阿武隈 twitter版

    follow me on Twitter

    米空母を求めて帆走する

    12月12日 日曜 晴れ 北北東の風 風力6(阿武隈独自基準)

    早く起きたのに不覚にも二度寝。再度起きて食器洗いと洗濯干しをこなして11時。さてどうしようか。とにもかくにも港に行こう。

    モトラを駈って三浦半島に急ぐ。行楽移動のピークを過ぎたのか渋滞知らずで三浦半島南端に到達。高台から海を見下ろすと城ヶ島の遥か南西沖にニミッツ級航空母艦が見える。東に向かってゆったりと航行している。むお!いまから出撃すれば迎撃できるか?

    急いでMMFに向かい1330「阿武隈」上船。緊急艤装を進めるも1415出港。1430、レギュラージブとワンポイントリーフのメインをあげて北北東の風を受けて南下する。

    海上からは米空母が見えない。きょうに限って、AIS が使えるPCがバッテリー切れで使えない。すでに東京湾へ入ってしまったか。その東京湾から客船が接近してくる。ふじ丸かにっぽん丸か。残念ながら客船に疎い私には分からない。

    下手に回して西に向かう客船と並航する。そのさき、遥か遠くに米空母の細長いシルエットを発見した。転針するのかときおり艦影を変えながら遥か南を東に進む。そのシルエットがすでに高度を低くした太陽の光を反射する海面を横切った1530、「阿武隈」を反転させて港に向かう。

    薄雲を透かしてだるまのように二段に膨らむ夕日を背に詰め開きで帆走する。頭から波を被る状況だったが、5ノット前後と思いのほか速度が出ず。1630、日没。両色灯と船尾灯を着ける。同時に剱埼灯台が、ついで安房埼灯台、そして、やや遅れて城ヶ島の灯台が光り始める。

    そのままMMFに「阿武隈」を進め、風上にたって舫とフェンダーを準備し、セイルを降ろす。と、このときまったく同じ型の漁船が、阿武隈を挟んできれいな横列を組んで反航してきた。いかん、網に捕まるかもしれない!操業中を示す形象物も燈火も掲げていないが緊張して漁船がすれちがうのをなすすべもなく待つ。が、幸い何も起こらなかった。

    そのまま、MMF港口にすすむ。船外機の無蓋漁船多数が遊弋している。かなり接近しないと視認できず。夜間航海時に注意すべし。

    1700、MMF帰港。すぐ解装にかかるが、なぜか手間取り時間がかかる。空腹に耐えられずパイン缶を1つ消費。1830、下船。「阿武隈」の舳に三日月が架かっていた。

    船に泊まって風邪をひく

    11月27日 土曜 晴れ 南西の風 風力7メートル(剱埼灯台観測値)
    今度の週末は半月だ。GPVの予想を見ると日が落ちてから夜半過ぎまでいい風が吹くという。ただ、夜半過ぎると一気に風が上がってくるようだ。よっし、moon night sailingだ。
    しかし、土曜日の出立が遅れてしまい、MMFにつくのが日没後になる見込みに。日が沈む前に出港して日没は海の上で迎えたかった。夜の海に出ていくのはいまだに怖い。が、しかたがない。
    1900、「阿武隈」上船。あれ、月が出ていないな。潮汐を調べたら月が昇るのは22時過ぎ。いっけなーい。上弦と下弦を勘違いしていた!真っ暗な海に出ていくのはいやじゃのー。とはいえ、月が出る22時から出たんでは吹き上がる強風のなかでセイルを降ろすことになる。これも避けたい。風はちょうどいいんだがなあ。と、逡巡したあげくあきらめる。強風が吹く可能性があるなら夜が明けてから出港しよう。翌朝に備えて2100消灯。
    0300、寒さに目が覚める。甲板に出ると月光に照らされて辺りが青白く輝いていた。が、西風も唸りをあげて吹きまくっている。0430、予定していた起床時間になったが風はますます募ってきた。MICSは、剱埼灯台観測値を南西16メートルと報じている。これは無理だ。出港をあきらめて夜が明けてから解装する。
    そのまま、11時過ぎまでごろりとすごし、宮川町からバスに乗って帰った。結局、11月は一度も出港せず。体を冷やしいたせいか家についたら急に咳止まらなくなり二日ほど寝込んだ。

    船に泊まって出港せず

    11月20日 土曜 晴れ後曇り 北東の風5メートル(剱埼灯台観測値)

    月曜日に代休をとって4連休にできた。さて、どこに行こうか。食料と燃料と清水は三宅島巡航で用意した分がまだ残っている。

    問題は天気だ。土曜日と月曜日の雨はいいとして、火曜日に低気圧が通過して時化る予報になっている。その一方で月曜日は風が吹かないという。まずは大島、条件がよければ新島までいって、月曜日に戻る感じか。

    しかし、金曜の夜に職場から港に直行できず、さらに朝方まで眠れなかったのが失敗だった。土曜日起きたのは昼過ぎ。夕方に自宅を出たものの、乗り継ぎがうまくいかず「阿武隈」に上船できたのは22時に近くなっていた。ちょうどいい北東の風が吹き満月が海を明るく照らしていたので夜間航海にはちょうどいい条件だったが、疲労甚だしく出港を断念。

    翌朝、薄明出港を目指して消灯するも、起きられたのは0830。十分な時間寝ているはずなのに頭のもやがはれない。手先が決まらず足元がふらつき目の焦点が定まらない。なんと、音声通話用の携帯電話も忘れていた。これでもう巡航する気力がなくなってしまった。

    解装してオートパイロット配線の修理に手をつけるが電流電圧計がバッテリー切れで作業が進まず中断。エンドがほつれたリーフ用ロープとバウスプリングの端処理をして、1330、下船する。


    船で寝て過ごす

    11月14日 日曜 曇り 北東の風2メートル(剱埼灯台観測値)

    土曜にチェックしたGPV予想で、無風と思っていた日曜に、ほどよい南西の風が吹くという。んん、期待と共に電車バスでMMFにむかう。しかし、そのほどよい風は午前中で止んでしまった。

    1230、「阿武隈」上船。何をするでもなく、クォーターバースで寝てしまう。1500、寒くて目が覚める。そのままぼぅと過ごして、なにもせぬまま、1600、下船する。ちょうど風車が回り始めた。曇ったままで風が冷たい。

    モトラで134号を走る

    11月7日 日曜 晴れ 風弱く

    久しぶりにモトラで出撃する。テールランプが直っていないので、日没前に自宅に着かないといけない。逆算すると1430がMMFを出るタイムリミットになる。

    1130、「阿武隈」上船。荒天準備で降ろしたブームを戻し、二重にした舫もシングルに戻す。

    荒天準備を解装して、機走で三崎港を巡ろうかとも思ったが、エンジンを響かせて船を進める気にもなれず、そのまま船で食事を作り食べて寝て過ごした。1400、下船。

    帰りは、池代から衣笠を経て逸見で16号に抜けるいつもの道ではなく、134号の海沿いを走って16号に出る道をモトラで走った。うん。次からはいつもの道で帰ろう。

    10月の最後は荒天準備

    10月30日 土曜 雨 北東の風9メートル(剣埼灯台観測値)

    台風14号がやってくる。予報は関東上陸の可能性を示しつつ、週末が近づくにつれて伊豆諸島を通過するコースにシフトした。

    台風が南を通過するなら風は北寄りになる。MMFは北側を高台に守られているので北風に強い。しかし、コースがずれて関東上陸となれば南から風は吹く。その可能性は低いようだが備えるに越したことはない。土曜日の朝になったら港に行き、風が吹き上がる前に荒天対策を済ませよう。

    0930、「阿武隈」上船。普段使いのもやいの上に、巡航用の20メートル係船索でスターンから一筆書きのようにスプリング、バウラインをひく。船側のクリートが小さいので、増しもやいの固定に苦労する。次いでブームを下ろし、メインシートで縛って固定する。ブームキッカーはバングのシートを使ってブームに固定した。

    作業は30分で終了。雨が強くなっていたが風はそれほどでもない。しばらくキャビンで休んで、1130、下船。朝は多くのメンバーが MMFにやってきて各々荒天準備作業にいそしんでいたが、ほとんどが引き上げていた。

    残っていたのは「みらい」「Snow Light」「off」という実に濃厚な船長たちだった。「これから(あるものを使って)飯炊きの実験をするんだ。へっへっへ」と盛り上がる「MMFのヌシ!」を管理棟に残し、私は宮川から脱出した。

    穏やかなMMFに帰港する

    10月15日 金曜 曇り時々雨のち晴れ、北の風 風力6から1(阿武隈独自基準)

    大島の緯度に到達しないうちに日付が変わってしまった。すでに三宅島坪田漁港を出港してから12時間がたっている。風が北に回りMMFに向かうには間切って進むしかない上に、西に向かって流れる潮の影響を受けているらしく、東に向かうと対地速度が3〜4ノット前半までしか出ず、西に向かうと舳先は磁方位330〜350度を示すのにGPSの針路は300度前後まで落ちてしまう。ただ、メインセイルをワンポイント分宿帆したおかげで、舵柄を引く力はほとんどいらなくなった。

    夜間帆走中にコンパスの表示が見えにくくなった。目が疲れてきたせいだろうか。キャビンを見ると、データ通信手段として使う携帯電話(Xperiaむにゃむにゃ)を充電するアダプタのパイロットランプが消えている。が、まだ充電は終わっていない。ん?
    バッテリー電圧が下がったか。試しにバッテリーを舶用電装系から機関始動系に切り替えると、携帯電話の充電が再開しただけでなく、両色灯と船尾灯、そしてコンパス照明が明るく輝き、コンパス示度が問題なく見えるようになった。

    17時に点灯してから8時間が過ぎ、あと4時間以上は点灯しておかなければならない。夜が明けるまで帆走が続くとして、両色灯と船尾灯を13時間使うのに必要な容量は(10ワット+10ワット)/12ボルト×13時間≒約26アンペアアワー。ほかに、航海ソフト端末として使う携帯電話(X02HT)のバッテリーを充電したが、せいぜい4ワットアワーを2セット。舶用電装系バッテリーは12ボルト35アンペアアワー。うっ、ぎりぎりか。かといって機関始動系のバッテリーには手をつけたくない。オルタネータが35アンペアアワーなので、1系統のバッテリーは35アンペアアワーが適正サイズと思うが、もう少し大き目のものが必要か、もしくは舷灯系バッテリーを増設するか。

    とにかく、帆走中なれどエンジンを1時間回して充電。未明にもう一度機関を1時間回して充電。バッテリーの管理に神経を使う航海になるとは思わなかった。

    0130、タックして大島に向かう。大島の北を交わせるかと思ったが、角度が出ずまだ安心できない。1時間ほど帆走しているうちに左に竜王埼灯台、進行方向に風早埼灯台の光が見えてきた。しかし、雨交じりの闇夜ゆえ、島の姿は見えてこない。不思議なもので、大島が目の前に横たわっていると思うと、たとえ、GPSが「阿武隈」は大島と房総半島の真ん中にいるといっていても、すぐ目の前に大島の海岸線があるような錯覚に陥ってしまう。

    0300、早々にタックして房総半島に向かう、が、今度は進行方向に灯台の光が見えた。白閃光15秒周期は野島埼の灯台か。すると、今度は房総半島の岩礁がすぐ目の前にあるような気になってしょうがない。折りしも、目線の上になる水平線の向こうに、多数の蛍光灯を輝かせている箱状の物体が見える。GPSの示すポジションに関係なく、それが、崖の上に立つ校舎のように思えてくる。その物体は、まもなく「阿武隈」の舳先を右から左へと進んでった。やっぱり船だ。ようやく安心できた。

    0430、タックして北西に向かう。やっと大島の北端を余裕で交わせる高さまで上がってこれた。0530、夜明けの時間だが、まだ暗い。0600、ようやく航海灯を消す。時間がたつにつれて雲を透して空が明るくなる。0700、風が東に回りMMFを目指す針路で進めるようになったが、同時に風も落ちてきた。0730、2ノットを下回るようになった段階で帆走をあきらめる。MMFまで9海里のところだった。

    あとは、もう舵柄を握って進むだけだ。波も穏やかになってきた。夕食用として出港前に用意しておいたご飯と缶詰で15時間振りの食事を取る。たまらない眠気と戦いながら2時間走り、1030、穏やかで静かなMMFに帰港した。実に23時間に及ぶ航海になってしまった。

    係留作業終了後、管理棟のハーバーマスターに報告し、あとは、夕方まで眠った。その夜は上限の月で、いい風が吹くという予報だった。好条件に出港したくなったが、さすがに止めた。翌朝もいい風が吹くようだが、やはり無理せず夜のうちに解装。16日は0800に起床して、船のビルジと自分のビルジを処分。機関の冷却水ポンプの漏水対策を施して、1130に下船。三浦海岸で昼食を食べて京急で帰った。

    三宅島巡航(復航)

    10月14日 木曜 曇り時々雨 東〜北東の風 風力5(阿武隈独自基準)

    風予報によると14日の午後から15日の未明にかけて、強い風が吹くという。この風を利用して帰りたい。波浮を経由する計画を変更し、14日の昼過ぎに出港し、一気にMMFに戻ることにする。

    14日は0700起床。ゆっくりと出港準備にかかるが、0800には完了。のんびりすごすが、間が持たず、かといって、眠れるわけもなく、予定より早い1130に坪田漁港を出港する。出港しようと甲板に出たとたん、大粒の激しい雨が降る。

