分はOK。約束した成果物と周りの理解が得られれば(得られているかな?)、勤め人でも長期航海が可能になる(実例あり)。

    あとは、「ああ、彼はそういう人だからしょうがないよ」という、上司と同僚のあきらめも肝要かと。ただ、ここまでくると、職場で孤立し、いざというときに肩を叩かれる可能性も高くなることを覚悟めされよ。

    「PrincessBay III」の船長と雑談。海況はきのうから落ち着いていたらしい。1隻のルボンが「ちょうど北東の風だから、ちょいっと大島まで」とうねりの残るなかを出港していったそうだ。「ちょっとそこまで」感がいいなあ。私もそういうふうに伊豆諸島に足繁く通いたい。そのためには、普段の準備が必要なんだろうな。「そなえよつねに」だ。

    1700、下船。1730の宮川町発三浦海岸行きバスが来ない。やむを得ず栄町まで歩くが、案の定、渋滞している。油壺入り口まで歩いて先行していたバスに追い付く。渋滞の中、三崎口に向かうバスに乗っている間に、この記録を携帯電話(X02HT)で書いてしまった。きょうは、Trafic accidentにしてやられた1日だ。

    上天気のときは海に行かない

    9月13日 日曜 晴れ 風弱く

    右肩がまだ回復しない。腕を肩から上にあげなければ痛みはない。その範囲で動かす分には引く動作もできる。ただし、ちょっとでも水平から上にあげると激痛。体を支えることもできない。右肩をカバーして痛めた左胸の筋肉は回復した。

    この秋で最高の天気だった日曜日は、自宅で過ごす。物置と化していた自室を片付けるための 作業用通路 を切り開いたのでとりあえず満足する。

    来週の連休は休めない。たしかにほかの国には関係ない話だけどさー。あ、代休もだめですか。そうですか。

    キャビンで書き物

    9月6日 日曜 晴れ 北の風8メートル(剱埼灯台観測値)

    1120、三浦海岸到着。駅前の居酒屋で昼食。1150発のバスでMMFに向かう。1300、上船。機関を30分ほど回してバッテリーを充電。

    痛めた右肩とそのカバーで痛めた左胸は未だ改善されず。きょうはキャビンで書き物をして過ごす。

    船内は風が通って暑くなく寒くなく。途中、甲板で息をぬきながらだったが、けっこうはかどった。集中して書き物をしたいときは船に籠るのがいいかもね。

    1710、下船。管理棟で保険更新用紙を受けとる。船検の手配もしなくては。

    式根島巡航(復路)

    8月25日火曜 晴れ 北東の風 風力5

    0400起床。風は北東に変わっている。満潮と干潮のちょうど真ん中で岸壁が高い。昨晩満潮時にすべてのモヤイをループにして、船から上がらなくても離岸できるようにしておいてよかった。風がちょうど船首方向から吹いている。離岸前にメインセイルをあげてしまう。右肩が辛い。

    0500出港。港内でジブセイルもアップ。港を出ると同時に帆走を始める。きっかりと北東の風がしっかりと吹いている。波が甲板を洗う。早島を過ぎてそのまま東に1時間進んで北上、利島正横でまた東へ1時間、また北上、竜王埼で東に間切り1時間、そして北上。


    今年も長い帆走で帰ることになった。利島の東端を狙って北上する



    青い海の向こうに青く染まった大島が見える。その背後には淡い青空が広がる。夏の海だなあ

    大島をかわすころに風が東に回り、右舷開きでも針路30度と直接三浦半島を狙えるようになった。2008年伊豆諸島巡航の復路も同じだったなあ。北上時はアベレージ6ノット半ばも出たのに東進時は3ノットに落ちる。東から西に流れる潮の流れに苦労したのも2008年と同じだ。

    MMF手前4海里で日没。灯火をつけるが両舷灯がだめ。マスト灯をつける。安房埼の岩礁にまた突っ込みそうになった。これで2回目。入港針路と背景の関係をもう一度確認すること。


    結局、2009年も相模湾の真ん中で日没を迎えた

    2000、帰港。野伏からMMFの全航程を帆走。右肩は舵をとることはできたが、ウインチを巻くことはできなかった。最後は舵も握れないほどにしびれてしまった。右肩をカバーした左腕も痛い(阿武隈はオートパイロットが壊れているので、帆走中は自分で舵を引かなければならない)。

    セイルをまとめ、モヤイを固め、家族に連絡して、あとは食事もせずに寝てしまった。

    式根島滞在


    8月24日月曜 雨のち晴れ

    係留場所のシフトに対応するため0400起床。0500、係留場所を「にしき2」の後ろにずらす。雨強し。一時キャビンで待機、していたら寝てしまった。

    0700、雨上がる。テンダーを出してきのうテトラポットにおいてきたもやいを回収する。テトラポットに飛び移ったらテトラとテトラの間に挟まって動きがとれなくなった。危うかった。

    そのままテンダーで遊んでいたかったが、きのう痛めた肩がいよいよひどくなって船に上がる。これもひと苦労した。

    0900、テンダーを収納する辺りから晴れてきた。天幕を張り、濡れた衣類を乾かす。にしき2で新島に行く家族連れと出会う。会話が弾み、式根島に戻る夕方、阿武隈に招待する。

    潮が引いて岸壁がいよいよ高く、肩を痛めたこともあって上陸できない。投げ縄の要領でボラードにもやいをかけ、そのエンドにモヤイ結びを2連でこさえて縄ばしごにする。なんとか上陸できた。

    そのまま、式根本道を歩き30分で島の反対にある海岸まで歩いた。島をあちこちと歩き回り、「阿武隈」に戻る。連日のレトルトと缶詰に飽きて、帰る途中にスーパーでソテー用の分厚い豚肉を2枚も買ってしまう。塩をふって寝かせておく。

    昼前にあった家族連れが来船。楽しい時間を過ごせた。一緒に式根島に寄港している「ノーザンライト」のみなさんには温泉に誘ってもらった。明日の準備が忙しく一緒にいけなかったが、今回の式根島は入港で苦労したものの、いい出会いがたくさんあった。

    豚肉の塩漬け焼きを食べながら、夕焼けに染まる新島を眺める。1900、菊水旅館でひさびさの入浴。生き返った。

    あしたは早い。日の出とともに出港するのもあるが、漁師さんによると北東の風が強くなって悪い波が入ってくるかもしれないとのこと。新島本港で懲りているので、その警戒のためもあって、早く起きる必要があるかもしれない。すでに阿武隈が大きく揺さぶられている。

    2030、まもなく消灯。明日の起床は(とりあえず)0330の予定。右肩は相変わらず使えない。

    式根島巡航(往路)



    8月23日 日曜 晴れ 北東の風 風力3 のち 南西の風 風力6(阿武隈独自基準)

    0330起床、0430出港。北西の風を受けてクォーターリーで帆走。0800、風弱く機帆走開始。5ノット後半から6ノットと思いのほかはかどる。エンジンを使うと計画通りに行くが、それでいいの? と複雑な気分。途中、イルカ3頭を見る。


    1400、鵜渡根右舷正横。前方に新島のシロママが見える。予定では鵜渡根と新島の水道を西に進んで若郷に入るつもりだったが、まだ14時。新島の西岸を進んでシロママを眺めてから野伏に入ろう。

    新島にかかる辺りから西の風が募ってきた。ジブを揚げると風が収まる。ジブを下ろすと風が募る。今度の風は収まらなかった。そればかりかどんどん上がってくる。どわー、最後の最後で面倒なことになった。ジブをあげてメインはワンポイントリーフ。早島を正横に見てタック。そのまま野伏沖まで進む。

