阿武隈 twitter版

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    初夏の微風で帆走する

    5月23日 晴れ 南西の風 風力2(阿武隈独自基準)

    0900起床。そのままバースでごろごろと過ごす。1000艤装開始。1140出港。1200ジェノアとフルメインの組み合わせでセイルアップ。タックタックで南下と西進を繰り返す。

    海面はほぼフラット。空は青空。刷毛ですいたような雲が高い空にかかっている。いつもは昼を大分過ぎてから出港するので光が赤みがかっているのに、きょうは甲板を射す光が白い。光の色で気分が違ってくる。

    野菜ジュースとレトルトのビーフシチューで食事。シチューを温めないで袋から直接チュウチュウと吸っていたら、溶けていない油が口の中にへばりついてしまった。おえー。魚肉ソーセージでのどに流し込む。

    風が徐々に上がってきた。ゆっくりとだが快適な帆走。本船航路を越えて、さらに南下する。

    1230 剣埼灯台を30度、安房埼灯台を330度にみる。
    1300 剣埼灯台を15度、鋸山山頂を70度にみる
    1400 富山山頂を90度、安房埼灯台を20度にみる
    1430 富山山頂を90度、城ヶ島灯台を0度にみる
    以上、すべて磁方位

    1430、反転して帰路につく。ジャイブジャイブで北上と東進を繰り返す。1530ごろから本船航路と交差する。南下するときはほとんどいなかったのに、この時間は東京湾から出てきて伊豆半島南端を目指す本船が次から次へとやって来る。

    1615 機関始動。風が落ちて機走に移る。ヘッドセイルだけでなくメインセイルも降ろしてしまったら、ローリングが激しくなって不快。

    1700 帰港。機関停止。解装
    1830 下船

    港はまだ明るい。

    金曜の夜に港へ行く

    5月22日 曇り 南の風5メートル(剣埼灯台観測値)

    2200会社を出る。食事をとって品川から京急にのって三崎口にむかう。地下鉄直通が3本続いて待たされる。2230発に乗ったのに、阿武隈に上船できたのは0100だった。

    三崎口のバス停は長蛇の列だがバスも二台まとめてくるので問題ない。駅前の店はすべて閉まっていた。港にむかう道で小雨に降られる。船について少しくつろいで0130消灯。

    四連休を陸で過ごす

    5月18日 雨嵐 南の風19メートル(剣埼灯台観測値)

    大型連休が終わった次の週末に金曜月曜と代休を組み合わせて四連休をこしらえた。2008年に2回挑んで2回引き返した式根島を目指すつもりだった。

    しかし、土曜日曜と南風が吹き荒れる予報になった。帰りはいいが行きはどうなる。式根島の野伏港は北風に守られているが往航で寄港する予定の波浮港は南に口を開けている。土日月と南を塞がれたら休みが終わっても波浮から動けなくなる。

    うーーーん。迷って迷って断念。四連休は船に行くこともなく陸で過ごした。ぐだぐだでかえって疲れてしまったなっ。

    港で眠り続ける

    5月10日 日曜 晴れ 南西の風10メートル(剣埼灯台観測値)

    1030自宅出発。1300MMF到着。まるよしで昼食。おばあさんに先日いただいたアマリリスのお礼をいう。

    管理棟のPCが新しくなっていた。おおおおっと、トライジェムのNettopだ……。また渋いベンダーを選んだなー。ついつい、いじくり回して珍しく管理棟に居続ける。

    そのうち、レースに参戦していた「ハルカゼ」と「Barbarian」が相模湾から帰ってきた。話を聞くと、相模湾側はとても時化ているとのこと。きょうは、なぜか「三浦海岸駅で降りるつもりが寝過ごして三崎口」なほどに疲れていて、船を出すか出さぬか決めかねていたが、この一言で「港で寝るっ」ことにする。

    その後は、1400に上船してから1730に下船するまで、甲板でクォーターバースでセティーバースでフォクスルで、ごろごろごろごろと眠り続ける。途中、機関を動かしてスクリューを回し、先日の宴会で動かした物件を定位置に戻す。

    とにかくきょうは眠かった。

    阿武隈に大人5人が泊まる

    5月5日 雨 北東の風

    阿武隈に大人5人が泊まる。ソレイユルボンに確保できる睡眠スペースは大人3人分が限界だ。どうしても2人余ってしまう。

    無理な態勢で5人を寝せるのではなく、順次交代の当直体制を経験してもらうことにした。私は寝ずの番で、残り4人は2時間交代で当直にたってもらう。3人はフォクスル、クォーターバース、セティーバースに寝る。ただし、テーブルはあげたままで、その前後に当直員が座る。