    出港後風なく、フルメインの機帆走ですすむ。が、じきに東の風が吹いてきた。ジブを揚げて帆走する。思ったほどに風は強くない。「阿武隈」はゆるゆると進む。どうしようかと思った1400、ようやく風が上がってきた。東北東の風をうけて針路20度で北上する、が、GPSは進行方向を40度と示す。黒潮に流されているようだ。しかし、夜半から風は北に回り、間切って航海することになるので、東に流されるのは、いまのところ問題ない。

    そのまま、東に流されながら北上。6ノットを超える勢いで帆走る。が、さすがに房総半島を超える勢いで流されると不安になってきた。1500、針路を北西に向け風を右舷後方から受ける。とたんに、速度は3ノット台に落ちる。じりじりと北上する。まもなく日没というのに「阿武隈」は、新島の緯度にも達していない。時間はあるからゆっくり帰ろう。風予報でいっていた快適な風はどこに吹いているのだろう。

    1730、夜間航海用に準備していたAIS対応航海ソフトを導入しておいたPCを起動する、が、エラーが出て動かない。うううう、このソフトで不具合に出くわしたのは初めてだ。機械だから、こういうときもある。

    日が暮れて風が上がってきた。5ノット台でぐんぐん進む。1800を過ぎてさらに強くなる。ウエザーヘルムがきつくなり、舵柄を引くのに大層力がいるようになっていた。これを一晩続けるのはきつい。すでに暗く、うねりも高くなっていたのでしばらく迷ったが1900、メインセイルをワンポイント縮帆する。舵が大分楽になった。

    風はどんどん北に回り、右舷開きのクオーターリーからアビーム、そして、クローズドホールドになっていた、さらに風が北に回り、そのままだったら、大島をかわせていた針路が、波浮に突っ込む角度しか維持できなくなった。2300、タックして房総半島方面に向かう。

    出港してから12時間たとうとするのに、まだ、大島の緯度にも達していない。MMFまで残り36浬。

    三宅島停滞

    10月13日 晴れ 西の風。

    三宅島坪田漁港に停滞。夜、干潮時刻の0100に起きる。異常なし。朝、アラームをかけていたのに0700にようやく目が覚める。

    0830、神着に向かうべく下船。5年前にここで偶然あった人と交わした約束を果たすため三宅島に来た。もっと早く来るはずだったのに5年もたってしまった。向こうは私を覚えているだろうか。

    バスが来る一時間ほど、坪田の集落を歩く。ログハウスを作るため1ヶ月ほど滞在しているというロシア人のグループに会う。

    バスで神着に向かう。神着について約束の地に向かう。先方はちょうど出掛けるところだった。いろいろと話したり確かめたりする余裕はなさそうだ。

    いったんその場を離れて、食事にする。前回訪れたときにそのボリュームに感動したフェニックスに寄る。食事をすませ、もう一度約束の地にいくが帰ってきていない。迷ったが、港に戻ることにする。

    港に戻り、船でごろごろと過ごす、はずが、仕事のメールを受けてしまった。火急の対応が必要とのこと。やむを得ずキャビンで対応。ネットワークとマシンと電源が確保できれば、ある程度のことはできてしまうのだなああ。

    18時になると完全に夜になる。釣りをする地元のひとと船に泊まる外来の漁船と花火を楽しむ地元の子供。

    きょうの三宅島は天気に恵まれた。日中は汗ばむほどだったが、いまは風が寒いぐらいだ。長袖のフリースを着込んでいる。明日は曇るという。「阿武隈」は、風が吹き始める昼過ぎに出港する予定。

    坪田漁港に入港する

    竜王埼灯台を交わした辺りで日付が変わった。海は航海全般を通して穏やか。エンジンで突き進む。はかどるが、悔しい気分も少々。航海の面白味は少ない。


    新島の左脇(東側)に蛍光灯の列線が見える。操業する漁船だろうか。方位的には三宅島の方向だが、あんなに光り輝いているとは思えない。三宅島はその左に広がる暗闇の中だろうか。そのうち、三宅島と思っていた暗闇の右端に灯台の光が見えた。Flの15秒。サタドーの灯質だ。しかし、サタドー岬は三宅島の東側。三宅島と思っている暗闇の左側に光るはず。んん?なんだ。と思っているうちに夜が明けて島の姿が見えてきた。漁船と思っていた蛍光灯の列線は、三宅島のすそに広がる道路の街灯だった。あんなに三宅島は明るいのか。これは、意外だった。

    黒ずんで波打つ雲の合間からオレンジ色の光が突き抜けてくる。夜が明けた。振り返ると三宅島から虹が立ち上がり、その先は利島までかかっていた。壮大な眺めだった。虹はその後も三宅島のいたるところにかかっていた。

    三宅島の東側には3基の灯台がある。が、未明に光っていたのは1基だけだった。サタドー岬の灯台と思っていたが、夜が明けて見えてきた灯台の位置と高さが違う。高さ的には三池港の灯台に近い。ただ、灯質はサタドー岬の15秒周期だ。うー、どういうことだろうか。調べがもれていたのか。

    0700、坪田漁港に入港。2005年に係留したのと同じ場所につける。その瞬間に大粒の雨が降ってきた。なるほど、虹もかかるわけだ。坪田漁港の中は変わっていた。西側の船溜まりは水没して使える岸壁が一部だけだったが、改修されて深さも確保できている。

    係留を終えて東側岸壁にいる船長に係留の確認をする。その船長から深さが十分でないかもしれないが、東側岸壁に泊めたほうがいいとのアドバイスを受ける。シフトして、指定された場所につけなおす。

    船上と船内を簡単に整理して、ひと眠り。昼前に目を覚ます。「阿武隈」の前に泊めている漁船の船長に挨拶すると、「本当は泊めてはいけないんだがなあ」とのこと。その後、港湾管理担当官が来船して、入港届けの提出を求められる。改めて聞くと、プレジャーボートは阿古漁港に泊めるようにしてもらいたいそうだ。

    後は船で昼寝をしたり高台から御蔵島を眺めたりしながら過ごす。

    三宅島巡航(往路)

    三宅島巡航(復路)
    10月11日 祝日 晴れ 南東の風 風弱く。一時風力3〜4(阿武隈独自基準)
    1500、阿武隈上船。事前に準備しておいた航海計画書を管理棟に提出。艤装と航海電装器具をセットアップ。1600、出港。風弱く、フルメインの機帆走で磁針路を200度に向ける。
    1800、ジブを揚げて帆走を開始する。風は強くなったり弱くなったり。強いときは5ノットを超すが弱いと3ノットを切る。それでも、大島の手前まで帆走で進めた。
    AISで本船の動静を確認する。舷灯でその存在と大まかな針路は分かるものの、距離感が狂う夜間航海では距離と速度の把握は助かる。漁火を輝かして操業する漁船の列線を突破して南に向かう。
    風早の灯台、利島、新島と灯台を確認する。利島の灯台は街の明かりの中に輝く。あんなに低い位置だったか。最初に見たときはもっと高いところから光っていた記憶があった。新島はアンテナ塔のフラッシュのほうが遠くから目立つ。大島の東海域からアクセスすると利島の灯台とアンテナ塔のフラッシュが重なるので注意。
    2200、風が落ちて機帆走に切り替える。その後、なんどか、風が上がって帆走にするが、そのつど、すぐに風が落ちてしまう。ジブを何度も揚げたり降ろしたりを繰り返す。

    物資搭載

    10月3日晴れ 北東の風

    「阿武隈」に食糧と被服、燃料を搭載する。目安は「無補給で一週間程度の単独巡航を継続できること」。食糧は自宅となりの99円ショップで常温保存ができるものを調達。被服類は自分の使い古しを土曜日に用意する。

    日曜、モトラに積載して0900出撃。船に費用をほとんど消費するため、荷物の運搬手段は原付のモトラが唯一になる。30分違うだけで渋滞に会わずにすむ。


    1130、MMF到着。「阿武隈」に物資を搭載。今回用意した物資は以下の通り。

    パックご飯3+27
    缶詰鶏4+コンビーフ2+魚6
    レトルトカレー6+丼8+シチュー+4
    ミソスープミソ12+すーぷ9+既存スープ9
    果物缶8
    野菜ジュース1リットルx5
    水2リットルx3
    インスタントラーメンx5


    化繊アンダー上下(航海用)1+2
    化繊長袖アンダー上下(航海用)---x1
    フリース長袖上下(船内着)---x1
    通常長袖上下(船内兼上陸)---x3
    通常半袖上下x1
    フリースアウター(通常上陸着兼用)---x1
    靴下予備x6
    下着上x6
    バスタオルx3

    次いで燃料を調達。ガススタンドでポリタンクを調達し軽油を20リットル購入。これで、船内タンク20リットルとすでにあるポリタンクの残り10リットル合計50リットル。北部伊豆諸島を巡る分はまかなえるだろう。

    機関室のビルジを処分。冷却水ポンプから漏れる海水が潤滑油管にかかるので、ペットボトルを加工してカバーにする。

    1500、下船。三浦海岸で遅い昼食をとり、そのまま海岸沿いの道をモトラで走った。

    Published with Blogger-droid v1.5.9

    第二次保田沖海戦

    保田沖海戦の興奮冷めやらぬ8月末、湾マリ水軍より電文あり。

    「ワレ、9月19日に、保田沖に出現セントス」

    これを迎撃して前回の汚名をすすぐべく、三浦水軍と「阿武隈」で戦ったゲストを召集する、が、“三連休の中日”という絶妙なタイミングゆえ、阿武隈の“若い“ゲストはすでに予定が埋まり、三浦水軍の各艇も整備やレースで動きが取れない。

    結局、19日の朝の時点で稼動可能な三浦水軍は「阿武隈」一隻のみ。乗組員も私と「Pricess Bay II」船長の二人だけだった。しかし、Twitterに流れる「湾マリ水軍これより出撃」「東京湾を順調に南下中」の行動報告を聞きながら、ギャレーで作った“塩辛い豚ステーキ”で英気を養い意気軒昂。さらに、いよいよ出撃となったころあいに、仕事が忙しく参加困難といっていた「阿武隈」ゲストから「港に向かって移動中。まもなく到着予定」と入電。やった、砲手が規定の2名になった。これで互角に戦える。

    ゲストの到着を待って1245出撃。程よい南の風を受けて、ゼノアとフルメインの帆走で進撃する。1400、保田沖に到達。今回湾マリ水軍はアルバトロッサー26の「kamekichi 」で戦うと伝えてきた。船体の色は紺。そして、大漁旗を掲げているという。しかし、あたりに「kamekichi」らしき船影は見当たらない。あの船がそうじゃないか、いや違うようだ、と索敵を続けること30分、11時の方向に大きなパイロットハウスを載せた「kamekichi」を発見。阿武隈もゼノアを降ろし、水鉄砲を装填して砲手が配置について戦闘準備を整える。

    相手はソレイユルボンと同じクルージング艇だが、ベテランの湾マリ水軍ゆえそうそう風上は取れないだろう。そこで、水流が風に押し戻されて射程距離が稼げない風下の不利を少しでも克服するべく、砲手は戦闘舷の中甲板舷側に陣取り少しでも敵艦に近寄る。そして、最も勢いのある“初弾”をいかすため、敵が先制して撃ってきても耐え忍び、敵の砲手が正横にきた瞬間に初弾をぶち込む作戦を取る。「阿武隈」も砲戦距離を詰めるため、ぎりぎりまで敵艦に近づけるつもりだ。

    互いに声が届く距離まで近づき、船を風にたてて挨拶を交わし、それぞれ左右に分かれて海戦が始まった。距離をおいてからほぼ同時にタックを交わし、両船は互いの風上を取るべくクローズホールドで接近する、が、やはり、「kamekichi 」が風上をとって阿武隈の左舷前方から迫ってきた。「阿武隈」も「kamekichi 」に肉薄すべく、右舷舷側を目指して突撃する。

    「左舷砲戦用意!」で阿武隈の砲手を務めるゲストとPrincessBayII船長が配置につき、「圧縮開始、撃ち方用意!」で敵に照準を合わせる。しかし、この段階で射程が長い「kamekichi 」が先制して撃ってきた。水流が次々と命中するが、阿武隈は耐え忍ぶ。ほどなく、「kamekichi」が正横をすれ違い、手を伸ばせば敵の水鉄砲を奪えるほどに接近した。「てぇーっ!」ブッシューと噴出音を立てて満を持した阿武隈の初弾が「kamekichi」の砲手に命中する。

    「やったー!今度はやられるだけじゃないぞおおお」と凱歌を挙げたいところだが、前回、すれちがっても漫然と直進する「阿武隈」がすれ違い直後に風上を取るべく機動した「SIESTA」に翻弄された過ちを繰り返さぬよう、すぐさま「kamekich」iの船尾目指して転舵する。当然、「kamekichi」も「阿武隈」の後ろをとろうとして回り始める。

    互いに敵の風上をとろうとして激しく回り始めたが、風上に回った「阿武隈」は失速してしまう。やはり、湾マリ水軍は一枚上手だ。下手回しで減速することなく回頭した「kamekichi」は再び阿武隈の風上から迫ってくる。こうなったら、また接近して初弾を撃ち込むのみ。かくして、前回にも増して激しい撃ち合いと風上を奪うギリギリの操船が繰り広げられた。