    早島を交わしてしばらくは頭から波を被るようなコンディションだったが、新島と式根島の水道を進むうちに波も風も収まってきた。ジブを下ろしアンカーとバウのもやいをセットし、メインを下ろして野伏港に入る。

    前に入港したのは2003年のことで、そのときは港のテトラポットに槍着けした。今回もそのつもりで、アンカーを落とし、テトラに近づいていった。

    が、港のなかは強烈な南西の風が吹きまくり、阿武隈が流されてきれいな槍つけにできない。テトラポットに乗り移ってもやいを巻き付けようとしたが、こちらもどうにも動きがとれない。船に戻ってアンカーをいくら引いても阿武隈は風に流されて横を向いてしまう。これは困った。

    疲労困憊で途方にくれていると、地元の漁師さんが、南西の風が強いからテトラは無理、岸壁に泊めろと指示してくれた。給油用の岸壁だが明日の朝にシフトするなら泊めていいとのこと。ありがたく使わせていただく。

    2003年に入港したときはテトラに槍付けしてテンダーで上陸した。この経験が自分にとってひとつの自信になっていたのだが、今回の失態は、(大袈裟のようだが)その自信の根拠が失われたというが、なんというか、とにかく「がっくり」とくる出来事だった。

    テトラに乗り移るときに右肩を痛めた。力が入らない。湿布を張る。明日の朝は0500にシフトする可能性があるので起床は0400。2100、消灯。

    港で休養

    8月22日土曜 晴れ 南西の風10メートル(剱埼灯台観測値)

    起きたら1000。ぐあー、だいぶ疲れていたんだなー。出港せず港で過ごす。朝食はパックご飯にレトルトの親子丼をあえて炒める。

    デッキシューズを洗い乾かす。管理棟に予定変更を申告。おすそわけのスイカとチーズケーキとマカロニをみんなでいただく。

    油壺造船のお兄さんに舵のブレを相談。舵軸を押さえているパッキングが磨耗しているとのこと。シリンダーヘッドの冷却水水路のつまりについても相談。ばらしたあとで必ずしなければならないバルブのすり合わせや、つまった水路の塩の除去は専門職でないと対応不可能とのこと。自分でやりたいならシリンダーヘッドのアセンブリを交換することになるそうだ。

    伊豆諸島、相模湾の主な灯台の灯質をX02HTに入力。Pathawayに明日の航路をセット。海図のW51の鉛筆書き込みを消して、明日の航路を書き入れる。明日は相模湾で風が弱いものの、伊豆大島を越える辺りから西風がふく見込み。ホワイトボードに明日のウェイポイントと針路を記入する。

    甲板に天幕を張って昼寝と読書。

    1800、夕食はパックご飯に焼き鳥缶詰を加えて炒める。

    消灯は2000の予定。起床予定は0300。

    巡航前夜

    8月21日金曜 曇り 南の風強く

    2220、上船。 食事。甲板は風が通って涼しい。船内は意外と蒸し暑い。半袖半ズボンの防暑服。

    ホワイトボードに天象時刻と出港チェックリストを転記。電話とカメラのバッテリーを充電。艤装は明日の朝に行う。

    明日出港するかしないか。目的港はどこにするのか。出港時間は何時にするのか。まだ決めかねている。

    2320、消灯。

    食料と衣類を補充する

    8月16日 日曜 晴れ 北東の風7メートル

    1230MMF到着 まるよしで昼食。ほどよい風が吹いているが、きょうは食料と衣類を補充して数量を確認する。パックご飯と荒天食が不足。次回までに調達すること。衣類は化繊アンダー下が不足。化繊長袖アンダーもできればもう2〜3枚ほしいところ。こちらも次回までに調達。

    「OFF」の船長に、三浦漁港(神津島)の外防波堤内側岸壁に係留できたと聞く。東海汽船のジェットフォイルが係留する岸壁の脇にプレジャーボートも係留できるようだ。ただし、岸壁は高く、防舷材も大きいので小型艇の係留は注意が必要とのこと。

    その後は、後甲板に天幕を張ってコックピットでごろごろと過ごす。夏の海はにぎやかだ。

    エンジンを動かして挙動をチェック。エンジンは問題ないが、スクリューを回したときに舵の振動が激しい。実際に船を動かして確認したいところだが本日は時間切れ。次回必ず確認すること。

    1715、下船。

    無風の港で船を乾かす

    8月9日 晴れのち曇り、一時豪雨。風弱く

    1000、三浦海岸駅着。岬巡りのバスが出るまで駅前の喫茶店で時間を潰す。先日友人と初めて入って店内の雰囲気が好きになった。

    1130、MMF到着。風がない。風車もまったく動かない。1週間かけて三宅島、神津島、大島を巡ってきた「OFF」と「SnowLight」がまもなく帰港するとハーバーマスターに聞く。

     風がないので出港はせず、湿ったクッションや寝袋、オイルスキンを干す。ボンクのふたを開けて中も乾かす。日差しが強いので天幕を張りたいところだが、虫干しを優先して我慢。並べ終わったところでまるよしで昼食。船に戻り、海辺で遊ぶ人たちの歓声を聞きながらうたた寝。

     昼過ぎに、まず「SnowLight」が、やや遅れて「OFF」が帰港した。三宅島で5日間停滞したという。それだけを聞くと、うらやましく思うが、当事者は「いつになったら海況が安定して出港できるのかが分からない」という、先が見えない不安を感じたそうだ。2隻の船長は、どちらも黒く焼け、体は痩せ、髭は伸び、凄みのある風貌になって戻ってきた。

     1600、虫干ししていたクッションに寝袋、オイルスキンを収納する。熱中症になったのか胸が苦しい。清水タンクの水を沸かして紅茶を飲んでも足りず、食料庫にあった蜜柑缶を開ける。

     1700、下船。港内放送で台風が発生したことを知る。雑索でブームを固定する。宮川町のバス停で待っていたら、Princess Bay IIの船長に車で三浦海岸駅まで送ってもらえた。ありがとうございます。とても助かりました。車の中で、Princess Bay IIはブームを下ろして甲板に固定したと聞く。しまった、「阿武隈」もそうすべきだった。いまごろ気付いても間に合わず。

     送ってもらって浮いたバス賃で、またまた喫茶店でコーヒーを飲む。ぐぇ、ちょっと飲みすぎたかな?

    足をひねって陸で過ごす

    8月2日 日曜 曇りのち豪雨

     週の始めに右足首を捻った。なぜか、この部分の取り付け角度が内側にシフトしているらしく、普通に歩いていても時たま捻ってしまう。捻り具合が悪くて骨折したこともある。

    今回も激しく捻って、2日間ばかりまともに歩くことができなかったが、湿布を貼っておとなしくしていたら、週の後半はなんとか歩けるようになった。しかし、まだ重くて痛い。この週末は大事をとって陸で過ごす。

     こんな感じで、足首に捻りぐせがついているので、船に乗っている最中に「ぐぎぃ」とやってしまう可能性が高い。心配になって以前調べておいた阿武隈に備蓄している医薬品リストを確認してみた。