    2200の当直開始から2交代まではデッキで横になれたが、0200から雨が激しく降り始めてキャビンに閉じ込められる。コックピットハッチ側の席はせまくて体が休まらない。これは不覚だった。結局コックピットハッチ側に座った当直員に無理を強いることになってしまった。

    私は0300あたりから前方座席で寝入ってしまい、夜が明けた0600以降はクォーターバースで寝かせてもらった。

    0900、鍋の煮汁にご飯を投入して朝食。雨が降り続けてキャビンでのんびりと過ごす。1230下船。まるよし食堂で昼食。1400、宮川町バス停から三浦海岸駅にむかう。終始雨が降り続け、風が冷たかった。

    阿武隈にゲストが泊まった

    5月4日 曇り 南東の風 風力4(阿武隈独自基準)

    ゲストはおろか家族もめったに来ない「阿武隈」に妹さん夫婦が来船した。無理のない時間で行動してもらうために、午後に上船、日没前にゆったりと食事、船に泊まって、翌日の朝に 軽く 帆走、昼前に下船。まるよしで食事して午後は自宅でのんびり、というプランをたてる(以前、KAZIで紹介されていたものだ)。

    横浜駅で集合して京急で三浦海岸駅に。駅前のスーパーで食材を調達してバスで宮川町にむかう。バスがえらく混雑していたが三浦霊園前でほとんどの乗客は降りてしまった。

    1430MMF到着。「阿武隈」上船。ほどよい風が吹いている。翌日は雨が降る予報だったので海に出るならきょうしかない。みんなにくつろいでもらっている間に、艤装を進める。

    1530出港。総勢5名。桜印の救命胴衣を身に付けてもらう。帆走にちょうどいい風だったが、波が高い。ジブとワンポイントリーフのメインの組み合わせでセイルを揚げる。クローズホールドからやや落とした右舷開きで東にむかう。ほどよいヒールで快走するが、やはり波が高い。スプレーをあげないように操船する。

    普段はシングルハンドなので、乗員の配置に苦労する。後甲板両舷に1人ずつ、私の対面に1人、コンパニオンハッチに1人配置していたが、コンパニオンハッチの乗員が「目が回る」といい始めたので、私(操船担当)と後甲板乗員の間に入れる。ソレイユルボンのコックピットは、片舷に3人並ぶとシングル操船で支障が出始める。

    帆走30分で反転し帰港の途に着く。MMFの入り口でセイルを下ろし機関をかける。フェンダーと係船索を港内でセットしようと思ったが、まだ舵を任せられる乗員がいないので、港の外でセットする。1630帰港。翌日雨が降る予報なので即刻解装する。手伝ってもらえたので短時間で済んだ。ありがとう。

    女性乗員が管理棟でシャワーを浴びている間に、船に残った男性乗員で鍋の準備をする。日が暮れる前に夕食。楽しく陽気に過ごす。鍋を食いつくした後は妹さんのウクレレでハワイアンを聴く。淡い音色になごむ。

    カードで盛り上がって22時に消灯。

    南の風に閉じ込められる。

    4月26日 晴れ 南の風18メートル
    (剣埼灯台観測値)

    昼過ぎにMMFに着く。宮川町に向かうバスから海を見下ろすといたるところで白波が跳ねていた。出港せず、キャビンでくつろぐ。この週はとても疲れていたのでちょうどよかった。

    久しぶりに塩漬けの豚肉を持ち込んでキャビンでゆでる。大鍋を補充していないので、パックご飯も投入して雑炊にする。


    南から波が入ってきて船が揺れる。本を読んでいるうちに寝てしまう。1時間ほどで起きて、機関を始動してスクリューを回す。船底を塗ってからまもなく2年が過ぎようとしているが、スクリューは勢いよく海水を送り出している。ジンクが2年持つのは前回の上架で確認している(そのときも2年ぶりの船底塗装だった)。

    フォアスプリングを調整するため、後進をかける。アフトスプリングが伸びきった位置でフォアスプリングの長さを決める。風に流される量が減った。

    甲板で使っている雑索の末端処理を行う。ほつれたエンドをナイフで切り落とし、タコ糸で縛る。 

    日没とともに下船。祝日の29日は陸で過ごす。