    ほんのわずかだが、「阿武隈」が風上を奪う局面もあった。その、何回目かに「阿武隈」が風上をとって接近したとき、コックピットで操船していた湾マリ水軍司令官が怪しげな動きをみせる。激しく撃ち合ってすれちがう直前、 「kamekichi」のコックピットから滝のような“放水”が撃ち込まれた。「ぐああああ!」アルバトロッサー26に搭載された秘密兵器「加圧ポンプ」がベールを脱いだ瞬間だ。

    その破壊的な威力に「阿武隈」は水鉄砲で挑むしかない。「目標は砲手にあらず!コックピットの湾マリ水軍司令官!」 なぜか、「kamekichi」の砲手たちから歓声が上がる。 「kamekichi」の水流をかいくぐって、湾マリ水軍の司令官に水鉄砲を叩き込む、と同時に「kamekichi」のバケツのような放水も頭から浴びた。

    ここで、タイムアップ。第二次保田沖海戦は終わった。 浴びた水流は「阿武隈」側が圧倒的に多かった負け戦だが、それでも、「kamekichi」に一矢を報いることはできたのではないかという、満足感が「阿武隈」の戦士たちを包む。

    保田漁港に入港する「kamekichi」と別れ、再びゼノアを揚げた「阿武隈」は、南の風を受けて快適な帆走を楽しみつつ、それでも危うく江奈沖の定置網に捕まりそうになりながら、1700、MMFに帰港。みんなに手づだってもらい解装後、船に泊まるという 「PrincessBayII」船長と分かれて三浦海岸の食堂で共に戦ったゲストと海鮮で腹を満たし、バイクで帰るゲストと別れて一人京急で帰宅した。

    共に戦ってくれた 「PrincessBayII」 船長と阿武隈ゲスト、お付き合いありがとうございました。湾マリ水軍「kamekichi」の皆さん、一緒に遊んでいただきましてありがとうございます。また仲良く喧嘩しましょー。

    Note: 「阿武隈」上架

    9月4日土曜 晴れ 南の風5メートル(剱埼灯台観測値)

    阿武隈を上架することになった。8月21日の保田沖海戦に向かう機帆走から速度が出ないと感じていた。そして、その後の出港入港で船の制御が利かなくなり、これはいよいよダメと判断。船底がさほど汚れていないようなので惜しいところだが、狭い港で船が操れずに迷惑をかけるわけにもいかない。

    金曜日に油壺造船所へ連絡を入れると、ちょうど週末に船台が空いていると言う。予約を入れて土曜日の朝に回航する。土曜日、1130上船。機走で向かうのでそのまま出港する。

    三崎港をぬけて相模湾にはいり、岩礁と灯台を遠回りして諸磯に入る。1210油壺造船所到着。テンダーで待っていたスタッフが上船して海に沈めた船台まで操船。船台にのせたところで下船した。あとは、ウインチで引き上げられる阿武隈を見守るだけだ。

    上がってきた阿武隈の船底は喫水とキールの一部に貝が付着するだけできれいだったが、スクリューが団子になっていた。船底は走らせておけばきれいなままだが、スクリューはどうしようもないのか。6月7月に出港できなかったためか、海水温が高いためか、両方か。

    1300、油壺造船所をあとにして徒歩でバス停に向かう。あちらこちら歩いて帰るつもりが、暑さに負ける。バス通りに出て右にいくか左にいくか迷う。左にいったが、途中の食事処は高くて手が出ず。そのまま、バス停から三崎口に向かい、あすなろで定番のサンマーメンをたべる。次は右に曲がってシーボニアバス停近くにあった店でハンバーグを食べよう。

    火曜日に作業が終了してMMFに回航したと連絡あり。低回転時の水温警告音が鳴らなくなったとのこと。水量減少も原因のひとつだったか。

    夏の三浦半島西岸を帆走する

    8月29日 日曜 晴れ 南西の風 風力4ないし5(阿武独自基準)

    1130「阿武隈」上船、1225出港。スクリューがいよいよダメ。付着物がついて推進力が出ないのにプロペラ反流はしっかりかかる。後進で船を出すときに船尾が振られてぶつかりそうになる。


    MMFを出てすぐにセイルを揚げる。ジブとフルメインの組み合わせ。日差しは強いが空には巻雲がたなびく。春から夏にかけてもやに隠れる大島も積雲を背負ってくっきりと見える。秋の空気に入れ替わろうとしている。

    南西の風がしっかり吹いているが、南西から押し寄せる波もしっかりしていてスピードが思うように出ない。波に揺さぶられながら西に向かう。

    きょうは8月最後の日曜だ。夏といえば湘南、ということで、普段はいかない三浦半島西岸を行けるところまで北上する。

    1430に小網代の紅白ブイを東に見る。うーん、そろそろ戻るべき頃合いだが、もう少し先に進みたい。1500に佐島沖に到達して反転。戻りの帆走はクローズホールド。右舷開きで南東に向かうとぐんぐん進むが、左舷開きで南西に向かうとじりじりと進まない。波のせいか、潮のせいか、マストのチューニングがあっていないせいか。

    安房埼灯台の岩礁をかわし、港入り口東側に広がる定置網を避け、ジブを降ろしもやいとフェンダーをセットし、エンジンをかけてメインを降ろして1730に帰港。派手すぎる夕焼けで港のすべてが橙色に染まるなかを解装。

    30分足を伸ばした結果、帰港が予定よりきっかり1時間遅れた。三崎口に向かう道路は城ヶ島大橋から混んでいるのが海からも見え、三浦海岸に向かうバスは19時までない。家族と約束した時間より帰るのが遅くなる。いかんなー、こりゃ怒られるわい、と帰宅途中の京急快特で書いている。

    戦いすんで日は暮れて

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力3(阿武隈独自基準)

    たぶん、日本で初めてと思われる“ヨット同士による戦い”となった保田沖海戦が終わった。勝者の「SIESTA」の後に続いて敗者の「阿武隈」は保田漁港を目指す。それは、帆船時代の海戦で拿捕された戦列艦の姿に似てなくもない。しかし、勝者は敗者に優しかった。港内は東京湾レースの参加艇でごった返しているのに、レーススタッフは、敗者の「阿武隈」にも親切ていねいに係留場所を誘導してくれた。係留場所は、「風雅」「SIESTA」に連なる外側。

    実を言うと、ほかの船に横着けするのが久しぶりな「阿武隈」は、かなり緊張しつつ、「SIESTA」に“接岸”、「風雅」と「SIESTA」という、大先輩の支援と指示を受けて、1400に係留作業を終えた。

    本当ならば、「SIESTA」のメンバーと戦いを終えた祝杯を挙げたいところだったが、日帰りの「阿武隈」は、一足先に番屋で食事をすることにした。「SIESTA」「風雅」とあいさつしながらゲストともに下船。ほんっっっっとに久しぶりに番屋を訪れたが、いつの間にか、食事をする建屋が増えていて、ほとんど待つことなく、入港手続きをしている間に席に通された。ゲストとともに、“鯵のなめろう”や“朝獲寿司”で1時間ほど食事。今回、「阿武隈」で戦ってくれたゲストは「“海戦ごっこ”のあとは安くておいしい海鮮!」といって勧誘していたので、なんとか約束を果たすことができた。その後は各自で自由行動。1630に「風雅」「SIESTA」のメンバーの見送りを受けて保田漁港を出港する。

    帰りの航海は、南の風がほどよく吹いていた。ゼノアとフルメインでアビームという絶好の条件で帆走する。行く手の空は茜に染まり、黄金色の空と海の中を夕焼けに向かって航行する。その左側には一番星の金星がギラリと光り、振り返るとまもなく望を迎える月が輝きを増している。

    東京湾を横断して剣埼灯台を正横に見る頃合になると、前方で日が沈み、背後から夜空が追いかけてくる。月の輝きで海面には銀色の道ができていた。「ここで、剣埼灯台が点灯したら最高なんだけどね」とゲストに話していた直後、なんと、目の前で剣埼灯台が光りだした。白、白、緑という特徴ある灯質をゲストに見せることできた。なんというか、「これって出来すぎ」と思ってしまうほどに、最高な夏の帆走だった。

    が、やっぱり私はヒーローになれなかった。
    ゲストの1人が「なんか丸い物が繋がって浮かんでいますよ」と行く手を指差した。のあーっ!三崎港東海域名物「南に出っ張った定置網」じゃー!

    ゲストの手前、平然と、しかし、内心は飛び上がらんばかりに動揺しつつ、(前甲板にゲストがいるにもかかわらず)急転舵してタック。定置網をかわして再度タック。なんとか、無事にMMFの港入り口まで到達した。

    後は、係船索をセットして風上に船を立ててヘッドセイルとメインセイルをおろす。

    が!「なんか、また丸い物が浮いていますよ」

    予想以上に船のスピードが出ていて、MMF港口東側に広がる定置網に突っ込みそうになった。セイルを降ろしているから、もう帆走できない。急いで機関中立。行き足が残っているうちに針路反転。なんとか、無事にブイをかわしてMMFに向かう。機走でスピードが出ない。4ノット程度。スクリューの付着物がかなり増えたか。巡航前に船を上げないとだめか。1930にMMF帰港。

    帰宅するゲストを見送った後、疲労困憊でそのまま寝てしまった。南の風がどんどん上がったせいか、蚊がぜんぜんいなかったのに、船内が暑くてよく眠れず。翌日、時間をかけて、休み休み、ゆっくりのったりと船を解装。1200に下船。管理棟でしばし雑談。「Starting Over」のメンバーに車でYRP野比まで送っていただいた。疲れきっていたので、本当に助かりました。ありがとうございました。

    保田沖海戦3~「阿武隈」苦戦す

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力2(阿武隈独自基準)


    (twitterが発端の「海戦ごっこ」が保田沖で勃発! 湾マリ水軍「SIESTA」と三浦水軍「阿武隈」は、ついに砲門を開いた!風上をとられた「阿武隈」に勝機はあるのか?)

    お互いがすれ違って、いったん砲撃が止む。「阿武隈」は風上を取るべくを船を回すが相変わらず風に立たない。そのままノタノタと直進する。だが、「SIESTA」はすれ違った直後にすばやくタックを返し、「阿武隈」の風上側から追い抜きざまに撃ってくる。「阿武隈」も反撃するが風下で水流が「SIESTA」に届かない。

    すばやくタックして阿武隈の左舷後方から迫る「SIESTA」
    くっそー、敵ながら、かっこいいぜ
    水鉄砲の射程は6~8メートル。しかし、風の影響を受けるため……
    風下の船が有効弾を叩き込むには、これぐらい接近しなければならない

    「ヒェー、冷たいぃぃぃっ」

    「SIESTA」は、氷で冷やした水を水鉄砲に装填していた。「キンキンに冷やした水流で敵を飛び上がらせよう」という魂胆だったらしいが、暑い中、微風の東京湾を横断してきた寝不足気味の「阿武隈」乗員は「冷たくてきもちえええええ」とかえって喜んでいたのは不幸中の幸い。

    戦いは、風上を奪えない「阿武隈」が軽快に舞う「SIESTA」に翻弄されまくる一方的な展開になった。マストヘッドリグでメインセイルが小さいためスピードが出ず、風にも立てない「阿武隈」の帆走能力以上に、ミート直後に機敏に操船できない船長兼操舵手(それは私)の未熟さが敗因であるのは、「ヨットが初めて」という「阿武隈」のゲストにも明らかだった。


    航過後すぐに回頭動作にかかる「SIESTA」と。漫然と進む「阿武隈」との違いは、帆走性能以上に勝敗に影響した

    戦いも中盤を過ぎると、動きのとれない「阿武隈」に同情したのか、「SIESTA」は風下から接近してきた。


    激しく砲撃を交わす「SIESTA」と「阿武隈」

    一方的だが激しい海戦は約10分続いた。事前に決めていた戦闘終了時間だ。「SIESTA」から、「ここまでにしよう」と声かががる。戦いは「阿武隈」の惨敗。圧勝した「SIESTA」は「阿武隈」を先導して保田漁港に入港した。

    保田沖海戦2~「阿武隈」奮戦す

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力2(阿武隈独自基準)

    (twitterが発端の「海戦ごっこ」が保田沖で勃発! 湾マリ水軍「SIESTA」と三浦水軍「阿武隈」は、敵の奇襲を警戒しつつ、じりじりと射程距離に近づいていった。撃つか!撃たれるか!)

    「いまにも撃ってくるかも!」と緊張が最高潮に達したときっ、「SIESTA」の全員が手を振ってきた。こちらも手を振って応える。

    終始「紳士的」だった「SIESTA」

     「すぐにいいぃ!始めますかあああぁぁぁっ!」「次にいいぃぃぃ!ミートするタイミングでえええぇぇ!始めましょおおおおおぉぉぉ!」

    ということで、両艦はそのまますれ違い離れていく。「阿武隈」は反転して「SIESTA」の風上を取るべく南西に向かう……はずが、メインセイルだけの「阿武隈」は、ゆるゆると西に向かうばかりで風上に全然上がれない。一方、「SIESTA」は軽々とタックを返し、右舷開きで「阿武隈」の風上から向かってくる。

    うわわわ、風上から来るぞおおぉ!