    阿武隈救急セット

    テーピング1巻
    滅菌ガーゼ2パット+10メートル
    包帯1巻
    湿布4包
    カットバン
    オロナイン
    消毒スプレー

    バッファリン22錠
    葛根湯24錠+2包
    総合感冒薬
    酔い止め7錠

    虫刺され(ウナコーワ)
    防虫スプレー
    蚊取り線香
    来船者用歯ブラシ2包
    ひげそり1包

    補充が必要なもの
    防水パット
    三角巾
    爪切り

    切り傷に擦り傷、やけど、打撲、発熱、風邪は対応可能。意外と重要なのが防虫対策で、こちらは、蚊取り線香とかゆみ止め、防虫スプレーで十分だ。

    いまの備えでは、患部を固定するものがないので、骨折や脱臼、捻挫に対応できない。突き指はテーピングでなんとかなるか。整形外科で使っている、濡らすと固まるギブスって一般には入手できないのかな。痛み止めや化膿止めに使える抗生物質もほしい。処方せんなしで入手できるのだろか。

    一週間近い巡航になると爪切りもほしくなる。

    そういえば、キャビンのインテリアや食べ物、電装品やエンジンについては色々と議論されているが、一週間程度の巡航を想定した医薬品に関する考察を読んだことがない。巡航志向というほかの船はどんな医薬品と衛生備品をどれだけ準備しているのだろうか。

    朝もやで出港せず

    7月25日 日曜 曇りのち晴れ 南西の風9メートル(剱埼灯台観測値)

    0500、起床。昨晩からかかっていた霧が依然として視界を遮っている。時間によって薄くなったり海面辺りがクリアになって水平線が見えたりしていたが、ひどいときにはMMFの係留艇もぼやけるほどだった。風は収まってきて帆走にちょうどいい加減だったが、濃霧はいけない。

    ちょうど三崎港から漁船や地元に帰るプレジャーボートが出港してMMFの沖は混雑する時間帯だ。視界が利かない状況でセイリングクルーザーが出港してのたのたと横切っていたら甚だ迷惑。出港を取り止めて早々にセイルを片付ける。なぜか、桟橋に毛虫が大発生していたので甲板で畳む。

    朝食はまるよしを予定していたが、まだ開かない。腹が空いたのでレトルトのスパゲティーを二人で分ける。食べたら朝寝。友人は気持ち良さそうに眠っている。

    9時ごろ下船。まるよしで朝食。中とろの漬け丼は、三浦海岸で食べたきのうの昼食よりボリュームがあった。

    宮川町からバスに乗り三浦海岸駅へ。駅前の喫茶店で朝のコーヒーをたっぷりと飲んでから横浜に向かう。横浜の古い中華屋で昼食。家族にお土産までいただいて横浜駅で友人と別れる。今回はよく食べたなあ。次こそ帆走しような。

    塩辛いステーキを食べる

    7月25日 土曜 曇り 南西の風15メートルは超えていたんじゃない

    ゲストが来ることはめったにない「阿武隈」に友人がやってくる。2008年に来船したときは天候に恵まれなかったが、今回は少なくとも雨は降らないようだ。

    11時に横浜で待ち合わせ。京急で三浦海岸に向かう。海辺の食堂で昼ごはん。穫れた魚が少なくて刺身の盛り合わせが頼めなかった。シーズン中はこういうこともあるでしょう。駅に戻って京急ストアで食料を調達。オージーのステーキ肉を用意した。野菜は見切り品を少々。バスで宮川に向かう。

    1400、上船。コックピットにオーニングをかけ、セイルをセットする。だが、南風がどんどん上がってくる。出港を見合わせる。明日の朝、風が落ちたらのんびりと帆走しよう。

    買ってきたステーキ肉に塩と胡椒をふりかけ、トレイにぎゅうぎゅうと押し込み、軽い塩漬け状態にする。野菜もカットして塩をふっておいておく。

    Doonieが家族で楽しんでいた。きょうは船に泊まっていくそうだ。Tallboyの船長と相談事。

    1730、日が暮れる前に夕食の準備。といっても、用意しておいた野菜を茹でて肉を焼くだけ。大航海時代風、塩漬け肉のステーキと塩茹固野菜の夕食だ。友人が買ってきてくれた洋酒で乾杯する。塩辛い肉を紅茶で腹に流し込む。

    日が沈んでからコックピットで星を見る。夜食にパックごはんとレトルトカレーでリゾットを作る。

    2200、消灯。

    追記:落水者あり。そのときキャビンにいたが、物音が聞こえても、まさか落水とは思わず、そのままようすをうかがっていた。救助のために甲板にすぐ上がらなかったのは問題。落水者はスターンラインをつかんで自力で上がることができた。大事にならなくてよかった。

    無風でうねる海を機走する

    7月20日 祝日 晴れ 東の風 風力1〜0(阿武隈独自基準)


    0230、目が覚める。ハッチから見える夜空に星が輝いていた。甲板に出て眺める。天頂から東にかけてクリア。西と南にモヤと薄雲がかかっている。夏の大三角はもう西に傾いていた。天頂で秋の星座のペガサスが駈ける。「阿武隈」のマストの右斜め上にいるか座がみえた。ペガサスからアンドロメダ、そしてその東側にスバルをみる。さらに、その東から二日後に太陽を食べる細い月が上ってきた。

    そのまま夜明けまで甲板で過ごす。0400、ようやく周囲の景色が見えてきた。南の風がまだ残っている。帆をあげて出港しようか。ああ、でも帰港してから片付けるのが億劫だな、と迷っているうちにすっかり夜が明けて、風車が止まった。0500、MMFから2隻のパワーボートが出港した。そのあとを追いかけるように、セイルをセットしないまま「阿武隈」も出港する。

    防波堤を超えると海はうねっていた。海面を引きずっている左舷のフェンダーを甲板に引き上げただけでそのまま三崎港に向かう。うらりに係留しているパワーボートやセイリングクルーザーはみな起きていた。出港していく船もある。岸壁も釣り人でもう一杯だ。

    うらり、北条湾と回ってMMFにもどる。MMFの入り口で左舷のフェンダーを舷外に下ろす。右舷前方の海面が上ったばかりの朝日を反射して眩しく輝いていたが、突如、その光の中から小型漁船が飛び出してきた。避航側は「阿武隈」だったが、漁船側が速度を落としてくれたので助かった。すみません。ありがとうございます。

    MMFのテトラポットを越して後方を警戒すると、薄汚れたフェンダーが漂っていた。おお、どこから流れてきたのだろう、拾っておけばよかったな、と思いつつ自分のバースに着岸してようやく、それが「阿武隈」のフェンダーだったことに気が付いた。

    0600、帰港。それからしばし朝寝して、下船。相模湾オープンレースに参戦する各艇に声をかけて、MMFをあとにした。

    強風の港で配線を修理する

    7月19日 日曜 曇り 南西の風17メートル(剱埼灯台観測値)

    0930ごろから動き出す。出港しないとなったら、とことんだらけた生活になる。マーボ丼とパックご飯をからめて朝食。

    きのう時間切れになった電装系の修理を行う。手持ちのデジタルテスターが電池切れで使えなかったので「みらい」の船長から借りる。バッテリーの電圧は問題なし。配電盤の電圧を図るが反応なし。配電盤がアウトか。

    念のため、配電盤とバッテリーを繋ぐ配線を追う。入り組んでいて手間がかかったが、メインスイッチに接続していた配電盤系端子が腐食して断線しているのを発見した。メインスイッチのカバーをはずし、端子を取りだし、コードの皮をむいて新鮮な芯線でリングをつくって端子に接続する。

    配電盤のメインスイッチをオンにしてキャビンライトのスイッチをひねると点灯した。両舷灯、マスト灯、船尾灯もOK。

    電装系の修理を午前中に片付け、「SnowLight」を訪れて、船内の改造(シンクに後付けした自作のチャートテーブルや精巧な戸棚の蓋、キャビンに内張りした木のパネルに驚く)や伊豆諸島巡航の話を聞いたあとは、キャビンで本を読んで過ごした。船で読むアーサーランサムはいいなあ。今すぐ海に出たくなる。

