阿武隈 twitter版

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    第二次保田沖海戦

    保田沖海戦の興奮冷めやらぬ8月末、湾マリ水軍より電文あり。

    「ワレ、9月19日に、保田沖に出現セントス」

    これを迎撃して前回の汚名をすすぐべく、三浦水軍と「阿武隈」で戦ったゲストを召集する、が、“三連休の中日”という絶妙なタイミングゆえ、阿武隈の“若い“ゲストはすでに予定が埋まり、三浦水軍の各艇も整備やレースで動きが取れない。

    結局、19日の朝の時点で稼動可能な三浦水軍は「阿武隈」一隻のみ。乗組員も私と「Pricess Bay II」船長の二人だけだった。しかし、Twitterに流れる「湾マリ水軍これより出撃」「東京湾を順調に南下中」の行動報告を聞きながら、ギャレーで作った“塩辛い豚ステーキ”で英気を養い意気軒昂。さらに、いよいよ出撃となったころあいに、仕事が忙しく参加困難といっていた「阿武隈」ゲストから「港に向かって移動中。まもなく到着予定」と入電。やった、砲手が規定の2名になった。これで互角に戦える。

    ゲストの到着を待って1245出撃。程よい南の風を受けて、ゼノアとフルメインの帆走で進撃する。1400、保田沖に到達。今回湾マリ水軍はアルバトロッサー26の「kamekichi 」で戦うと伝えてきた。船体の色は紺。そして、大漁旗を掲げているという。しかし、あたりに「kamekichi」らしき船影は見当たらない。あの船がそうじゃないか、いや違うようだ、と索敵を続けること30分、11時の方向に大きなパイロットハウスを載せた「kamekichi」を発見。阿武隈もゼノアを降ろし、水鉄砲を装填して砲手が配置について戦闘準備を整える。

    相手はソレイユルボンと同じクルージング艇だが、ベテランの湾マリ水軍ゆえそうそう風上は取れないだろう。そこで、水流が風に押し戻されて射程距離が稼げない風下の不利を少しでも克服するべく、砲手は戦闘舷の中甲板舷側に陣取り少しでも敵艦に近寄る。そして、最も勢いのある“初弾”をいかすため、敵が先制して撃ってきても耐え忍び、敵の砲手が正横にきた瞬間に初弾をぶち込む作戦を取る。「阿武隈」も砲戦距離を詰めるため、ぎりぎりまで敵艦に近づけるつもりだ。

    互いに声が届く距離まで近づき、船を風にたてて挨拶を交わし、それぞれ左右に分かれて海戦が始まった。距離をおいてからほぼ同時にタックを交わし、両船は互いの風上を取るべくクローズホールドで接近する、が、やはり、「kamekichi 」が風上をとって阿武隈の左舷前方から迫ってきた。「阿武隈」も「kamekichi 」に肉薄すべく、右舷舷側を目指して突撃する。

    「左舷砲戦用意!」で阿武隈の砲手を務めるゲストとPrincessBayII船長が配置につき、「圧縮開始、撃ち方用意!」で敵に照準を合わせる。しかし、この段階で射程が長い「kamekichi 」が先制して撃ってきた。水流が次々と命中するが、阿武隈は耐え忍ぶ。ほどなく、「kamekichi」が正横をすれ違い、手を伸ばせば敵の水鉄砲を奪えるほどに接近した。「てぇーっ!」ブッシューと噴出音を立てて満を持した阿武隈の初弾が「kamekichi」の砲手に命中する。

    「やったー!今度はやられるだけじゃないぞおおお」と凱歌を挙げたいところだが、前回、すれちがっても漫然と直進する「阿武隈」がすれ違い直後に風上を取るべく機動した「SIESTA」に翻弄された過ちを繰り返さぬよう、すぐさま「kamekich」iの船尾目指して転舵する。当然、「kamekichi」も「阿武隈」の後ろをとろうとして回り始める。