    水鉄砲の射程は6~8メートル。陸上で遊ぶなら十分でも海上で撃ち合うには短い。なので、互いにギリギリまで引き付けて砲門を開くことになる。

    「シエスタ」がじわりじわりと近づいてくる。帆船小説で戦闘直前の場面でよくあるようなシーンが、現実に展開している。それゆえ、「くるぞおおおおぉぉぉ! 引き付けて、よく、ねらえええぇぇぇ!」と船長は一人で興奮していたりする。

    くるぞおおおおぉぉぉ! 引き付けて、よく、ねらえええぇぇぇ!

    いったん接近すれば、反航してすれ違いさまに撃ち合うので、砲撃できるタイミングはわずかしかない。両艦とも、水鉄砲を構えた砲手に手を伸ばせば届くほどに接近した。

    「かまえぇぇぇぇー!てーっ!!」

    帆船小説なら“雷鳴が轟くような”どっこーん!という効果音が入るところだが、そこは水鉄砲なので「プシュー」という音と共に、互いの船から水流が飛び交う。

    左砲戦!各自、狙い定まり次第、撃ち方始めっ!

    が!

    風上から撃ってくる「SIESTA」の水流は風にのって「阿武隈」の乗員に次々と命中するのに、「阿武隈」の水流は風に押し返されて有効弾にならない。しかも、「シエスタ」の水鉄砲は「阿武隈」のそれよりひと回り大きいようだ。
    くあーっ。

    風上をとった「SIESTA」の砲撃は次々と命中する一方、「阿武隈」の水流は風に押し返される

    保田沖海戦~敵艦みゆ

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力1~3

    Twitterで局地的に盛り上がった「海戦ごっこ」が現実になった。敵は東京湾マリーナの「SIESTA」(YAMAHA 30S)。保田漁港を目指す「SIESTA」は、0600に東京湾マリーナを出撃。その後、順調に南下する「SIESTA」はTwitterで現在位置を逐次報告してくる。

    迎え撃つ三浦水軍は「阿武隈」が単独で迎撃すべく、乗員5名(掌砲手2名、掌帆手1名、船長兼操舵手1名、報道班員1名)全員がそろった1130、宮川湾を出撃した。天候晴朗、南の風わずか。ゼノアとフルメインをあげた機帆走で保田沖に急ぐ。

    保田沖を目指して進むこと1時間半、1300には内房沖を遊弋する小帆船多数あり。戦闘開始まもなくと戦闘準備に入る。砲手に水鉄砲を手渡し、装填手はバケツに海水を汲む。そして報道班員は防水映写機を回し始め、船長は旗印代わりの日章旗と「N」旗を掲げた。最後に命中判定用のカラーTシャツを「桜印の救命胴衣」の上から着用する。

    左舷11時の方向にメインセイルだけを掲げて接近してくる小帆船を発見。もしや「SIESTA」と総員戦闘配置で警戒しつつ「阿武隈」も接敵を開始。



    11時の方向に敵艦らしきもの見ゆ!

    敵艦と思われる小帆船は西に進みながら「阿武隈」船首を左舷から右舷にゆっくりと横切り、南から吹く風を左舷開きで真横に受けながら、東に進む「阿武隈」の右舷前方に迫ってくる。この時点で、すでに「阿武隈」は風上を取られていた。

    ほどなく、甲板の乗員がカラーTシャツとライフジャケットに身を固めているのが目視できた。「SIESTA」だ!すれ違いざまに奇襲をかけてくるかもしれない!敵が撃ってきたら即座に反撃すべく、「阿武隈」は水鉄砲2門の照準をシエスタに向けつつ接近していく。

    いよいよ、互いの顔がはっきりと見える距離まで迫った。すでに射程距離だ。反航しているので、砲撃できるタイミングはわずかしかない。「SIESTA」は撃ってくるのか? 
    「SIESTA」がじりじりと近づいてきた。すでに射程圏内

    ゲスト来船なれど出港できず

    8月15日 日曜 晴れ 南西の風15メートル(剱埼灯台観測値)

    「阿武隈」にゲスト来船。横浜駅に1000集合。1100三浦海岸駅下車。京急ストアで食料とソフトドリンク(一人当たり2リットル)を調達してタクシーでMMFに向かう。運転手によると、三崎口駅からでは全く身動きできないそうだ。

    1200「阿武隈」上船。晴れているが風が強く出港できないとゲストに伝える。晴れているだけに(そして、港ではさほど風が強く感じられないだけに)非常に残念とのこと。

    ギャレーで塩漬け豚肉のソテー、塩ゆでのブロッコリー、スパゲティーのトマト和えをこさえて昼食にする。「こんなシンプルな料理は初めてみた」とはゲストのコメント。

    切れて「PrincessBayII」の船長に応急していただいたスターンラインを張り直す。切れたロープを修復してバックアップのためにミジップラインとして使う、が、太すぎてクリートにうまくとめられない。交換した「PrincessBayII」のロープを戻す。ありがとうございました。本当に助かりました。

    舷側に生えてしまった海草とフジツボをボートフックでかき落とす。フジツボの残骸をついばもうとして、小魚が群れをなして集まってきた。

    エンジンを回してスクリューについた貝類を吹き飛ばす。ビルジも処分。切れていたポータブルトイレの消臭分解液を補充。ボトルで購入してきたので頻繁に使ってもしばらくは持つだろう。

    本来のヘッドの上に設置したポータブルヘッドを使うときに使用する踏み台代わりの「風呂いす」を試す。これならズボンを下げた状態でもポータブルヘッドに座れる。

    タブレットPC「Viliv 5」にシリアルUSBアダプタのドライバを入れてAISと接続、ハイパーターミナルで通信を確認。ためしにインストールから日が経ってフリーバージョンになってしまったSoftware On Boardを起動すると、おろろ、AISで受信した本船データがアイコンになって表示されるぞ。これでいいのか。

    1700下船。宮川町からバス停から三浦海岸駅に向かう。

    「阿武隈」の舫が切れた!!

    8月14日 土曜 晴れ 南西の風 15メートル(剣埼灯台観測地)

    本日夕方、この1週間ほどMMFに泊まり続けている「PrincessBay II」船長よりメールあり。
    「阿武隈」のスターンラインが切れていたとのこと。

    ぐああああああああ。これは船長として、最も恥ずかしい失態の1つ。

    スターンの係留索だけは、航行中もクリートにつけたまま収納していたので、“すれ”のチェックをしていなかったんだなあ。
    隠蔽して闇に葬りたいところだが、自戒のために、そして、こういう失態を繰り返さないために記録として残す。

    切れた係留索は、「Princess Bay II」船長が自分の船のロープで修復してくれた。
    助かりました。本当にありがとうございます。

    夏の帆走は夕暮れがいい

    8月1日 日曜 晴れ 南南東の風 風力1のち3(阿武隈独自基準)

    長期合宿に出撃する家族を見送ってから自宅を出発。モトラのテールランプ不具合が解決せず、夜間走行を避けるため電車バスで向かう。

    1300、阿武隈上船。風はほとんどないが南の風が顔を撫でていく。この時期は夕方に向けて風が上がってくる。その風を期待して1400出港。

    南の風が緩やかに入ってくる。ゼノアとフルメインの組み合わせで帆走開始。テルテールで風をとらえて、クローズホールドで南下する。ようやく舵が効くだけの速度だったのが少しずつ風が上がって船足も上がっていく。

    栄町の生協で購入した丸パンとバナナを食べながら微風の帆走を楽しむ。昼過ぎの出港で暑い盛りだったが、半袖上下の下に化繊長袖のアンダー上下を重ねて日焼けと体力消耗を防ぐ。微風だったが風が涼しい。

    1440、反転して北上を開始する。午後になってもなかなか風が吹いてこなかったが、1530を過ぎるあたりからようやく上がってきて快適な帆走になった。風は東に回ってほぼアビームで風を受ける。

    1700、ほとんどの人が去って静かになったMMFに帰港する。夕暮れ直前で日が翳ってきた中を解装。1800、下船。きょうの航海で消費した飲料はスポーツドリンク1リットル、麦茶0.5リットル。サイダー350ミリリットル。それでも足りず、帰り道、アイス2本を食べ食べ帰った。

    燃料調達で手間取る

    7月19日 祝日 晴れ 南の風11メートル(剱埼灯台観測値)

    日の出とともに出撃するつもりが、自宅発1100。最近異様に朝が弱い。燃料漏れを直したモトラを駆って港に向かう。途中、岩堂山近くのピークで眼下の太平洋を眺める。遠くに見える大島を乗り越えようと盛り上がる雲の群れが白く輝いていた。



    1330、MMf到着。やや強めの南風が吹く。すぐにも出港したいが、懸案の燃料調達を優先する。MMFは燃料補給施設を持たず、ガススタンドに電話をかけて軽ローリーに来てもらうか、三崎港の軽タンカーに接舷して購入することになる。が、どちらも価格が高い。それゆえ、多くの係留艇は街のガススタンドで軽油を購入する。船を持つ代わりに車を持たない「阿武隈」は、モトラが稼働するようになって、ようやく街のガススタンドで調達できるようになった(移動手段にモトラを選んだ理由も「積載能力に優れた原付だから」だった)。

    「阿武隈」の増槽は20リッターポリタンクと20リッター金属タンクが1基ずつ。その金属タンクが錆びだらけでもう限界だ。これを廃棄して新たにポリタンクを調達することにする。ところが、三崎界隈でポリタンクを購入できる店が見つからない。ガススタンドで買えるが1050円するという。んー。ポリタンクは自宅近くのホームセンターで購入しよう。

    船内タンクと増槽1基を満タンにしただけで、もう、16時になってしまった。モトラのテールランプが点灯しないことに気付いたので、日没前に帰宅しないといけない。なので、1630下船。甲板でタコを茹でて盛り上がっている「YeeHAW!」のメンバーに挨拶して、MMFを後にする。

    モトラで自宅とMMFを往復すると、その距離120キロ。片道2時間から2時間半ほどかかる。燃料代は往復で380円(さすが、カブエンジン)。電車バスの往復交通費2000~2500円に比べたら経費節減の効果は絶大なり。しかし、自宅についたら疲労困憊で動けなかった。おしりと腰も猛烈に痛い。前はそんなことなかったんだがなー。

    港で足をくじく

    7月11日 曇り時々雨。南の風やや強く。

    とある事情で、「強風下の雨中帆走」をすることになった。予報によると日曜の昼に雨が降る。風もぐんと吹くそうだ。というわけで、日曜昼前に港に到着。6月の後半から所用と強風で出港できていなかったので、ヤル気満々で丸よしの前を歩いていたら、右足をくじいた。

    シングルハンドで強風下の帆走、となると足元に不安を残しておきたくない。いろいろしがらみもあって迷うところだが、安全をとって出港せず。

    エンジンのビルジを処理して、3週間回していなかったスクリューを回して、雨降るMMFをいろいろ撮影して、1500、いつもより早く下船。

    帰りに横須賀でも寄ってみようかとも思ったが、京急で爆睡してそのまま帰宅した。足の痛みは時間がたつほどに増した。

    海戦すっぺ、海戦!

    先日、私のTwitterアカウント「@sail_abukuma」のタイムラインが「ヨットを使ってレース以外で遊ぶなら」というテーマで盛り上がりました。

    このままタイムラインの彼方に消滅させるには惜しい内容だったので、@qchan55さんの了解を得たうえで、そのときの会話を一部整理して再現してみましょう。

    スタート⇒
    @takamm: 「スピード以外で競いたいなら、マーク1つだけ打って、マーク回航の美しさを競うとか。いろいろ考えられますよね。」

    ⇒@sail_abukuma:「海戦すっぺ、海戦! 接舷して切り込んで船長の帽子を取ったら勝ち。」

    ⇒@sail_abukuma:「実を言うと、マッチレースのスタート前マニューバーを抜き出してゲームにできないかとは、真面目に考えていたりします。相手の船尾を正横で通過した回数(帆船の戦いで船尾を縦射するイメージ)を競うとか。それこそ水鉄砲で相手の船に設けた的(マスト、船尾、舵)を撃ち抜くのも楽しいかも。」

    ⇒@qchan55:「真面目に舵社に水鉄砲を使った帆船による海戦ゲームを提案したことがあります。ボツだったようですが。」

    ⇒@sail_abukuma:「お! ルール知りたいです。Twitter上でルールを整備して「公式ゲーム」を提案するのって「あり」でしょう。」

    ⇒@qchan55:「まだ、細かなルールまでは決めていなかったのですが、話だけは大きくなって紙製の水着を着せて女性をバウに立たせて・・・・う〜妄想だけが膨らむ(^o^;) 最後は軽量艇が有利なのでどうしたもなかと?ワンメイクしかできないですかね?」

    ⇒@sail_abukuma:「機動力は軽量艇が有利ですが、大型艇は射手をたくさん乗せられるので、五分五分。フリゲートと戦列艦の戦い。

    ⇒@qchan55:「夏に向けてルールを一緒に考えますか?」

    ⇒@sail_abukuma:「やりましょうやりましょう。あまりきっちり決めず、どんどん戦って、不明瞭な部分を明確にしていったり危険な行為を制限していく方向でいかが?」