    昼食はレトルトのスパゲティ。「SnowLight」の船長からいただいた桃も食べる。実家の福島でないと味わえないほどとても美味しかった。ありがとうございました。夕食はレトルトのグリーンカレーとパックご飯。

    風は終日強く、風にあたっていると寒いぐらいだった。青空が広がり日が強く射すときもあったが、おおむね曇っていた。日没直後、曇りぞらの中から夕焼けが明るく輝く。

    1910、その夕焼けを見ながらこの記録を書いている。

    港で配線をチェックする

    7月18日 曇り時々雨 南西の風7メートル(剱埼灯台観測値)

    1000ごろから、ようやく動き出す。ブドウパンと紅茶で朝食。巡航を取り止めた反動か、きょうは昼寝の合間に作業をこなすような生活だった。

    きのうの夜に点かないことが分かった電装系をチェックする。セルモーターは回ってエンジンは始動する。回転数をあげるとChargeライトは消える。バッテリーとオルタネータの配線から分岐させているシガーアダプターに接続したインバータも使える。

    どうも、配電盤を経由する系統がダメらしい。配電盤をはずして裏面を見る。メインスイッチから各系統に分配されている。きのう少しだけ点いていた対水ノット計ライトは、配電盤のメインスイッチを経由しないで配線されていたので系統は別になる。が、こちらもいまは点かない。

    配電盤のヒューズは問題なし。ハーネスの途中にヒューズがあるのか調べている最中で時間切れ。また明日にしましょう。

    曇りぞらで、時おり雨が降り雨がやみ青空が見えてまた雨が降る。コックピットに天幕を張る。涼しくて過ごしやすい。キャビンとデッキを風が走る。

    MICSでは、伊豆大島沖で15メートル超を報じているが、神津島は10メートルにも届かない。明日の予報も伊豆大島だけが15メートル超で新島は8メートル程度だ。

    昼食は、水を少しだけ張ったパンにパックご飯をほぐして茹で、そこにレトルトのクリームシチューを加えた。調理時間は5分弱。味が薄かったので塩コショウを加える。

    そのあとは、昼寝の合間と作業の合間にブドウパンとスティックパンを食べていたので夜になっても満腹。たぶん、このまま何も食べず何もせずに寝てしまうだろう。

    1930、この記録を書いている。

    巡航前夜準備

    7月17日 金曜 曇り 南西の風4メートル(剱埼灯台観測値)

    2205、京急ウィングで三崎口に向かう。車内で水路通報を確認。小改正なし。航行警報をチェック。城ヶ島沖南西ブイは消灯中で仮灯がFl 3sで稼働。港湾工事情報を確認。式根島では工事なし。

    20日までの予想天気図を見る。土曜から日曜にかけて日本海を低気圧が発達しながら進む。20日は停滞前線が相模灘を横断する。60時間先までの風予報をチェック。土曜日午後から日曜日一杯まで南西の風が10〜15メートル。20日に風が落ちるが今度は北東から吹く。

    どーしたものか。

    0030、上船。航海計画書と出港届けをポストに投函する。キャビンに入ってライトを点けようとしたら点かない。あらら。スイッチを確認しても問題ない。バッテリーが上がったか?エンジンのセルモーターは回る。エンジンを始動してしばらく充電する。Chargeの警告灯がしばらくついたままだった。バッテリーに何か問題があるのか。ヒューズは異常なし。

    両舷灯、マスト灯、船尾灯、全部ダメ。キャビンライトも全部ダメ。コンパス灯が点いていたが、スイッチを切り替えているうちにつかなくなった。でも、エンジンは始動する。明るくなってから原因を調べるしかない。

    とりあえず、明日は出港できない。明日出港できないと言うことは、強風が終日吹き荒れるだろう明後日も出港できない。明後日出港できないと言うことは「式根島」にいけないということだ。

    だぁぁーっ。また断念か。今回は出港すらできなかったよ。

    ガスランタンをつけてこれを書いている。0130消灯予定。

    燃料と清水をチェックする

    7月12日 日曜 晴れ 南の風4メートル(剱埼灯台観測値)

     MMFへ行く前にシープラザKAZIに寄る。地下鉄で蒔田、蒔田から地下鉄で上大岡、上大岡から京急快特。おお、時間的にさほど変わらない。 MMFの帰りに寄るのもOKだ。

     インペラ、エンジンジング、パッキングを購入。エンジンジングカバーのパッキングはサーモスタット用を兼用するとのこと。エンジンオイルは来週半ばに入荷する。船の備蓄は1リットルで心もとない。ベルトも購入しようと思ったが、1GM用ベルトが型番違いで3種類あって、どれが適合するのか分からない。「阿武隈」で確認しておこう。予備ベルトが1つあるので慌てなくていいか。

     YBMでお世話になったJellyfishさんに偶然会う。YBMからMMFに回航する日に会ったとき以来だ。

    1330、上船。雲は多いが、梅雨明けを思わせるように爽やかで湿気も少ない。先週使ったオイルスキンがまだ湿っていたのでブームに干す。デッキシューズもほぐしたヤーンをブラシがわりにして海水で洗う。

     船内タンクに給油する。スチール缶から扱いやすいポリタンクに移し換えようとしたら、スチール缶の口から軽油が吹き出しデッキに流れ、そのままデッキのスカッパーから海面に流出した。すぐに液体洗剤を散布して油面を沈める。なにをやっているんだ。体が思うように動かない。

     デッキにこぼれた軽油を拭き取るために後甲板ロッカーに入れておいたアンカーやチェーン、ケーブルをデッキにあげる。拭き取ったあと、アンカーを収納し、アンカーケーブルをコイルしなおす。

     コックピットロッカーの中も整理する。テンダーとオールを取り出しやすいように上に積み替える。

     ポリタンクから船内タンクに給油するとすぐにいっぱいになった。2リットルも入れていない。「阿武隈」の燃料は船内タンクの20リットルとポリタンクの18リットル。

     つぎにフォクスルにあるポリタンクの清水をチェック。側面から日光を当てて水中浮遊物の有無を確認する。2つとも問題なし。蛇腹の10リットルタンクの中身も大丈夫だ。小分け用の3リットルタンクは苔が生えて使えない。つぎ来るときに2リットルの空きペットボトルを用意して代用しよう。

     持ってきたパックご飯9食分を「阿武隈」にデポ。次回補充が必要なのは、蚊取り線香を1箱、虫よけスプレーを1本、カセットガスを1セット、レトルトパック、缶詰をそれぞれ適当量。

     古くなったアンダーシャツを割いてスワブを作る。袖の部分は係船索の擦れ止めに使おう。擦れ止め用のスワブの1枚を舵頭に丸めて縛り付け、舵柄が下がらないようにした。オートパイロットのピンが固定できて外れなくなった。

     港についたときは曇り空で薄日が射す程度だったが、徐々に雲がとれて青空が広がり、日光が痛いほどに射してきた。風は南からわずかに吹く。出港しなかったので半袖半ズボンの船内服で作業をしていたが、ほんの1時間甲板で作業しただけで露出していた肌がヒリヒリする。

    1710下船。栄町からバスに乗って三崎口に向かう。

    雨が降って風が上がった

    7月5日 日曜 曇り時々雨 南の風 風力5(阿武隈独自基準)

