阿武隈 twitter版

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    戦いすんで日は暮れて

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力3(阿武隈独自基準)

    たぶん、日本で初めてと思われる“ヨット同士による戦い”となった保田沖海戦が終わった。勝者の「SIESTA」の後に続いて敗者の「阿武隈」は保田漁港を目指す。それは、帆船時代の海戦で拿捕された戦列艦の姿に似てなくもない。しかし、勝者は敗者に優しかった。港内は東京湾レースの参加艇でごった返しているのに、レーススタッフは、敗者の「阿武隈」にも親切ていねいに係留場所を誘導してくれた。係留場所は、「風雅」「SIESTA」に連なる外側。

    実を言うと、ほかの船に横着けするのが久しぶりな「阿武隈」は、かなり緊張しつつ、「SIESTA」に“接岸”、「風雅」と「SIESTA」という、大先輩の支援と指示を受けて、1400に係留作業を終えた。

    本当ならば、「SIESTA」のメンバーと戦いを終えた祝杯を挙げたいところだったが、日帰りの「阿武隈」は、一足先に番屋で食事をすることにした。「SIESTA」「風雅」とあいさつしながらゲストともに下船。ほんっっっっとに久しぶりに番屋を訪れたが、いつの間にか、食事をする建屋が増えていて、ほとんど待つことなく、入港手続きをしている間に席に通された。ゲストとともに、“鯵のなめろう”や“朝獲寿司”で1時間ほど食事。今回、「阿武隈」で戦ってくれたゲストは「“海戦ごっこ”のあとは安くておいしい海鮮!」といって勧誘していたので、なんとか約束を果たすことができた。その後は各自で自由行動。1630に「風雅」「SIESTA」のメンバーの見送りを受けて保田漁港を出港する。

    帰りの航海は、南の風がほどよく吹いていた。ゼノアとフルメインでアビームという絶好の条件で帆走する。行く手の空は茜に染まり、黄金色の空と海の中を夕焼けに向かって航行する。その左側には一番星の金星がギラリと光り、振り返るとまもなく望を迎える月が輝きを増している。

    東京湾を横断して剣埼灯台を正横に見る頃合になると、前方で日が沈み、背後から夜空が追いかけてくる。月の輝きで海面には銀色の道ができていた。「ここで、剣埼灯台が点灯したら最高なんだけどね」とゲストに話していた直後、なんと、目の前で剣埼灯台が光りだした。白、白、緑という特徴ある灯質をゲストに見せることできた。なんというか、「これって出来すぎ」と思ってしまうほどに、最高な夏の帆走だった。

    が、やっぱり私はヒーローになれなかった。
    ゲストの1人が「なんか丸い物が繋がって浮かんでいますよ」と行く手を指差した。のあーっ!三崎港東海域名物「南に出っ張った定置網」じゃー!

    ゲストの手前、平然と、しかし、内心は飛び上がらんばかりに動揺しつつ、(前甲板にゲストがいるにもかかわらず)急転舵してタック。定置網をかわして再度タック。なんとか、無事にMMFの港入り口まで到達した。

    後は、係船索をセットして風上に船を立ててヘッドセイルとメインセイルをおろす。

    が!「なんか、また丸い物が浮いていますよ」

    予想以上に船のスピードが出ていて、MMF港口東側に広がる定置網に突っ込みそうになった。セイルを降ろしているから、もう帆走できない。急いで機関中立。行き足が残っているうちに針路反転。なんとか、無事にブイをかわしてMMFに向かう。機走でスピードが出ない。4ノット程度。スクリューの付着物がかなり増えたか。巡航前に船を上げないとだめか。1930にMMF帰港。

    帰宅するゲストを見送った後、疲労困憊でそのまま寝てしまった。南の風がどんどん上がったせいか、蚊がぜんぜんいなかったのに、船内が暑くてよく眠れず。翌日、時間をかけて、休み休み、ゆっくりのったりと船を解装。1200に下船。管理棟でしばし雑談。「Starting Over」のメンバーに車でYRP野比まで送っていただいた。疲れきっていたので、本当に助かりました。ありがとうございました。

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