    ⇒@qchan55: 「白のTシャツに色つきの水を用意して、ジブはなしで海戦。ウォーターガンは飛ぶ距離同じにして、3本。」

    ⇒@sail_abukuma: 「的代わりの紙風船を船の要所につけるのもいいかも!」

    てな感じ。

    そのほかにも、私のタイムラインでは次のようなツイートが流れました。

    「@sail_abukuma:赤ジャケット着せた海兵隊を乗船させて水鉄砲で武装させよう。 RT @SkipKIT: ボーディングネット張っておかないと… 」

    「ぐわっはっは。切り込むときの武器はカットラスの代わりにプラ刀、オークの代わりにピコピコハンマーで我慢しよー。 RT @SkipKIT: @sail_abukuma ダメ!このままでは興奮して眠れなくなってしまいます(笑) 水鉄砲持った狙撃兵をボースンチェアで吊り上げるとか」

    「@sail_abukuma:のあー、話が膨らんでいくー。おもしろいー。戦に旗印は必須ですね! RT @SawajiDesign: 夏は良いですね。参加艇のフラッグ作りましょう」

    「@sail_abukuma:忍び寄って、いきなり旗揚げて奇襲! もアリ。 RT @SawajiDesign フラッグ掲げてる船同士はいつでも開戦OK。勝ったら撃沈マークを増やすってどおかな?」

    というわけで、微風でとろとろ帆走るしかない夏の海は、水鉄砲で海戦しようぜい。

    @qchan55: 「湾マリと宮川湾の間で戦争勃発。湾マリ賊が今まで鍛えてきた力を思い知るがいい!ワハハハハッ。他に戦う奴はいないか〜〜〜!」

    ⇒@sail_abukuma: 「宮川水軍、売られた海戦は受けてたつぜ! 立てっ、宮川湾の兵たち!共に湾マリ賊を成敗しようぞっ! ぐわっはっは〜。」

    南西の風で港に籠る

    6月19日 土曜 曇り 南西の風17メートル(剱埼灯台観測値)

    日曜に所用が入って土曜日に港に行く。強い風が吹いて帆走には申し分なさそうだが、南西の風が吹き続くようなので、港口の波が気になる。

    MMF到着。管理棟前の岸壁から港口を偵察する。両側の防波堤に波が激しく打ち付けているが、港口の航路に白く崩れる波はない。だが、海面が大きく盛り上がって重そうな塊となって港内に侵入してくる。航路中央に大きな藻の塊が滞留。出港するかどうか判断に迷うところ。すでに、一隻のセイリングクルーザーが出港している。

    管理棟にいた漁船の船頭さんと話をする。MMF、というか宮川漁港港口の防波堤は外に広く開いた「ハ」の字になっているので、中央に開いた航路に海水が集中してしまうとのこと。「大きな藻の固まりがペラに絡まったらえらいことになるね」というアドバイスを聞いて出港をやめる。その海をよく知る経験者の助言は信頼できる。

    「阿武隈」上船。残っていたスパゲティを全部ゆでて昼食にする。味付けは塩だけ。腹が膨れたのでバースに横たわって昼寝。気が付いたら2時間も熟睡していた。そのまま、なにもせずにごろごろと過ごす。

    1700、下船。終始曇って薄暗く、南西の風は強いままだった。が、帰る間際に雲の間から太陽が銅色に輝いた。きょうはなにもしない、いい一日だった。

    梅雨入り前の海を帆走する

    6月13日 日曜 曇り 南の風 風力4(阿武隈独自基準)

    予報では、土曜日は晴れるが風が弱く、日曜日は雨が降るが風が吹く。風を取って日曜にMMFへ向かった。

    1230、「阿武隈」上船。南の風がほどよく吹いている。雨はまだ降らず、日が射してきた。ヘッドセイルにジブを選んで艤装。Bluetooth GPSとX02HTに導入した航海ソフト「Pathaway」でリンクを設定するがうまく行かず。時間が惜しいので1345、出港する。

    1400、ジブとフルメインの組み合わせで帆走開始。南の風を受けて間切って南下したのち、アビームで城ヶ島沖を西に進む。三浦半島を北上するか南西沖ブイを目指すか迷ったが、沖にズンズン出たかったので針路そのままで南西沖ブイに舳先を向ける。

    太陽が時折射す。風は強いが湿って重い。服装は上が化繊の長袖アンダーに木綿の半袖ポロシャツを重ねる。下はMUSTOのトラウザーをはく。これで寒くもなく暑くもなく。

    1500、南西沖ブイに到達。反転して東に進む。浪高く、バンチングを避けるため浪を斜めに割きながら進む。だんだんと雲が厚くなるが雨は降らない。海の色は黒々としているが波頭が白く崩れる寸前に青黒く光る。

    1700、MMF帰港。解装して1800、下船。増設タンクの軽油がなくなった。船内燃料タンクも残り少ない。

    なんとか家に着くまで雨が降らずにすんだ。翌日の月曜に関東も梅雨入りした。

    5月最後は雨中帆走

    5月29日土曜 雨 北東の風 風力3(阿武隈独自基準)

    5月最後の日曜は所用があるため土曜日にMMFに行く。1030、「阿武隈」上船。北東の風が冷たい。ヘッドセイルの選択に迷ったが、思ったより風が弱いのと、これから風が落ちる予想だったので、ゼノアをセットする。

    1130、出港。北東の風を受けてクオーターリーで南下する。雨はまだ降っていないが空全体に雲が重くのしかかっている。海面はフラット。遊漁船がいたるところで船団を作っているが、本船は遥か沖合いを航行するのみ。

    ジャイブすることなく南下を続け、本船航路の手前で遊弋する最南端の遊漁船を越えたあたりでヒーブツーして昼食を作る。栄町の生協で仕入れて塩漬けにした鳥モモ肉を焼いて、パンと一緒に食べる。

    食事を終えて帆走を再開したころから雨が降りだした。クローズホールドで北上と東進を繰り返す。往路はしっかりとした風に押されてズンズン進めたが、復路は風が弱まりジリジリと戻る。

    雨足は時に強まり、そういうときは視界が狭まって三浦半島がまったく見えなくなる。が、雨が一時的に上がると急に視界が広がり、灰色の空と海に挟まれて内房方面の緑がくっきりと見える。

    風は左右に振れて、そのたびにタックを繰り返す。雨に濡れた身体にクローズホールドで相対風速が早くなった冷たい北東の風が吹き付けるので、寒さがこたえた。10年ものムストーを着ているが、防水機能は限界らしく、いたるところから雨水が侵入してくる。そういえば、トラウザーは昨年夏の式根島巡航で破けたままだった。

    予定では、早めに帰港して明るいうちに帰宅するはずだったが、弱くなる北東の風でに這うようにMMFへ向かう。1730、帰港。解装して1830、下船。

    5月最後の日曜から所用で家を空け、所用を終えて帰宅した6月最初の日曜は洗濯で終わった。

    軽風で三浦半島を北上する

    5月23日 土曜 曇り 南東の風、風力1→3→2(阿武隈独自基準)

    1230、MMF到着。午前中はいい風が吹いていたようだ。きのうのうちに来ればよかったかな。1300、「阿武隈」上船。武田さんにコメントでアドバイスしていただいたオートパイロットの電力供給系ヒューズを確認する、が、異常なし。うーん。


    1400、出港。港を出る前に管理棟岸壁で補水。ポリタンク20リットル×2、船内清水タンク20リットル、そのほか3+2+2+2リットル。岸壁を離れようとしたら一隻のパワーボートが着岸した。ハーバーマスターが「もやい2本かけてくださいよ」というのを「忘れ物取りに行くだけだからいいだろ」といいのこして、風下側の舳先にもやいをかけただけで立ち去る。

    パワーボートが離岸して「阿武隈」も岸壁を離れる。港を出て後ろを振り返ると「HARUKAZE」が出港してきた。1430、ゼノアとフルメインの組み合わせで帆走開始、と思ったが定置網を交わせそうもないので、しばらく機帆走で南下してからエンジンを切る。

    南東の風を受けてクローズホールドで東に向かう。しばらく「HARUKAZE」と並走したのち、「阿武隈」は西に、「HARUKAZE」は南下して房総半島に向かった。帆走を始めたときはわずかだった風が、徐々に上がってきた。空は晴れているが薄雲がかかり、太陽はきれいな傘をさしていた。太陽の東には上弦の月が見えている。海面はフラット。速度は4ノット後半まで上がってきた。

    城ヶ島灯台が正横にきたとき、針路を北西に取って三浦半島西岸を北上する。クオーターリーになってローリングがはいる。左舷彼方には南西ブイが、針路わずか右の彼方には江ノ島が見える。

    1615、反転。風が落ち始めて速度は3ノット後半。城ヶ島西端を交わして針路を東に転じたところで、ギャレーでレトルトカレーを暖め、パックご飯を投入して食事にする。

    雲が厚くなって太陽が隠れた。きょうも海上で夕焼けは望めないようだ。日没時間より早く暗くなってきた。安房埼灯台が光り出したのを確認して両舷灯と船尾灯を点ける。

    安房埼灯台東に広がる岩礁を交わし、MMF入り口の東側にある定置網ブイの手前で西に向かう。十分距離をおいたところで風上にたち、セイルを降ろす。1830、帰港。

    Dhoniが家族で遊びに来ていた。いいなあ。Dhoniのように家族で泊まる船が増えるといいなあ。

    解装して、2000、下船。

    風がない夜明けの港で過ごす

    5月16日 晴れ 風弱く

    0400、起床。東の空が黒から深い藍色に変わってきた。パンと魚肉ソーセージ、紅茶で朝食。しかし、あまりの寒さにカップスープも飲む。

    0500、MMFにも朝日が射してきた。機関室のビルジを取り除き、ポータブルヘッドの中身を管理棟のトイレで処分し、コックピットにあるオートパイロット用インタフェースコネクタを新しいものに取り替える。

    コネクタの部品は簡単に船体から取り外せたが、コードを取り付ける金具の締め付けネジが小さくて難儀する。なんとか配線コードを取り付けて、オートパイロットのコネクタを接続する、が、作動しない。

    バッテリーはオン。配線とコネクタの位置もよし。何が悪いのか。オートパイロットか? 配線コードか? 導通を調べようとデジタルテスターを取り出したらスイッチが「オン」のままバッテリーが切れていた。

    本日の作業はここまで。後は本を読んで、0930、下船。めちゃくちゃ早いけれど、朝の4時から動いていたおかげで、いつも以上に船を楽しめた。

    船で読書して料理して泊まる

    5月15日土曜 曇り 東の風 風力3(阿武隈独自基準)

    予報では土曜の朝から昼過ぎにかけていい風が吹くことになっていた。金曜は珍しく早い時間に仕事が片付いて、直接船に行ってしまおうかと思ったが、船の鍵をもっていないことに気が付いて断念する。

    土曜日も、もろもろ用事ができて港に向けて出発できたのは昼過ぎになってしまった。三崎口で下車し、栄町バス停から歩く。途中、生協で食材を調達。一緒に先週使いきった蚊取り線香も購入する。

    1730、「阿武隈」上船。食材の鶏モモ肉ブロックに塩を大量にふってねかせておく。後はなにもしないで本を読んで過ごす。

    1830すぎるとキャビンで本が読めないほど暗くなってきた。塩漬けの鶏モモ肉をゆでる。ゆで汁にパックご飯を投入して作った雑炊と共に夕食にする。

    夕食後、しばらく本を読んでいたが、たまっていた疲れに負けて2100、船内消灯。

    暁の海を帆走する

    5月9日 晴れ 北東の風 風力4(阿武隈独自基準)

    昨夜、船内を蚊が飛んでいた。最後の蚊取り線香を焚く。前夜の船内消灯は2100。で、0330にアラームがなるまでぐっすりと眠れた。夜具は毛布一枚。寝袋と違って体にまとわりつかないのがいい。片付けるのも楽だ。

    薄明が始まっているが、空はまだ暗い。寝る前にマストを鳴らしていた風が止んで、風車がピタリと止まっている。うーん、風がないのか。どうしようか。夜が少しずつ明けていく。0420、風車は止まったままだが、北の風がかすかにそよぎ始めた。

    0430、出港する。東の空が朱に染まるが、薄雲がたなびいて朝日は見えない、と思っていたら丸く大きな太陽が「ぬ」と顔をみせた。メインセイルを揚げると、朝日に照らされて紫から橙色に、ついで山吹色になり、太陽が昇るにつれて白く輝いた。

    0510、ジブとフルメインの組み合わせで帆走を開始する。クォーターリーで南と西に向かう。最初はそろそろと2ノット程度で走っていたが、太陽が昇ったら風も徐々に上がり、すぐに4ノットに達して快適な帆走になった。

    風が北東にふれる。「阿武隈」はほぼ西に向かって走り続けた。まもなく、前方ちょい右舷に南西ブイが見えてきた。おおおお、出港時の無風から帆走でここに来れるまで風が上がるとは。

    0640、南西ブイに到達。反転して帰路につく。帰りは北東に風を受けて北と東に間切って進む。安房埼灯台の南2海里まで戻ってきたとき、10時の方向にY23らしき船影を確認する。

    この時間にここにいるY23は、船長が未明の0130に起床して0230に自宅を出発し、0400にまだ夜が明けぬMMFの浮き桟橋を自艇に向かってノシノシと歩いていた「Princess Bay II」以外にあり得ない。

    「阿武隈」のタックに合わせて「Princess Bay II」もタックする。しばらくの間「シンクロセイリング」みたいな帆走を楽しみつつ、足の早い「Princess Bay II」は一足早くMMFに姿を消した。それに遅れること30分、0930に「阿武隈」もMMFに帰港した。港の入り口で「YeeHAW!」のメンバーを満載して出港する「Jupiter II」とすれちがう。