    互いに敵の風上をとろうとして激しく回り始めたが、風上に回った「阿武隈」は失速してしまう。やはり、湾マリ水軍は一枚上手だ。下手回しで減速することなく回頭した「kamekichi」は再び阿武隈の風上から迫ってくる。こうなったら、また接近して初弾を撃ち込むのみ。かくして、前回にも増して激しい撃ち合いと風上を奪うギリギリの操船が繰り広げられた。

    ほんのわずかだが、「阿武隈」が風上を奪う局面もあった。その、何回目かに「阿武隈」が風上をとって接近したとき、コックピットで操船していた湾マリ水軍司令官が怪しげな動きをみせる。激しく撃ち合ってすれちがう直前、 「kamekichi」のコックピットから滝のような“放水”が撃ち込まれた。「ぐああああ!」アルバトロッサー26に搭載された秘密兵器「加圧ポンプ」がベールを脱いだ瞬間だ。

    その破壊的な威力に「阿武隈」は水鉄砲で挑むしかない。「目標は砲手にあらず!コックピットの湾マリ水軍司令官!」 なぜか、「kamekichi」の砲手たちから歓声が上がる。 「kamekichi」の水流をかいくぐって、湾マリ水軍の司令官に水鉄砲を叩き込む、と同時に「kamekichi」のバケツのような放水も頭から浴びた。

    ここで、タイムアップ。第二次保田沖海戦は終わった。 浴びた水流は「阿武隈」側が圧倒的に多かった負け戦だが、それでも、「kamekichi」に一矢を報いることはできたのではないかという、満足感が「阿武隈」の戦士たちを包む。

    保田漁港に入港する「kamekichi」と別れ、再びゼノアを揚げた「阿武隈」は、南の風を受けて快適な帆走を楽しみつつ、それでも危うく江奈沖の定置網に捕まりそうになりながら、1700、MMFに帰港。みんなに手づだってもらい解装後、船に泊まるという 「PrincessBayII」船長と分かれて三浦海岸の食堂で共に戦ったゲストと海鮮で腹を満たし、バイクで帰るゲストと別れて一人京急で帰宅した。

    共に戦ってくれた 「PrincessBayII」 船長と阿武隈ゲスト、お付き合いありがとうございました。湾マリ水軍「kamekichi」の皆さん、一緒に遊んでいただきましてありがとうございます。また仲良く喧嘩しましょー。

    Note: 「阿武隈」上架

    9月4日土曜 晴れ 南の風5メートル(剱埼灯台観測値)

    阿武隈を上架することになった。8月21日の保田沖海戦に向かう機帆走から速度が出ないと感じていた。そして、その後の出港入港で船の制御が利かなくなり、これはいよいよダメと判断。船底がさほど汚れていないようなので惜しいところだが、狭い港で船が操れずに迷惑をかけるわけにもいかない。

    金曜日に油壺造船所へ連絡を入れると、ちょうど週末に船台が空いていると言う。予約を入れて土曜日の朝に回航する。土曜日、1130上船。機走で向かうのでそのまま出港する。

    三崎港をぬけて相模湾にはいり、岩礁と灯台を遠回りして諸磯に入る。1210油壺造船所到着。テンダーで待っていたスタッフが上船して海に沈めた船台まで操船。船台にのせたところで下船した。あとは、ウインチで引き上げられる阿武隈を見守るだけだ。

    上がってきた阿武隈の船底は喫水とキールの一部に貝が付着するだけできれいだったが、スクリューが団子になっていた。船底は走らせておけばきれいなままだが、スクリューはどうしようもないのか。6月7月に出港できなかったためか、海水温が高いためか、両方か。

    1300、油壺造船所をあとにして徒歩でバス停に向かう。あちらこちら歩いて帰るつもりが、暑さに負ける。バス通りに出て右にいくか左にいくか迷う。左にいったが、途中の食事処は高くて手が出ず。そのまま、バス停から三崎口に向かい、あすなろで定番のサンマーメンをたべる。次は右に曲がってシーボニアバス停近くにあった店でハンバーグを食べよう。

    火曜日に作業が終了してMMFに回航したと連絡あり。低回転時の水温警告音が鳴らなくなったとのこと。水量減少も原因のひとつだったか。