    1245、出港。ジブセイルとフルメインの組み合わせで帆走。南からの風はそれほど強くない。南の風だが午前中はほとんど吹いていなかったおかげで海面はフラット。雲が全天を厚く覆って海は薄暗い。灰色の濃淡で描かれた風景画のようだ。

    艤装しているときに蒸し暑く、長袖化繊アンダーの上に半袖半ズボンという真夏仕様の航海服で海に出る。暑くもなく寒くもなくちょうどよかったが、1330、雨が降ってきたのでオイルスキン上下を羽織る。さすがに暑い。1400、風がほとんどなくなってますます暑くなった。えええい、脱いじゃおうか、と思ったとたんに、南風がドンと吹いて、あっという間に白波に囲まれた。

    ヒーブツーでメインセイルをワンポイントリーフする。西から来る波と南西から来る波が重なって三角波が至るところにたつ。甲板を波が洗い、時折、太い波を頭から被る。オイルスキンをたまたま着ていてよかった。

    1500、南西ブイから反転。右舷開きのクオーターリーで走る。見掛けの風が収まって穏やかな帆走になるが、南から押し寄せる波が船底をくぐるたびに、激しくローリングする。

    1600、MMF沖に到達。セイルを降ろしフェンダーと係船索をセットして、1620、帰港。南風が強かったので、最終アプローチまでスクリューを回す。着岸直前に後進いっぱい。いつものようにミジップを桟橋のクリートに掛けてひと安心していたら、南の風に左舷船首が押されてどんどん流れていった、いかーん。左舷のトゥーレールを掴んでなんとか引き寄せる。ミジップをもやったら、すぐに風上側ももやうこと。

    風が強いのでコックピットでセイルを畳む。解装を終えてデッキでひと休み。1730、下船。管理棟前で「SnowLight」の船長から車で送りましょうと声をかけていただいた。ジムニーで三崎口まで送ってもらう。とても助かりました。ありがとうございます。ジムニー、いいなー。

    雨の日はキャビンで餅を焼く

    6月28日 日曜 雨 東の風5メートル(剱埼灯台観測値)

    10時30分自宅出発。三浦海岸駅11時30分到着。雨が本降り。昼食で時間を潰してバスに乗る。駅の立ち食いで「豆腐一丁そば」を食べる。食べた後に胃袋で膨張する。

    宮川で向かうバスと三浦海岸駅に向かうバスがすれ違う。1時間に1本しか走らない路線なのに「Princess Bay II」の船長とすれ違いざまに挨拶。

    1230、MMFに着く。雨足ますます強く風はない。しかし風向が東に回ってきた。予報では夕方に北よりの風が上がってくることになっていた。船を出すか出さぬか。帆走するかしないか。雨の中で艤装する労力と微風で帆走するストレスを想像して、あっさりと「出さぬ」と決める。

    キャビンに籠って、コーヒーを飲み、本を読んで、昼寝して、海図を眺めて、餅を焼いた。ひさびさにキャビンでゆっくりと過ごした。

    時間が過ぎると共に、雨足はどんどん強くなってきた。風も上がってきた。気温はさほど上がらない。一隻のパワーボートと一隻のセイリングクルーザーが帰港した。海に出ればけっこう楽しめたかな。

    薄汚れていたシンクを磨いて、1710下船。雨風強く、傘を持っていたのに全身ぐっしょりと濡れてしまった。

    梅雨の晴れ間に帆走する

    6月20日 土曜 晴れ 南東の風 風力3(阿武隈独自基準)

    木曜日に船底塗装が終わったと油壺造船所から連絡があった。予想より早くやってもらえた。感謝。

    この週末は陸で過ごすつもりだったが、土曜日にMMFへ向かう。午後から風が上がってきた。1345、出港。スクリューがきれいになったおかげで、機走が滑るように進む。エンジンの排気も少なくなった。1355、セイルアップ。機関停止。風は南東から。海面はフラット。白い雲と黒い雲が交差する。時折、太陽と青空が現れる。梅雨の晴れ間だ。





    ゼノアとフルメインの組み合わせで快走する。左舷開きのクローズホールドで南下。本船航路の手前で西に進む。

    1500、MMFから南西3海里のポイントから反転。わずか30分でMMFの南沖までもどってくる。もう少し帆走りたい。南下して本船航路まで下り、反転してMMFに向かう。

    1630、MMF帰港。1710、下船。
    港はまだまだ明るい。明日は夏至。

    油壺造船所に回航する

    6月14日 日曜 曇り 風弱く

    5月最後の日曜日に阿武隈に行った。日本を不在にする6月の第1週に、船底塗装を油壺造船所にお願いするので、船の鍵をMMFの管理棟に預けた。

    しかし、天候不順で日程があと送りになったため、6月第二週の日曜に自分で回航する。最初、風が吹く土曜日に帆走を楽しみ、日曜の朝一番に油壺造船所に回航するつもりだったが、疲れがひどくて土曜は体が動かせなかった。もったいなかったなー。

    1230、MMF到着。1300、出港。風がほとんどない。港を出てからしばらくは順調に進んでいたが、三崎港をぬけたらだんだんと船足が落ちていった。なんだ?

    貝でスクリューが団子になっているなら出港したときから進まないはず。スクリューは海水をかき出している。スクリューに何かを絡めてしまったか。試しに後進をかけると回転数が上がらない。ああああ、これは絡めてしまったな。とりあえず、ゆっくりとだが前進してくれる。感覚としては2ノットそこそこか。

    1430、ようやく油壺造船所についた。MMFから油壺の入り口まで1時間半もかかった。スタッフがテンダーでやってきて上船する。海中に沈めた船台に船を回すため操船をお願いする。スタッフは阿武隈を舳先から船台に近づけ、陸から渡した導索を手繰り寄せて阿武隈を船台に載せた。


    阿武隈を載せた船台はワイヤーを繋げたウインチで陸に上っていく。途中、水面から上がってきた架台と船体の間にくさびを打ち込んで阿武隈を船台にガッチリ固定する。阿武隈はウインチに引かれてがたがたと陸に上がった。

    かけられたはしごを降りて船底をみる。喫v水線に藻と貝が、舳先とキール前方、ラダvーのエッジに海綿状の付着物があった。2年ぶりの上架だったがシャフトのジングはまだ残っていた。スクリューは海草を巻き込んで団子になっていた。海草を切り落としてスクリューをみると、こちらも貝がついてでこぼこになっていた。船底とジングはまだ持ったかもしれないが、スクリューは限界だったようだ。









    お願いする作業を確認して(船底塗装の手順は前回と同じ。スタンチューブのグランドパッキンを交換してもらう)、油壺造船所をあとにする。スタッフがバス停まで送りましょうといってくれたが、散歩もかねて歩く。土がむき出しのトンネル、諸磯ヨットクラブのクラブハウス、油壺泊地の景観を楽しむ。

    初夏の微風で帆走する

    5月23日 晴れ 南西の風 風力2(阿武隈独自基準)

    0900起床。そのままバースでごろごろと過ごす。1000艤装開始。1140出港。1200ジェノアとフルメインの組み合わせでセイルアップ。タックタックで南下と西進を繰り返す。

    海面はほぼフラット。空は青空。刷毛ですいたような雲が高い空にかかっている。いつもは昼を大分過ぎてから出港するので光が赤みがかっているのに、きょうは甲板を射す光が白い。光の色で気分が違ってくる。

    野菜ジュースとレトルトのビーフシチューで食事。シチューを温めないで袋から直接チュウチュウと吸っていたら、溶けていない油が口の中にへばりついてしまった。おえー。魚肉ソーセージでのどに流し込む。