    「Princess Bay II」船長にセイルたたみを手伝ってもらいながら解装し、1030、下船。

    夕闇の海を帆走する

    5月8日 土曜 曇り 南の風。風力4(阿武隈独自基準)

    1400、復活したモトラで出撃する。すでに20キロ試走は済んでいたが、天候の条件があわず、往復120キロのMMF走行テストが延び延びになっていた。アイドリング回転は以前のキャブレータより快調。速度の伸びも悪くない。復活後初めてのMMF行きなので、速度を抑え、バスや紅葉マーク軽自動車の後ろについて三浦半島を進撃する。

    1620、MMF上船。明日早朝に出港するつもりで艤装する。艤装が終わって1730。日没まで間があるが、曇っていて空は暗い。でも、風はほどよい。ええぃ、出港しよう。1740、出港。ジブとフルメインで帆走開始。風は南から吹く。どこに向かうともなく、詰め開きでただ南下する。

    西の空は雲でおおわれ、夕日が見えず海が暗い。日没までまだ時間があるのに、剱埼灯台が点灯した。「阿武隈」も両舷灯と船尾灯を点ける。西の空を見ると、雲の切れ目から夕日が降りてきて紫に輝く。その下に富士の山頂が黒く浮かび上がってすぐ消えた。

    1830、本船航路の手前で反転し北上する。1920、MMF帰港。スパゲティを茹で、サバカレーの缶詰とあえて食べる。

    明日は日の出前に出港する予定。2100、船内消灯。

    「阿武隈」に若い男女がやってきた

    5月1日 土曜 晴れ 南の風 風力5(阿武隈独自基準)

    珍しいことに「阿武隈」に若いゲストが来てくれることになった。仕事柄、朝早い集合は体に無理がかかるので、横浜集合1000。これでも「早い」時間だ。京急で三浦海岸へ。京急ストアで飲み物とつまみ類を調達してタクシーでMMFに移動する。

    1130、「阿武隈」上船。ウエルカムドリンクはドイツワイン。ゲストにデッキでくつろいでもらっている間に、ギャレーで昼食をつくる。メニューはワイン漬けの鶏肉をトマトと玉ねぎとにんにくで煮る簡単なもの。水の分量を間違えて味が薄くなってしまったー。煮えた鶏肉を皿に取り分け、煮汁にパックご飯を投入してリゾットにする。

    これは、普段つくる船内食と同じ。せっかくゲストが来たんだから、まるよしでおいしい料理を食べるとか、もっと手の込んだ物を用意するとか、というのがゲストを迎える常道かもしれない。でも、「阿武隈」では"船の生活"を楽しんでもらおうと思って、ゲストが来てもギャレーで作ったものを出している。

    食事が終わって一息ついたところで、出港の準備にかかる。女性ゲストに食器洗いをお願いし、男性ゲストと艤装する。手伝ってもらえたのでいつもより楽に作業が進んだ。

    1400、出港。港を出てジブとワンポイントリーフメインの組み合わせで帆走を始める。風が大分上がってきて波も高くなってきたが、セイルをあげてクローズリーチで走れば、横揺れせず船は安定する。小型のセイリングクルーザーが初めてというゲストも顔色変えることなく乗っている。とはいえ、緊張しているらしく、ビールを飲む余裕はないようだ。

    何度か波を避けそこなってコックピットに波が打ち込んだ。横波をまともに受けて思いっきりローリングしてゲストが転がってしまったこともあった。話に気をとられて海面の注意がおろそかになったタイミングだった。ごめん。

    東に進み剣埼灯台の南に達したところで反転。風波がきつくなってきたのでゲストが酔う前に「帰港する」と告げたが、「まだいける」との返事。うむむむ、ならばと、こちらも本気モードで城ヶ島南岸を帆走する。

    女性ゲストが持参して出港前に服用した液状酔い止めが効果を発揮しているらしい。錠剤の酔い止めは服用すると猛烈に眠くなるが、そういうこともないようだ。城ヶ島灯台が正横になったとき、男性ゲストが軽く酔ってきた。船を三崎港に向ける。その男性ゲストも液状酔い止めを服用したらすぐ回復した。

    ジブを降ろして三崎港に入港。港内でメインセイルも降ろし機走でうらりの岸壁と北条湾を巡る。そのまま1600、MMFに帰港した。解装も手伝ってもらって楽にできた。キャビンでしばしくつろいで、1800、下船。タクシーで三崎口に向かう。

    楽しかった(少なくとも私は)。もしよかったら、今度は泊まりがけで遊びに来てください。

    連休初日は整備と清掃

    4月29日祝日 曇り

    4月最後の日曜はわけあって陸に避難していた。祝日の29日にMMFに向かう。

    1400、「阿武隈」上船。ギャレー回りの整理と掃除。ジンバルからレンジを取り外してデッキで油汚れとコゲだか錆だか分からなくなってきた物体を除去する。ギャレー回りも久々に拭き掃除する。ついでにヤカンも磨こう。

    とりあえずできるところまで。以前よりはきれいになったが、あくまで「当船従来比」なので、第三者が見たらさほど変わっていないかもしれない。

    ヘッド回りも整理する。「阿武隈」は使えなくなった備え付けヘッドの上にポータブルヘッドを載せて使っている。寄港先の公衆トイレが悲惨な状況なことが多く、巡航に付き合ってくれた家族には好評だったが、いかんせん設置位置が高すぎて慣れていないと使いにくい。来船したゲストが航海中に使うのは困難か。せめて踏み台を用意しておけばよかった。ひっくり返したバケツに乗っかるのでは物悲しいし安定しない。

    最後に、AISレシーバの電源をバッテリーターミナルに配線し、PC側の航海ソフトと接続テストを行う。動作に問題なし。

    1800、下船。宮川町からバスにのって三浦海岸駅に向かう。

    洋上でずっと過ごしたい

    「Adelita」船長と伊豆諸島の港事情で情報を交換した。「阿武隈」は、連休とお盆に巡航をしない。この時期は訪れた港で不愉快なことが多いからだ。

    で、「Adelita」船長に「港に着くまで係留できるかヤキモキするより、錨泊でオーバーナイトを試してみませんか」と提案した。単独の錨泊オーバーナイトは走錨が怖いが、フリートで錨泊して、交代で当直に立てばなんとかなるんじゃないかなと。

    本当は、「どこにも寄らず、伊豆諸島をぐるりと回って帰るだけのバカ航海」も提案してみたかったが、「それって変態」と思われてもなんなのでやめておいた。

    巡航で訪れる港に美味しくて安い食堂があるかとか、温泉があるとかという要素の優先順位は自分にとってそれほど高くない。伊豆諸島なら島独特の雰囲気を堪能できればそれで十分だったりする。

    船上生活(本当は洋上生活なのだが、シングルハンドで限定沿海の海域で昼夜連日航海するのはほぼ不可能)を楽しめればそれが最上の喜びだ。

    こういう嗜好はごくごく少数派で、これまで一度として賛同されたことはない。「それって、何が楽しいの?」ともれなく全否定されるので、「お、この人は私と同じ変態だ」と分かるまでは黙っていることにしている。

    ウインチを“腰上”分解した

    4月19日日曜 晴れ 北東の風5メートル

    1130、「阿武隈」上船。両舷のジブシートウインチを整備する。左舷は回転が重く、右舷は時計回りに回したハンドルを逆に戻したときにラチェットが効かない。ウインチの故障、特にツメの破損は腕の骨折に直結すると聞いたので、早めの修理が肝要とのこと。

    ウインチ整備を面倒に思う心理的要因のひとつが、「部品、特にスプリングを飛ばして海に落としてしまうのでは」という不安だ。今回は船に残しておいた段ボールを利用して囲いを作った。

    ウインチトップのオーリングを外して外殻を抜き取る。あとは内殻の回りにはまっているベアリングホルダを抜いて、ベアリングを外す。外したベアリングとホルダは軽油につけて洗う。ホルダは樹脂製なのでパーツクリーナーやCRCを使わないのが無難。

    外殻のトップと内殻のボトムにツメがセットされている。ツメをスプリングと一緒に抜き取って固まったグリスや汚れを掃除する。なお、このツメを抜き取る作業とスプリングとセットしてはめ込む作業でツメを飛ばしやすいので注意。

    右舷ウインチのトップにあるツメの1つが固着して動かなくなっていた。これが不調の原因か。固着したツメが抜けない。洗浄用の軽油にしばらくつけていたらようやく動き始めた。カクカクと動かしながら少しずつ抜く。ツメとスプリングも軽油で洗う。

    今回は内殻を外さない。ツメをセットする部分やウインチトップに露出している歯車をパーツクリーナーで洗う。洗い終わったベアリングと稼働部のすりあわせ箇所にバイク用のモリブテングリスを薄く塗って組み直す。途中、スプリングを組み込む方向とツメをセットする方向をで迷ったが、分解しないでおいた逆舷のウインチを参照にした(「唐草」船長、アドバイスありがとうございました)。

    右舷を終えて左舷に取りかかる。動きが重かった理由は、ベアリングのグリスが固まりつつあったためだった。軽油で洗って組み上げる。初めてウインチの整備を行ったが、1300から始めて両舷終了が1500。途中、「STARTING OVER」メンバーとエンジンの件で話し合い、「Adelita」船長と伊豆諸島の港事情で情報を交換していたので、もっと短時間でできるだろう。

    整備後のウインチは回転が軽くなって扱いやすくなった。音も軽やか。手間をかけた成果が分かりやすくてうれしいことよのう。

    軽風、のち、順風

    4月11日 日曜 曇りのち晴れ 南西の風 風力3(阿武隈独自基準)

    1000、MMF到着。バイク用駐車証をもらう。支払いは来週。出港届けの記入は正確にすべての項目を記載するようにと県から指導があったとの由。了解しました。

    1030、阿武隈上船。計画では土日と船に泊まって集中整備と思っていたが、穏やかな土曜は花見に変更。日曜も風がない予報だったので港で整備と考えたが、思い返せばしばらく船を出していない。晴れてきたので午後から風が上がるかもしれない。急きょ、セイルをセットして1130出港する。

    宮川湾を見下ろす風車は止まっているが、わずかに東から風が吹く。ジェノアとフルメインの組み合わせで帆走。最初は剣埼灯台沖を目指し、タックタックで東に向かう。

    剣埼灯台の南沖に到達してMMFに引き返そうとしたら、風が南からそよそよと上がってきた。舷側を引き波が音をたてて流れる。おおう、気持ちいいぞ。そのまま城ヶ島南岸を西に進む。そのまま、さわさわと引き波を従えて帆走していたら、はるか先に南西ブイが見えてきた。いやー、久しぶり。

    1450、南西ブイをぐるりと回って引き返す。途中、ヒーブツーで船を流して遅い昼食をつくる。ベーコンをギャレーで焼いてフランスパンと食べた。30分ほど漂って再び帆走り始めるが、風はどんどん落ちていく。2ノットを切ったところで機帆走に切り替える。

    1630、MMFに帰港。解装して1800下船。帰ろうと甲板に上がったら、「Dhoni」船長に車で送りましょうと声をかけていただく。ああ、ありがとうございます。とても助かりました。いつもいつもすみません。奥さんとお子さんによろしくお伝えください。

    来週はいよいよモトラ復活か?

    #右舷ウインチが不調。左舷と合わせてこりゃいよいよ分解掃除だな。

    伊豆諸島における携帯電話のエリア

    auを切ってもmovaを残していたのは、洋上や伊豆諸島において最もカバレッジが広いと考えていたからだ。しかし、2009年の式根島巡航で洋上におけるFOMAの圏内エリアがmovaとほぼ同程度だったこともあって、FOMAとレイヤー2で接続するb-mobileの導入に伴ってmovaも整理することにした。

    ちなみに、「SBMのiPhoneをJBしてb-mobileに移行しても使えるエリア的に意味ないじゃん」という意見が多々あるようだが、少なくとも伊豆諸島を巡航するスキッパーにとって、神津島三浦漁港と新島若郷漁港で使えないSBMより使えるb-mobileSIMがはるかに便利だ。

    巡航先や巡航海域で携帯電話が使える使えないの判断は、キャリアが用意しているエリアマップより実際に使うことが確認されたユーザーの報告が確実だ。また、時間経過に伴う変動も激しいので、できるだけ最近の情報を把握するほうがいい。

    わけあって、「阿武隈」は、2008年巡航でMMFと波浮、若郷、神津島三浦間におけるmova、au、SBMのエリア検証を、2009年巡航でMMFと野伏間におけるmova、FOMA、au、SBMのエリア検証をそれぞれ実施している。

    mova、FOMA、SBMは全航程で圏内。auは三崎-大島間の一部で圏外。
    寄港地の検証では、mova、FOMAはすべての港で圏内。SBMは三浦、若郷で圏外。auは三浦、若郷、野伏で圏外。野伏のau圏外は、岸壁より低い船内という条件で。岸壁に上がると圏内。

    ちなみにmovaのみながら2005年にはMMFと三宅島間で検証を行い、新島三宅間の一部を除く全航程と坪田漁港、阿古漁港が圏内であることを確認している。

    auは大島以南の利島、新島、式根島の東岸沖でも圏外。伊豆諸島海域ではauが洋上でつながりにくい。G'zOneという名機があるだけに捨てがたいものがあったが、つながらなくては意味がないのでauを切った。こういうとき、キャリアと端末の組み合わせが自由に選べないのは不便極まりない。

    b-mobileSIMで日本巡航の通信コストを圧縮する

    FOMAとレイヤー2で接続する日本通信のb-mobileSIMを、“むにゃむにゃ”したX02HTで運用開始。懸案だった300Kbps制限のデータ転送速度もX02HTで使うぶんには問題なし。通話は白ロム携帯電話を格安で調達して、こちらはSBMのホワイトプランのみで使う。

