阿武隈 twitter版

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    海の上でベーコンを焼く

    3月22日 祝日 くもりのち晴れ 北東の風 風力3から2

    「ごめん、私はもう寝ます」と書いてからスライスした干し肉を口にしたら、これがとてもうまかった。これは、一人で食べたらもったない。なかなか夜襲をかけてこない「YeeHAW!」のメンバーをこちらから呼びに行き酒宴。結局寝たのは日付が変わって大分過ぎた時間になった。

    で、結局朝起きたのは日が大分昇った0800だった。冬から春先にかけて寝袋を使っているが、いつも体にまとわりついて寝苦しい。毛布を使って寝たら快適だった。やっぱり船らしく毛布に替えよう。

    管理棟に出港届けを出す。ヘッドセイルにゼノアをセットしていたが、北東の風が意外と強いので、ジブに交換する。準備が整い出港、と思ったら、機関が始動しない。バッテリーターミナルの締め具合を見直しても問題なし。結局、機関室にある、(オリジナルの)メインスイッチブラス側端子のサビをブラシで磨いて解決。

    0930、出港。セイルの固縛を解いて揚索を引こうとしたとき、メインセイルに揚索をつけ忘れていたことに気が付いた。固縛を解いたセイルがあおられないように風を船尾から受けて相対風速を抑え、揺れる甲板で作業してようやくセイルを揚げる。

    ジブとフルメインの組み合わせで帆走。クォーターリーでジャイブを重ねつつ、南と西に向かう。南西ブイを目指したが、1100あたりから風が落ち始める。これはとても届かないと思い、反転。MMFに向かう。クローズホールドでタックを重ね、北と東に向かう間にもクローズホールドでないと走らせられないほどに風は落ち、1200、ついに風がなくなった。ジブを降ろして機帆走に移る。

    きのうの夕方まで南西の風が吹き荒れていたが、今日の海はうねりもなく穏やかだ。それならばと、その場で漂泊しながら、ギャレーで厚切りのベーコンを焼いて、ちぎったフランスパンと一緒に食べる。

    1230、食べ終わってMMFに向かって前進開始。1300、無事帰港。解装して1500、下船。露出していた手の甲が赤く焼けていた。

    思いのほか寒くなった夜

    3月21日 日曜 晴れ 北東の風7メートル(剣埼灯台観測値)

    朝まで風雨が吹き荒れたが昼前には晴れ上がった。ただ風は強いままだ。早めに「阿武隈」に行ってオートパイロット電源コネクタを取り替えようかと思ったが出発が遅れた。

    1600、自宅出発。1740、三浦海岸到着。海岸沿いのマックで時間を潰してバスを待つ。1930、「阿武隈」上船。強い南の風がマストを鳴らしていたが、セイルをセットするほんの少しの時間で風が落ちてしまった。

    船でスパゲティーを茹で、たぶん夜襲をかけてくるであろう「YeeHaw!」メンバーに貢ぐつもりで持ち込んだ洋酒をなめなめ、本を読んでいたら2200には眠くなってしまった。ごめん、私はもう寝ます。

    風が北東に変わって上がってきた。明日は夜明け前に出港する予定。2200、港内のサーチライトが消えて一面の星空。西に三日月とオリオンが沈み、南天高く獅子がいる。もうすぐ春だ。明日は春分の日。

    #左舷ジブシート用ウインチが固い。要分解整備。

    冬眠するマリーナ

    3月6日 土曜 晴れ

    所用でハンブルクに1週間滞在した。いつもの海外滞在と同じく、宿舎とハノーバーにある会場の往復で1日が終わって、その土地のことは何も知らないまま滞在期間が終わった。

    帰国する日の朝、7時から8時までの1時間だけ自由に使えることになった。今回こそは港を見に行きたかった(週末になるとハンブルクの地下鉄は24時間動いている)のに、用事がギリギリまで終わらず、結局、前回同様、外アルスター湖にある帆走クラブのポンツーンを見に行くことになった。

    ハンブルクに留学したことがある「YeeHAW!」のメンバーに「湖が凍るんだ」と聞いていたが、暖冬だった前回は氷どころか雪さえなかった。しかし、往路の飛行機でハンブルクに住む日本人に聞いたところ、今度の冬は13年ぶりに凍結して市民が氷上で遊んだという。さらに、滞在中の北ドイツは悪天候が続き、帰国前日の夜から吹雪になった。

    その吹雪がやんだ早朝。ホテルを出て外アルスター湖を目指す。ほどなく全面が凍結した外アルスター湖に到着した。ディンギーは雪に埋まり、前回きたときに桟橋へ係留していたディセーラーはどこかに陸揚げされたらしく見当たらない。

    辺りは静寂。白く広がる凍結した氷面に射し始めた太陽でできた影が長く伸びる。時間が経つとともに長かった影は短くなり、昇る太陽に照らされて氷面が淡く染まった。染まった氷面が白く輝き始めるころ、宿に引き返した。

    早朝に離陸する便はキャンセルが相次いたが、オーストリア航空は予定通り出立し、ウィーンを経由して日曜の朝、日本についた。

    津波到達時刻に情報遮断

    2月28日 日曜 雨

    チリ地震で発生した津波が2月28日日曜の昼過ぎに日本本州に到達するという。

    この日は大潮で、本州の太平洋沿岸に到達する13時ごろは満潮の3時間ほど前の上げ潮。さらに前日から南のうねりが押し寄せていた。

    これはタイミングが悪い。本当ならMMFで警戒したいところだが、ちょうど津波到達予想時間は所用で「機上の人」だった。

    いまや、世界のどこにいてもネットワークにアクセスできれば日本の情報をチェックできるが、飛行機のエコノミーではどうにもならない。津波で「阿武隈」がどうなったか、情報遮断の機上で14時間あまりやきもきすることになってしまった。

    ちなみに、式根島から三浦半島のMMFまでダイレクトで帰ったとき、帆走で15時間程度かかったが、その間、FOMAとソフトバンクモバイルは全航程で圏内だった。ネットワークが使えて便利と思うかネットワークから逃れられなくて不便と思うかはその人次第。

    船舶免許更新でスクランブル

    2月23日 火曜 晴れ

    係留申請書類に添付する船舶関係書類を「阿武隈」から2月21日にピックアップしてきた。で、その夜に写しをとっているとき、面倒なことに気が付いた。「のあー、船舶免許の有効期間があと三日しかない!」

    失効しても講習を受ければ再交付されるが、このときは諸々の事情が重なっていた。

    ・3月第一週までに係留申請を提出しなければならない
    ・係留申請には有効な船舶免許の写しが必要
    ・2月最後の週末は日本不在

    なんとしても、あと三日で免許を更新して係留申請を提出しなければならない。どうする?

    検索すると、23日の昼に麹町で更新講習がある。それに出て、青海の運輸支局にダッシュすればなんとかなるか。

    しかし、その日は所用が朝と夕方に入っている。運輸支局の自己申請にどれだけ時間かかるかが鍵。たしか、以前横浜で申請したときは短時間で終わったはず。

    というわけで、23日。1145、麹町到着。1230講習開始。1330講習終了。1420、運輸支局到着。1440、自己申告終了! 新しい免許を手に入れた。

    Tipsは「申請用紙は鉛筆で記入」