    風が徐々に上がってきた。ゆっくりとだが快適な帆走。本船航路を越えて、さらに南下する。

    1230 剣埼灯台を30度、安房埼灯台を330度にみる。
    1300 剣埼灯台を15度、鋸山山頂を70度にみる
    1400 富山山頂を90度、安房埼灯台を20度にみる
    1430 富山山頂を90度、城ヶ島灯台を0度にみる
    以上、すべて磁方位

    1430、反転して帰路につく。ジャイブジャイブで北上と東進を繰り返す。1530ごろから本船航路と交差する。南下するときはほとんどいなかったのに、この時間は東京湾から出てきて伊豆半島南端を目指す本船が次から次へとやって来る。

    1615 機関始動。風が落ちて機走に移る。ヘッドセイルだけでなくメインセイルも降ろしてしまったら、ローリングが激しくなって不快。

    1700 帰港。機関停止。解装
    1830 下船

    港はまだ明るい。

    金曜の夜に港へ行く

    5月22日 曇り 南の風5メートル(剣埼灯台観測値)

    2200会社を出る。食事をとって品川から京急にのって三崎口にむかう。地下鉄直通が3本続いて待たされる。2230発に乗ったのに、阿武隈に上船できたのは0100だった。

    三崎口のバス停は長蛇の列だがバスも二台まとめてくるので問題ない。駅前の店はすべて閉まっていた。港にむかう道で小雨に降られる。船について少しくつろいで0130消灯。

    四連休を陸で過ごす

    5月18日 雨嵐 南の風19メートル(剣埼灯台観測値)

    大型連休が終わった次の週末に金曜月曜と代休を組み合わせて四連休をこしらえた。2008年に2回挑んで2回引き返した式根島を目指すつもりだった。

    しかし、土曜日曜と南風が吹き荒れる予報になった。帰りはいいが行きはどうなる。式根島の野伏港は北風に守られているが往航で寄港する予定の波浮港は南に口を開けている。土日月と南を塞がれたら休みが終わっても波浮から動けなくなる。

    うーーーん。迷って迷って断念。四連休は船に行くこともなく陸で過ごした。ぐだぐだでかえって疲れてしまったなっ。

    港で眠り続ける

    5月10日 日曜 晴れ 南西の風10メートル(剣埼灯台観測値)

    1030自宅出発。1300MMF到着。まるよしで昼食。おばあさんに先日いただいたアマリリスのお礼をいう。

    管理棟のPCが新しくなっていた。おおおおっと、トライジェムのNettopだ……。また渋いベンダーを選んだなー。ついつい、いじくり回して珍しく管理棟に居続ける。

    そのうち、レースに参戦していた「ハルカゼ」と「Barbarian」が相模湾から帰ってきた。話を聞くと、相模湾側はとても時化ているとのこと。きょうは、なぜか「三浦海岸駅で降りるつもりが寝過ごして三崎口」なほどに疲れていて、船を出すか出さぬか決めかねていたが、この一言で「港で寝るっ」ことにする。

    その後は、1400に上船してから1730に下船するまで、甲板でクォーターバースでセティーバースでフォクスルで、ごろごろごろごろと眠り続ける。途中、機関を動かしてスクリューを回し、先日の宴会で動かした物件を定位置に戻す。

    とにかくきょうは眠かった。

    阿武隈に大人5人が泊まる

    5月5日 雨 北東の風

    阿武隈に大人5人が泊まる。ソレイユルボンに確保できる睡眠スペースは大人3人分が限界だ。どうしても2人余ってしまう。

    無理な態勢で5人を寝せるのではなく、順次交代の当直体制を経験してもらうことにした。私は寝ずの番で、残り4人は2時間交代で当直にたってもらう。3人はフォクスル、クォーターバース、セティーバースに寝る。ただし、テーブルはあげたままで、その前後に当直員が座る。

    2200の当直開始から2交代まではデッキで横になれたが、0200から雨が激しく降り始めてキャビンに閉じ込められる。コックピットハッチ側の席はせまくて体が休まらない。これは不覚だった。結局コックピットハッチ側に座った当直員に無理を強いることになってしまった。

    私は0300あたりから前方座席で寝入ってしまい、夜が明けた0600以降はクォーターバースで寝かせてもらった。

    0900、鍋の煮汁にご飯を投入して朝食。雨が降り続けてキャビンでのんびりと過ごす。1230下船。まるよし食堂で昼食。1400、宮川町バス停から三浦海岸駅にむかう。終始雨が降り続け、風が冷たかった。

    阿武隈にゲストが泊まった

    5月4日 曇り 南東の風 風力4(阿武隈独自基準)

    ゲストはおろか家族もめったに来ない「阿武隈」に妹さん夫婦が来船した。無理のない時間で行動してもらうために、午後に上船、日没前にゆったりと食事、船に泊まって、翌日の朝に 軽く 帆走、昼前に下船。まるよしで食事して午後は自宅でのんびり、というプランをたてる(以前、KAZIで紹介されていたものだ)。

    横浜駅で集合して京急で三浦海岸駅に。駅前のスーパーで食材を調達してバスで宮川町にむかう。バスがえらく混雑していたが三浦霊園前でほとんどの乗客は降りてしまった。

    1430MMF到着。「阿武隈」上船。ほどよい風が吹いている。翌日は雨が降る予報だったので海に出るならきょうしかない。みんなにくつろいでもらっている間に、艤装を進める。

    1530出港。総勢5名。桜印の救命胴衣を身に付けてもらう。帆走にちょうどいい風だったが、波が高い。ジブとワンポイントリーフのメインの組み合わせでセイルを揚げる。クローズホールドからやや落とした右舷開きで東にむかう。ほどよいヒールで快走するが、やはり波が高い。スプレーをあげないように操船する。

    普段はシングルハンドなので、乗員の配置に苦労する。後甲板両舷に1人ずつ、私の対面に1人、コンパニオンハッチに1人配置していたが、コンパニオンハッチの乗員が「目が回る」といい始めたので、私(操船担当)と後甲板乗員の間に入れる。ソレイユルボンのコックピットは、片舷に3人並ぶとシングル操船で支障が出始める。

    帆走30分で反転し帰港の途に着く。MMFの入り口でセイルを下ろし機関をかける。フェンダーと係船索を港内でセットしようと思ったが、まだ舵を任せられる乗員がいないので、港の外でセットする。1630帰港。翌日雨が降る予報なので即刻解装する。手伝ってもらえたので短時間で済んだ。ありがとう。

    女性乗員が管理棟でシャワーを浴びている間に、船に残った男性乗員で鍋の準備をする。日が暮れる前に夕食。楽しく陽気に過ごす。鍋を食いつくした後は妹さんのウクレレでハワイアンを聴く。淡い音色になごむ。

    カードで盛り上がって22時に消灯。

    南の風に閉じ込められる。

    4月26日 晴れ 南の風18メートル
    (剣埼灯台観測値)

    昼過ぎにMMFに着く。宮川町に向かうバスから海を見下ろすといたるところで白波が跳ねていた。出港せず、キャビンでくつろぐ。この週はとても疲れていたのでちょうどよかった。

    久しぶりに塩漬けの豚肉を持ち込んでキャビンでゆでる。大鍋を補充していないので、パックご飯も投入して雑炊にする。


    南から波が入ってきて船が揺れる。本を読んでいるうちに寝てしまう。1時間ほどで起きて、機関を始動してスクリューを回す。船底を塗ってからまもなく2年が過ぎようとしているが、スクリューは勢いよく海水を送り出している。ジンクが2年持つのは前回の上架で確認している(そのときも2年ぶりの船底塗装だった)。