    これまで、SMBのブルーSS+パケット定額Bizと離島用movaで月1万1000円強だった通信コストが月3500円程度に圧縮できた。長期間巡航を公開しているHPやBlogで高額な通信コストで悩む報告がよくあるが、そのようなスキッパーに、FOMAと同じエリアで使える低価格定額データ通信の登場は朗報ではないだろうか。

    (以上、自分が発言した複数のツイートをまとめて加筆したものです)

    モトラのキャブレータを修理する。

    モトラのキャブレータからガソリンが漏れる。以前もこの症状が出ていて、そのときはパッキングをすべて交換して解決した。

    2年ちょっとで劣化するものなのかと疑問に思いながら、再度パッキングを取り寄せて修理にかかる。前回は燃料コック(モトラではキャブレータの一部に組み込まれている)から漏れていたが、今回はキャブレータを上下に分ける境目、パーツリストでいうところのキャブレータアセンブリとチャンバーアセンブリの合わせ目から盛大に漏れていた。

    キャブレータを車体から取り外してパッキングを交換する、いたって簡単な作業、と思えるがモトラのフレームは中途半端にキャブレータに干渉しているので、インマニに固定しているボルトのナットが容易に回せない。モトラの見た目に相反して整備性はあまりよろしくない。じわじわとナットを回してようやく取りはずせたが、今度はエアクリーナーのホースが固くて外せない。ええぃ、エアクリーナをフレームに固定しているボルトも外してエアクリーナーごとずるずるー、と取り出した。

    ホースを外し、チャンバーとキャブレータアセンブリを固定するネジを外して分解。パッキングを交換して再びチャンバーとキャブレータアセンブリをネジで固定する、っと、ありゃ、ネジが全然しまらないぞ。と、ネジをみるとネジ山に金属片がつまっている。あわわわ、ネジ切ってしまったー。キャブレータアセンブリに刻まれたネジを削ってしまったので、アセンブリそのものを交換しないといけない。ぐあー、大事になった。

    まったくもって偶然なことに、前回キャブレータからガソリン漏れが発生したときに交換用の中古のキャブレータを購入していた。先に述べたように、そのときはパッキングの交換で済んでしまったので、無駄金を使ってしまったと後悔したが、何が幸いするか分からない。パッキングを交換して組み上げ、フレームに取り付ける。

    従来のキャブレータはすこぶる調子がよく、アイドリングこそ回転数が低かったものの、高速までエンジンを快調に回せる混合比で燃料を燃焼室に送り込んでいた。今度のキャブレータはどうだろうか。エンジンをかけるとアイドリングの回転は高く安定している。あとはどこまで高速に回せるかだ。試走して確認したかったが時間切れ。チューニングは次週に持ち越すことになった。

    モトラのレギュレータを交換する

    このところ、MMF通いで「電車とバスを使って」が続いている。モトラの電装系が不調で走らせることができないでいた。モトラで高速で走行するとヘッドライト、テールランプのバルブが飛ぶことが頻発していた。

    バルブが飛ぶのは過剰電流が原因で、最初、その理由を劣化してダムの役目が果たせなくなったバッテリーにあると思っていたが、バッテリーを交換しても症状は改善されなかった。

    次に考えられるのが安定した電流を生成するレギュレータだ。ちょうどオークションで実働車から取り外した出物があったので入手して交換する。

    モトラの電装パーツは、シートをはねあげてバッテリーボックスを外せばアクセスできるが、レギュレータはそれらの一番奥に取り付けられているので、そのままでは取り外せない。やむをえず、電装パーツを取り付けているステーを取りだし、それからステーにボルト留めされているレギュレータを外した。

    うかつにも、取り付けられていたときの表裏を忘れてしまい、交換するレギュレータの取り付けで迷ったが、サービスマニュアルには取り付けるコードとピンの位置関係も記載されているし、そもそもソケットが正しい向きでしか差さらないので、時間をかけて迷う必要はなかった。

    レギュレータを交換したら、エンジンをかけてウインカーを点灯し、エンジンの回転数を変えながらウインカーの状態をチェックする。いままでは、エンジンの回転数を上げると点滅間隔が短くなっていたが、いまは安定している。

    モトラを購入してから懸案だった不具合がようやく解決した。しかし、もうひとつの懸案「キャブレータからガソリン漏れ」が残っている。

    海の上でベーコンを焼く

    3月22日 祝日 くもりのち晴れ 北東の風 風力3から2

    「ごめん、私はもう寝ます」と書いてからスライスした干し肉を口にしたら、これがとてもうまかった。これは、一人で食べたらもったない。なかなか夜襲をかけてこない「YeeHAW!」のメンバーをこちらから呼びに行き酒宴。結局寝たのは日付が変わって大分過ぎた時間になった。

    で、結局朝起きたのは日が大分昇った0800だった。冬から春先にかけて寝袋を使っているが、いつも体にまとわりついて寝苦しい。毛布を使って寝たら快適だった。やっぱり船らしく毛布に替えよう。

    管理棟に出港届けを出す。ヘッドセイルにゼノアをセットしていたが、北東の風が意外と強いので、ジブに交換する。準備が整い出港、と思ったら、機関が始動しない。バッテリーターミナルの締め具合を見直しても問題なし。結局、機関室にある、(オリジナルの)メインスイッチブラス側端子のサビをブラシで磨いて解決。

    0930、出港。セイルの固縛を解いて揚索を引こうとしたとき、メインセイルに揚索をつけ忘れていたことに気が付いた。固縛を解いたセイルがあおられないように風を船尾から受けて相対風速を抑え、揺れる甲板で作業してようやくセイルを揚げる。

    ジブとフルメインの組み合わせで帆走。クォーターリーでジャイブを重ねつつ、南と西に向かう。南西ブイを目指したが、1100あたりから風が落ち始める。これはとても届かないと思い、反転。MMFに向かう。クローズホールドでタックを重ね、北と東に向かう間にもクローズホールドでないと走らせられないほどに風は落ち、1200、ついに風がなくなった。ジブを降ろして機帆走に移る。

    きのうの夕方まで南西の風が吹き荒れていたが、今日の海はうねりもなく穏やかだ。それならばと、その場で漂泊しながら、ギャレーで厚切りのベーコンを焼いて、ちぎったフランスパンと一緒に食べる。

    1230、食べ終わってMMFに向かって前進開始。1300、無事帰港。解装して1500、下船。露出していた手の甲が赤く焼けていた。

    思いのほか寒くなった夜

    3月21日 日曜 晴れ 北東の風7メートル(剣埼灯台観測値)

    朝まで風雨が吹き荒れたが昼前には晴れ上がった。ただ風は強いままだ。早めに「阿武隈」に行ってオートパイロット電源コネクタを取り替えようかと思ったが出発が遅れた。

    1600、自宅出発。1740、三浦海岸到着。海岸沿いのマックで時間を潰してバスを待つ。1930、「阿武隈」上船。強い南の風がマストを鳴らしていたが、セイルをセットするほんの少しの時間で風が落ちてしまった。

    船でスパゲティーを茹で、たぶん夜襲をかけてくるであろう「YeeHaw!」メンバーに貢ぐつもりで持ち込んだ洋酒をなめなめ、本を読んでいたら2200には眠くなってしまった。ごめん、私はもう寝ます。

    風が北東に変わって上がってきた。明日は夜明け前に出港する予定。2200、港内のサーチライトが消えて一面の星空。西に三日月とオリオンが沈み、南天高く獅子がいる。もうすぐ春だ。明日は春分の日。

    #左舷ジブシート用ウインチが固い。要分解整備。

    冬眠するマリーナ

    3月6日 土曜 晴れ

    所用でハンブルクに1週間滞在した。いつもの海外滞在と同じく、宿舎とハノーバーにある会場の往復で1日が終わって、その土地のことは何も知らないまま滞在期間が終わった。

    帰国する日の朝、7時から8時までの1時間だけ自由に使えることになった。今回こそは港を見に行きたかった(週末になるとハンブルクの地下鉄は24時間動いている)のに、用事がギリギリまで終わらず、結局、前回同様、外アルスター湖にある帆走クラブのポンツーンを見に行くことになった。

    ハンブルクに留学したことがある「YeeHAW!」のメンバーに「湖が凍るんだ」と聞いていたが、暖冬だった前回は氷どころか雪さえなかった。しかし、往路の飛行機でハンブルクに住む日本人に聞いたところ、今度の冬は13年ぶりに凍結して市民が氷上で遊んだという。さらに、滞在中の北ドイツは悪天候が続き、帰国前日の夜から吹雪になった。

    その吹雪がやんだ早朝。ホテルを出て外アルスター湖を目指す。ほどなく全面が凍結した外アルスター湖に到着した。ディンギーは雪に埋まり、前回きたときに桟橋へ係留していたディセーラーはどこかに陸揚げされたらしく見当たらない。

    辺りは静寂。白く広がる凍結した氷面に射し始めた太陽でできた影が長く伸びる。時間が経つとともに長かった影は短くなり、昇る太陽に照らされて氷面が淡く染まった。染まった氷面が白く輝き始めるころ、宿に引き返した。

    早朝に離陸する便はキャンセルが相次いたが、オーストリア航空は予定通り出立し、ウィーンを経由して日曜の朝、日本についた。

    津波到達時刻に情報遮断

    2月28日 日曜 雨

    チリ地震で発生した津波が2月28日日曜の昼過ぎに日本本州に到達するという。

    この日は大潮で、本州の太平洋沿岸に到達する13時ごろは満潮の3時間ほど前の上げ潮。さらに前日から南のうねりが押し寄せていた。

    これはタイミングが悪い。本当ならMMFで警戒したいところだが、ちょうど津波到達予想時間は所用で「機上の人」だった。

    いまや、世界のどこにいてもネットワークにアクセスできれば日本の情報をチェックできるが、飛行機のエコノミーではどうにもならない。津波で「阿武隈」がどうなったか、情報遮断の機上で14時間あまりやきもきすることになってしまった。

    ちなみに、式根島から三浦半島のMMFまでダイレクトで帰ったとき、帆走で15時間程度かかったが、その間、FOMAとソフトバンクモバイルは全航程で圏内だった。ネットワークが使えて便利と思うかネットワークから逃れられなくて不便と思うかはその人次第。

    船舶免許更新でスクランブル

    2月23日 火曜 晴れ

    係留申請書類に添付する船舶関係書類を「阿武隈」から2月21日にピックアップしてきた。で、その夜に写しをとっているとき、面倒なことに気が付いた。「のあー、船舶免許の有効期間があと三日しかない!」

    失効しても講習を受ければ再交付されるが、このときは諸々の事情が重なっていた。

    ・3月第一週までに係留申請を提出しなければならない
    ・係留申請には有効な船舶免許の写しが必要
    ・2月最後の週末は日本不在

    なんとしても、あと三日で免許を更新して係留申請を提出しなければならない。どうする?

    検索すると、23日の昼に麹町で更新講習がある。それに出て、青海の運輸支局にダッシュすればなんとかなるか。

    しかし、その日は所用が朝と夕方に入っている。運輸支局の自己申請にどれだけ時間かかるかが鍵。たしか、以前横浜で申請したときは短時間で終わったはず。

    というわけで、23日。1145、麹町到着。1230講習開始。1330講習終了。1420、運輸支局到着。1440、自己申告終了! 新しい免許を手に入れた。

    Tipsは「申請用紙は鉛筆で記入」

    いい風吹いたが病み上がり

    2月21日、日曜 晴れ 北東の風10メートル(剣崎灯台観測値)

    1100、三浦海岸駅下車。観光客でにぎわう。油壺や宮川湾のヨット乗りがぶつぶつ言う声もネットからいろいろ聞こえてくるが、地元にすれば、にぎわって何よりなんだろうなと。文句ばかりで地元の商店に金を落とさない我々(あ、私だけですか)こそ地元から嫌がられているんじゃないのと思ってみたり。三浦海岸に面したマックでバス待ちの時間調整。すぐ近くには、“三浦ツウ”御用達の食堂もあるが、海を見渡せるここが気に入っている。おお、モバイルWiMAXががんがん使えるのね。

    1230、「阿武隈」上船。久しぶりに北東のしっかりした風が吹いているが、病み上がりなので港で過ごす。係留申請に必要な各書類を「阿武隈」からピックアップする。キャビンでAIS検証用画像をいろいろと撮影。短いハンディVHF用アンテナを取り付けてキャビンに設置した2万円しないレシーバでも12海里先のAIS信号を受信できる。衝突防止用ならこれで十分だろう。

    風が冷たい。ストーブを焚いて暖をとる。「阿武隈」ではUniFlameの「WAAARM」をずっと使っている。カセットガス2本搭載で燃焼時間は10時間。屋外用なので換気に注意しなければならないが、パワーがあって重宝している。もともと中古で入手したが、「阿武隈」で長期にわたって使っているうちに、だいぶくたびれてきた。代替品を用意したいが、オークションでも出品される機会が少なくなっている。最近のプレジャーボートでは、イワタニのカセットガスストーブが主流になっているようだが、燃焼時間が短いのがネックだ。