    フォアスプリングを調整するため、後進をかける。アフトスプリングが伸びきった位置でフォアスプリングの長さを決める。風に流される量が減った。

    甲板で使っている雑索の末端処理を行う。ほつれたエンドをナイフで切り落とし、タコ糸で縛る。 

    日没とともに下船。祝日の29日は陸で過ごす。

    おぼろな海を帆走する

    4月18日土曜 曇り 南南西の風 風力3から4(阿武隈独自基準)

    1240乗船。1320出港。
    珍しく土曜日に「阿武隈」へ行く。厚い雲が全天を覆い太陽が見えない。MMFを見下ろしている風車は2つとも止まっている。しかし、わずかだがしっかりとした南風が顔に当たる。セイルを用意して出港する。

    出港したら、すぐ後にMACCAが続航してきた。すでにセイルをあげている。こちらも負けじとセイルをアップ、ジブとフルメインの組あわせを選んだ。左舷風下からMACCAがあっさりと抜いていく。すれ違いざまに、MACCAから「2ノットっ」と声がかかる。抜いていくMaccaが2ノットならこちらは1ノット半ばぐらいか。MACCAはぐんぐんと前を帆走していく。

    クローズホールドで南と西に向かう。微風時で苦手なクローズリーチからアビームでトリムを練習する。「阿武隈」にはウィンデックスがないので、クローズホールド時の針路をコンピュコースにとり、そこに示される方位で風の向きを得るようにしている(頭で計算するのがスマートなのだが)。

    1430から風があがってきた。1530、三崎港西側口を北に見る海域で反転。船速が4ノットを越える。風は程よく海面はフラット。こんな穏やかで心地よい帆走は久しくなかった。

    1600を過ぎると雲の切れ間から太陽が姿を現した。ますます風が上がってきて、クオーターリーでもセイルに風をとらえて帆走できた。1730帰港。「Doone」船長の支援をうけて係留。

    1800解装終了。スプレーをまったくあげていないのに、セイルがぐっしょりと濡れていた。1900下船。

    花曇りの海を航く

    4月5日 曇り 東の風 風力2から3(阿武隈独自基準)

    1130自宅出発
    1235三浦海岸駅着
    1250剣埼経由バスに乗る
    1330宮川町下車
    1340阿武隈上船
    1356エンジン始動
    1400出港

    予報では北から南に風が変わって、風は弱くなるときいていたが、昼遅くになってMMFについたときは、まだ北東の風が弱いながらも残っていた。でも、これからどんどん風が落ちて帆走はできない「はず」と考えて、セイルを用意せずに出港する。

    1520三崎港北条湾を経由して油壺へ。

    三崎港の北条湾をぐるりと巡って帰ってくるつもりだったが、三崎港を抜けて相模湾に出る。風が落ちると思っていたのに、東の風がしっかりと吹いてくる。風は冷えていて寒い。空には一面薄い雲がかかって銀色に輝いている。雲を通して白い太陽が見える。



    相模湾から油壺に向かう。湾から「YeeHaw!」らしきN240が出てきた。はるか前方を南下していく。油壺は静寂。山と水面の緑のなかに若葉の黄緑と桜の白がポツリポツリと佇んでいる。油壺ボートサービスを左舷前方に望みながら、1540油壺から反転する。






    油壺から相模湾に出ると、東の風が募ってきた。セイルを用意しておけばよかった。「阿武隈」にとって三崎港は「港内シフト」なので係船索もフェンダーもそのまま甲板においた状態でいる。でも、相模湾に抜けて油壺に向かうとなると、短いながらも「航海」扱いでないといけない。

    1640MMF帰港。白板に記録していた燃料残量によると、きょうの機走分で残り10リットルになった。増槽から軽油を移す。残り10リットルと思っていたら15リットルも入ってしまった。危なかった。帆走したときの出港帰港消費分を合わせて30分としていたが、1時間として計算したほうが安全かもしれない。

    1700下船。次の週末、11日と12日はどちらも所用で阿武隈にいけない。

    雨が降る前にMMFを脱出

    3月22日 日曜 晴れ 南西の風 風力13メートル(剣崎灯台観測値)

    0700起床。食欲がない。起きてすぐ出港できるように帆装を解いていなかったが、南西の風が強い。出れないこともないような気もしたが、寝不足もあって出港しないことにしてしまった。

    封筒型のしっかりした寝袋を使っているが、寝返りを打つと体にまとわりついて眠りにくい。同じタイプの寝袋を使っている船がほかにもあって、そこでは快適に眠れているという。毛布を何枚か用意して気温に合わせて使えば、もっとよく眠れるだろうか。

    雨雲の移動予想を見ると、昼前から強い雨が降ることになっている。その前に、MMFを出よう。強風下で解装をおこなう。風にあおられてセイルが舞う。キャビンに取り込んで船内で丸めてしまう。次回、畳み直すこと。

    0930下船。Princess Bay IIの船長と一緒に、宮川町のバス停から三浦海岸駅に向かう。バスのなかで、先日出版されたセイリングクルーザーによる日本周航の航海誌を紹介される。

    この本の著者は、航海の準備段階から航海中の記録、プレジャーボートに関連する意見を自分のWebページで公開している。そのWebページに書きためてきた内容をベースにして、一般の読者に向けた記述を大幅に加筆しているようだが、いまのところ購入する予定はない。

    この本の著者はYacht BBSや知り合いのブロガーを利用した巧みなプロモーションを展開している。この本を紹介しているブロガーやYacht BBSの投稿を見るとおおむね好評だ。そういう多くの反応を見ていると、自分の考え方や感じ方というのは実にマイノリティなんだなと思う。

    三浦海岸駅からPrincess Bay IIの船長と共に横浜へ。3月最後の週末は所用があって「阿武隈」に行かない。

    早春の夕暮れに帆走する

    3月21日土曜 晴れ 南南東の風 風力5から6(阿武隈独自基準)

    1140自宅出発。三浦海岸駅を出発する剱埼経由のバスに時間を合わせたつもりだったのに、平日の時刻表を見ていたことに京急に乗ってから気が付く。三浦海岸で降りて食事をしながらバスを待つか、三崎口で降りて一刻も早く上船するか。迷って迷って後者を選ぶ。三崎口駅のバス乗り場は長蛇の列。道路は渋滞。駅前で食事をして城ヶ島行きバスを待つ長い列を飛び越して1345バスに乗る。1415栄町バス停につく。

    1415阿武隈上船。予報通り南風が上がってきた。艤装は30分もかからずにできたが、そのほかの準備に手間取る。1545出港。南南東の風が吹き付けている。前回着岸に失敗した風だ。右隣のSILVER WAVES IIにぶつからないよう、後進一杯で抜け出す。港の出口に南からのうねりが押しよせて「阿武隈」が進まない。機関を回して突き進む。

    1600セイルアップ。ジブセイルとワンポイントリーフを入れたメインセイルの組み合わせを選ぶ。「阿武隈」がゆれて、ラフのリーフリングがグーズネックのフックにかからない。ようやくメインセイルをあげてジブセイルもあげる。

    右舷開きのクローズホールドで南東に進んでいたら定置網のブイにかかりそうになる。南西に向かおうとタックを打ったら操船ミス。「阿武隈」が時計回りに一回転したらジブセイルがフォアステーに絡み付いてしまった。いかーん、こんな強風ではフォアステーに負荷がかかって最悪切れてしまう。しかし、うねりと風に翻弄されて「阿武隈」が思うように動いてくれない。なんとか、反時計回りに一回転して絡んだジブセイルを元に戻し、帆走を再開する。この処理に15分かかった。

    城ヶ島を越えるまではタックタックで南に進む。スプレーをずいぶんと浴びた。南東に進むと3〜4ノット。南西に進むと6〜7ノット。西に流れる海流のせいか、日が当たって藻の発育がすこぶるよろしい左舷船底のせいか。ぼんやりとだが大島が見える。太陽は傾いてあたりは夕暮れの準備に入っている。



    城ヶ島を越えたら西に進む。「阿武隈」を左舷開きのクローズリーチで進める。大分楽になった。

    1720反転。きょうの日没は1753。きのうは春分の日だった。クローズリーチで東に進み、MMFを越した辺りでジャイブジャイブのクォーターリーで北上する。MMF前の海域がうねっていて、セイルダウンと着岸準備をどうしようかと思ったが、なんとかその場でこなす。1820帰港。


    着岸で(たぶん)「Deneb」の船長に支援していただく。前回の失敗を繰り返さずにすんだ。

    今回のように左舷前方(進入する桟橋から押し戻され離される方向)から風が吹くときは、デッドスローで速度を維持したまま、浅い角度で斜めに 突入 し、ぶつかる寸前に後進一杯で減速する。桟橋に降りたらすかさず、ミジップの係船索をクリートにかけ、次いで風上側のバウラインとアフトラインをかける。今回はこれでなんとかなった。流されてほかの船にぶつけるより、自分の船を桟橋にぶつけるほうがいい(桟橋から離される強風条件でもピタリと係留できるのがベストなのだが)。

    きょうは「阿武隈」に泊まる。明日の朝、状況によっては出港するつもりなので、セイルはそのまま。ただ、帰港してから風がかなり吹いてきたので、固縛を厳重に行う。

    パックご飯を温めようとしたら鍋に入らない。嗚呼、パックご飯が入る唯一の鍋は海に沈んでしまったのだ。やむをえず、味の濃そうなインスタント赤だし味噌汁の倍量スープにバックご飯を投入、そこに中国生産のレトルト水煮根菜加えてかさ増しした雑炊を作った。うっ、意外と味が濃くて腹にたまる。

    夜になって、風はますます強くなってきた。ところどころに雲があるがおおむね晴れている。オリオンが西に傾いている。もうすぐ冬が終わる。2200消灯予定。

    晴れた港でインドアモード

    3月16日 月曜
    晴れ 南南西の風 風速12メートル(剣埼灯台観測値)

    1030自宅出発 1230MMF到着。駐車場受付棟でハーバーマスターと会う。夕方風が吹き上がる予報だったので相談。出港を見合わせる。疲れがまだたまっている。

    阿武隈上船。ミジップの係船索が切れていた。切断してほつれた部分をカットしてセージングしてから、係船索をはりなおす。いままでミジップの係船索はハリヤードウインチからジブシートウインチへ渡していたが、これをジブシートリーダーからジブシートウインチにかけるようにした。トゥーレールと当たる部分には靴下を輪切りにしたすれ止めを雑索で巻く。


    3週間動かしていないので、“ヒゲ”も生えてきた


    ミジップの係船索が切れていた


    張りなおしてすれ止めも巻く

    ノートPCで調べものをしながらキャビンで過ごす。港のなかは至って静かだったが、1400から風が急に上がってきた。その風も1500に一旦落ち着く。

    「OFF」の船長と会う。風が上がる14時前に帰港したそうだが、それでも、2ポイントリーフと4分の3だけ出したジブシートの組み合わせで5ノット出たらしい。



    南の風だが海で冷やされるのか寒い。何をするわけでもなく、PSPでずっとアメフトのゲームをやる。いい試合で満足する。

    1645下船。また風が上がってきた。

    ハンブルクのマリーナ?に行った

     3月最初の土曜日にドイツから帰国する。ハンブルクに滞在したが、朝の7時にICEでハノーバーに向かい、夜の23時をだいぶ過ぎたあたりにICEでハンブルクに戻ってくる毎日だったので、歴史のある、そしてドイツ最大の港湾都市というこの街のことは家電量販店の「SATURN」以外に何も知らない(ハノーバーは中央駅にあるフードコードとスーパーマーケットだけ知っている)。

     それでも、帰国する土曜日の朝に1時間だけ自由にできる時間を作れた。さて、どこに行くか。港湾地域とその周辺にあるというマリンショップは朝早すぎてやっていないだろう。できればハンブルクのマリーナを見たい。いつもは、何も知らないままにうろうろと街を歩くが、今回は事前に調べてから出かけることにした、といっても、それを調べるはずだった金曜日の夜は、連日の睡眠不足がたたって、部屋に着くなりコートを着たまま寝入ってしまった。出発する日の朝に目覚めてから、荷造りをあわてて終わらせて、それから、ほんのわずかの時間で調べることになってしまった。

     Googleでワード検索をしても、それらしい情報は出てこない。GoogleMapの航空写真で外アルスター湖の周辺を探してみると、浮き桟橋らしきものがいくつかある。港湾エリアでは、エルベ川を西に下った空港(国際空港とは別)の東隣に大規模なマリーナがあった。そのままルート検索で宿泊している中央駅エリアからそれぞれのマリーナまでの経路を調べると、外アルスター湖にある一番近いマリーナまで歩いて10分、港湾エリアにあるマリーナまでは距離にして約30キロ、車で30分とでてきた。GoogleMapの路線検索やHVVのWebページにあるバス路線図をチェックしたが、港湾エリアのマリーナに1時間で往復するのは不可能だ。外アルスター湖にあるマリーナを見にいこう。

     名所史跡をしらないまま、ハンブルクの旧市内を歩いた。住宅地は郊外にあって旧市内にはほとんど人は住んでいないと聞いていたが、それでも、ローカルのコンビニや学校(跡地か?)があって普通の生活を感じることができる。そういうところに、いきなり教会がにゅっ、と建っていて驚いたりする。

     もっと歩くかと思ったら、ほどなく外アルスター湖に着いた。ハンブルクの有名な観光名所なので、「外があるなら内もあるの?」という疑問は、個人のBlogや旅行情報Webサイトでいくらでも調べられる。ハンブルクに半年滞在していた「YeeHaw」のTKさんによると、外アルスター湖は冬季に氷が張るという。しかし、2009年のハンブルクは地元の人が「暑い暑い」とふぅふぅするほどに暖かく、湖は折からの風に吹かれて波立っていた。

     中央駅からさほど離れていないところにあった浮き桟橋は、クラブハウスを併設した規模がごく小さいものだったが、デイセイラーが水上に係留され、ガフにクラブ旗を掲げた本格的なマストが立っているなど、小さいなりに威厳のあるマリーナ(クラブハウス?)だった。

     ジョギングにいそしむ人たちと一緒に遊歩道を歩いたのち、ホテルに戻ってチェックアウト。ハンブルク中央駅から空港に向かうバスに乗り、現地時間の11時にハンブルクを離陸。フランクフルトで乗り換えて、日本に向かう機内でこの文章を書いている。日本に着くのは日曜の朝。



    外アルスター湖で街の中心部に近いところにあった浮き桟橋。ハンブルク帆走クラブという意味だろうか


    隣接してローボートのクラブハウスもあった。設立年がとにかく古い


    そのクラブハウスの前に、年代ものの木製アウトリガーカヌーとセイリングクルーザーの船首部分が放置されていた。ひょっとしてオブジェとしてレイアウトされていたのかも


    外アルスター湖で街の中心部に最も近いところにあった浮き桟橋。デイセイラーが水上係留されている