    1550、下船。きょうは、いよいよ挙動がおかしくなってきたX02HTを大手術するので、早めに帰宅する。

    「Dhoni」船長と海に出る

    2月14日 日曜 曇り 北東の風 風力3から1(阿武隈独自基準)

    1200、「阿武隈」上船。整備をしている「Dhoni」船長と雑談。「“阿武隈”時間なので帰ってくるのが遅くなりますけど、よかったら一緒に出港しませんか」と誘う。話しまとまって「阿武隈」では大変珍しいダブルハンドで1300に出港。ヘッドセイルの選択に迷ったが、二人いることもあってゼノアを選ぶ。北東の風を左舷後方から受けて南に向かう。

    「Dhoni」船長に操船をお願いして、AISの検証作業を進める。航路を進む本船はほぼ捉えている。SOBでは、衝突コースにある本船が赤いアイコンで示される。ジャイブして「阿武隈」の進路を変えるとアイコンが黄色に戻った。AISの設置義務がない500トン未満の内航船や遊漁船はAISに表示されない。

    「南西ブイでも目指しましょうか」となったが、風がどんどん弱くなり、1430、機帆走に移る。「なら、油壺でも巡りますか」となったが、風が冷たく三崎港北条湾をぐるりと回って、MMFに帰港した。

    「Dhoni」船長の人柄のおかげか、ゆったりと楽しく過ごすことができた。よかったらまたご一緒させてください。「Dhoni」船長にセイルの収納を手伝っていただいただけでなく、車で駅まで送ってもらう。なにからなにまでありがとうございました。

    AISで遊ぶ

    2月7日 日曜 晴れ 南の風5メートル(剣埼灯台観測値)
    1200、MMF到着。「みらい」船長から「AIS 38400」のメッセージあり。先週うまく表示されなかったAISレシーバとPC側との接続設定情報だ。オンラインで入手できるドキュメントでも転送レートを38400bpsに設定するように指定されていた。デフォルトの4800じゃまともにASCIIコードが読み取れないはずだ。
    「阿武隈」上船。風が落ちてしまった。きょうは港でAIS設定の続きをする。AISレシーバをコンパニオンハッチから外に出しアンテナが垂直になるように設置。シリアルインタフェースをUSB変換アダプタを介してNetbookに接続。デバイスマネージャでCOMポートプロパティを開き、転送速度を38400に設定。PC側の航海ソフトでAISデバイス接続ポートの設定画面を開いて、COMポート番号と転送速度を設定。GPSとAISを接続したポートを開くと、AISで受信した本船位置情報の三角シンボルと丸い自船位置が表示された。やったね。
    その後もしばらく設定を試行錯誤して速度と方位のベクトルを表示させたり受信したターゲットリストの内容をチェックして遊ぶ。アンテナをキャビン内に設置しても、MMF港内で剣崎から南から房総半島南端までの本船が把握できた。
    2006年に(私が勝手にお師匠さんと思っている)先輩船長の小豆島〜西伊豆回航でAISを試験的に運用したが、そのときのシステムはレシーバと対応航海ソフトをあわせて30万円コースだった。
    今回構築したシステムは、レシーバと対応航海ソフトをあわせて5万円を切る。レシーバだけなら2万円かからない(送料は別)。バリュークラスのハンディGPSより安いコストでAIS機能を付加できる時代になったんだなあ(ちなみに今回購入した廉価なAISレシーバはKAZI誌でAPRSの解説記事を連載している「新高丸」船長に、「ラピタ丸」船長が運営している掲示板で教えていただいた。両船長、ありがとうございました)。
    1400過ぎから南の風が上がってきた。んんん、午後からぱったり風がやむと思っていたのにちょうどいい風だ。うあー、もったいない。でも、これからセイルをセットして帰港してから解装するにはちょっと遅い。YeeHawにお邪魔して、タコとカワハギをごちそうになる。美味しかったです。ごちそうさまでした。
    1600、下船。宮川町からバスに乗って三浦海岸に向かう。

    AISで悩む

    1月31日 日曜 晴れ 風弱く

    0930、起床。寝袋にくるまっているとよく眠れない。毛布に変えようか。バースのクッションにも問題があるのか。

    晴れているが風がない。出るかでないか迷いながら管理棟に出向く。「Barbarian」メンバーと「みらい」船長とで肩ふりで盛り上がる。お二人とも海外の国々を仕事で訪れている。とても面白い話を聞けて楽しかった。

    船に戻ったらもう昼を過ぎていた。風もパッタリと止んでしまった。そのまま港で過ごす。昨晩テストで取り付けたAISレシーバが本船データをまったく捉えなかった。有視界の本船動静が把握できれば十分と考えていたので、短いモバイル用VHFアンテナを取り付けていたのが悪かったのか、シリアルとUSBの変換アダプタが悪さをしているのか、PC側のポート設定が間違っているのか、PCで動かしている航海ソフトに問題あるのか。

    チェックポイントが多岐にわたって始末が悪い。舶用電装機器のプロでもある「みらい」船長に相談する。

    アドバイスは三点。

    ・AISは垂直波なので、アンテナは寝かさずに立てること
    ・ポートの通信速度、パリティチェックなどの設定を確認すること
    ・ハイパーターミナルでAISレシーバからPC側にデータが流れているかチェックすること

    無線をやらないので最初のアドバイスは教えてもらわないと気が付かなかった。ポートの設定はマニュアルを見ないと正しい設定が分からないが、AISキットには紙のマニュアルが付属せず(オンラインでPDFを参照するようになっていた)、とりあえず「常識的な値」であるデフォルトにしておく。

    ハイパーターミナルを使った通信チェックは、はるか昔にモデムを使っていたころにやったことはあるが、もう使い方もコマンドも忘れてしまったよ。「みらい」船長に使い方を教わりながら起動、おお、なんかテキストらしきものが入力されてくる。どうやらAISレシーバーとPC側の接続と通信はできているようだ(ちなみに、第2、第3の確認はGPSをPCに接続したときでも同様)。

    でも、PCで動く航海ソフトに本船データは表示されない。AISレシーバーのパイロットランプを見ても、電波を受信していることを示す赤LEDは点滅していても、AISデータ受信を示す緑LEDはたまにしか点滅しない。港の中なので本船が航行しているか否かを自分の目で確認できないが、三浦半島の南端を本船が航行していないわけがない。

    「アンテナの感度不足かもしれんね」ということで、次回、「みらい」の高感度VHFアンテナを使って再度検証することになった。「みらい」船長、帰りがけに引き留めて長時間のサポートありがとうございました。

    1600、下船。管理棟の前で会った「Macca」船長のMini(しかもクラシックタイプ!)で駅まで送っていただく。ありがとうございます。あのボディからは想像できないパワフルなドライビングを堪能させていただきました。

    Moon Light Sailing

    1月30日 土曜 晴れ 南東の風 風力2

    1630、自宅出発。途中、修理が終わったオートパイロットをKAZIシープラザからピックアップしてMMFに向かう。京急車内で三浦海岸駅到着時刻と剣埼経由三崎東岡行きバスの発車時刻を調べる。うぉ、わずか三分で連絡する。駅で食糧を調達しようと思ったのに。買わずに乗るか三崎口で調達して暗い道を歩くか。迷うことなく三浦海岸駅で降りる。三浦海岸を走るバスから海を見ると、満月に照らされて銀色に輝いていた。無性に海に出たくなる。

    1930、「阿武隈」上船。大潮ということで、いろんな方からアドバイスをもらう。出るか出ぬか迷ったが、風がこのまま朝まで安定するのと、潮の流れが緩やかになる干潮時刻の前後1〜2時間に出港して帰港することにする。月の光で甲板が青白く光る中を艤装。米国からネット販売で安く入手したAISレシーバも取り付ける。仮設置なのでスイッチパネルではなくバッテリーから直接電源をとる。

    2200、出港のため機関始動、う、バッテリーがアウト。船の照明がすべて落ちた。のあー、出港できないのか。AISレシーバの電源コードをバッテリーターミナルに接続するときに締めかたが緩かったのか。ギュッと締め直して再始動。今度はうまくいった。

    2220、出港。港内のサーチライトも消えていたが、月に照らされてよく見える。干潮が近いので水路の真ん中を意識して進む。ジブとフルメインの組み合わせでセイルを揚げる。海は穏やか風も弱く帆走がままならない。南に向かって進むが船足は伸びず、安房埼灯台をなかなか越せない。ジェノアが適切かもしれないが、視界を確保するためジブを選んだ。



    静寂。ほかに船はいない。月が頭上から青白い光を「阿武隈」に投げかける。不意に爆音が響いて一条に飛行機雲が空を貫く。その飛行機雲は上空の風に流されて月を跨いで東の空に消えていった。



    2400、安房埼灯台を越えてようやく城ヶ島の南に出た。だが、そろそろ帰らないと。ちょうど磁方位60度に見える剣埼灯台を目指して戻る。MMF入口灯標が磁方位20度にきたポイントで転針。灯標を目指す。

    帆走したままジブを降ろし、機関をかけようとしたら、またバッテリーアウト。機関がかからないっ。それどころか航海灯まで全部消えてしまった。と、そのとき、MMF入り口付近を東に進む緑色舷灯と高い位置にある白色灯を確認した。「阿武隈」以外にセイリングクルーザーが遊弋しているのに驚いたが、こちらの航海灯がいきなり消えてしまったので、むこうもびっくりしているんじゃないだろうか。こんな深夜に出くわしたとたん、航海灯を消して針路を変えたら挙動不審船以外の何者でもない。おりしも、三浦半島西岸の港では船外機の大量盗難があったばかりだ。まずいー。

    まずは、バッテリーターミナルを増締めして航海灯を回復させる。ついで機関を再始動、あ、また落ちた。くっそー。今度はメインスイッチの端子ボルトを締め直す。おっと、けっこう緩んでいた。今度は航海灯を点けず、機関再始動を優先する。どりゃ、動いたー。

    航海灯を点灯し、メインセイルを降ろし、係船索とフェンダーをセットして2510、無事帰港。深夜にもかかわらず起きていた「PrincessBay II」船長と「Adelita」船長に補助していただく。ありがとうございました。

    セイルを固縛し、カップラーメンを食べて、2600、消灯。

    春のような陽気で港に籠る

    1月20日水曜 晴れ 南西の風17メートル(剣埼灯台観測値) 

    平日に休み。ようやく「阿武隈」に行ける、と思いきや、MICSが剣埼灯台17メートルを報じている。だ、だめだ。今日も出港できない。行くか行かぬか迷ったが、晴れているし暖かいしということでMMFに向かう。

    1230、MMF到着。まるよしで昼食。1300、「阿武隈」上船。風が収まってきた。ん?剣埼灯台8メートルならいけるなー。でも、天気図は天候が悪化して風が強くなるといっている。自然が仕掛けたトラップか?迷って迷って港に残る。気温は高く春のように風が心地よい。

    コックピットロッカーを整理してスペースを作り、いつもスターンパルピットに下げていたG6級デカフェンダーを収納する。パンクして機能しないが、それでも漁港に係留したときには役に立つので捨てられない。

    「Starting Over」船長が来船。キャビンで肩をふる。沖縄レースに参戦して4時間2交代ワッチの航海を1週間続けたという、興味深い話を聞く。「今度、一緒に島へ行きましょう」と盛り上がる。「阿武隈」の航海はいささか変態志向ですが、それでよろしければ、ぜひ。

    そういえば、「YeeHaw!」のメンバーを誘った「伊豆諸島どこにも寄らずにぐるりと回るだけのバカ巡航」はまだ実現していない。「そんなことあるわけないでしょう」と完全否定された「セイルを照らすほどに夜光虫で輝くウェーキー」を見せたい。

    1600、下船。そのまま、「Starting Over」船長の車で三浦海岸駅まで送っていただく。ありがとうございました。帰宅途中にKAZIシープラザによってオートパイロットの修理を依頼する。三崎口にRayMarineの代理店があって、そこに預けようとずっとずっとチェックしていたが、休日はいつも閉まっていてお願いできなかった。もっと早くKAZIシープラザにお願いすればよかったよ。

    海南神社を海から詣でる

    1月3日 日曜 晴れ 北北東の風6メートル(剱埼灯台観測値)

    1030、「阿武隈」上船。気になる機関室のビルジは先週から増えていない。ビルジ受けの導水路がうまく機能したようだ。

    北東の風がほどよく吹いているが、翌日からの遠方出張に備え、帆走はやめておく。その代わり、機走で三崎港に向かい、海から海南神社を詣でる。北東の風を三浦半島がブロックしてくれるので、海面はフラット。ただし、うねりがユッタリと入ってくる。

    城ヶ島大橋をくぐり、北条湾の入り口で船の行き足を止める。舳先と舵とマストにウィスキーをかけて清める。残ったウイスキーと賽銭を海に捧げ、北条湾から見える海南神社に柏手を打ち二礼する。

    MMFへ戻る途中、剱埼灯台を見る。今年も「阿武隈」をMMFへ導いてください。振り返ると、安房埼灯台が見える。今年も距離をおいたお付き合いでよろしく。

    1150、MMF帰港。「Dhoni」船長に補助してもらう。ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。「みらい」船長、「Starting Over」メンバーとも新年の挨拶を交わす。

    1200、下船。昼食はまるよしで。ふんぱつ(当社比)して「青のりだんだん」を頼む。おぅ、けっこう満腹満足。