阿武隈 twitter版

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    台風4号がくる

    7月14日 土曜 雨 

     2030、自宅出発。途中忘れ物に気がつき家に戻って2100、再出発。2220、MMF着。

     いろいろと事情があって、土曜日は港に行かないことにしているが、今回ばかりはそういってもいられない。台風4号が15日午前中に三浦半島をかすめるとあって、夜になってから、荒天準備のため港に向かった。出かけるときになって、右隣に係留している「SILVERWAVE」(リベッチオ)のオーナーから昼間「阿武隈の左舷側フェンダーがつぶれていて危険」とメッセージが入っていたことに気がついた。

     さすがに、モトラで行くわけにいかず、電車とタクシーを使う。三崎口駅から宮川漁港まで1700円。昼間道が混むと「2000円は行きますね」とのこと。MMFに着いたとき、風は多少あったが雨はあがって、港は異様に静かだった。

     いつもは船尾にくくりつけている漁港用大型フェンダー2つを桟橋と接する左舷に下げ、右舷側もフェンダーを1つ増やす。

     「阿武隈」では既存の係留索で普段余らせている部分を使って増し舫いができるようにしてある。バウラインは、余らせて丸めている部分を伸ばしてクリートに固定。ミジップからクリートに伸ばしているスプリングも、余らせている部分を使ってラインを二重にし、さらに余った部分をスターンのクリートに導いて固定する。

     ブームを両舷から雑索で固定して荒天準備は完了した。警戒のため、この日はそのまま船に泊る。今年初めての船中泊だった。15日0100、就寝。寝るころになってようやく雨が激しく降り始め、波の音も大きくなってきた。



    バウラインの取り回し。フォアステーの基部と干渉しないように、左舷クリートから右舷フェアリーダーへ、右舷クリートから左舷フェアリーダーへそれぞれラインを取り回している



    余ったラインをミジップクリートから桟橋に導き、そこからさらにスターンのクリートに固定して、ミジップラインとスターンラインを2重にする


     夜中、雨が甲板をたたく音で何度も目を覚ました。集合住宅に住んでいると雨の音を聞くことがない。石つぶてが延々と甲板に降ってきて、そのうち穴が開いてしまうような、そんな想像を夢うつつにしてしまうほどに大きな音だった。

     7月15日 0500、起床。雨はあがっている。風もまだそれほど強くない。阿武隈を泊めているA桟橋をひと回りしたが、すべての船が増し舫いをし、ファーラーをいつもより厳重に固縛して荒天準備を済ませていた。みんな、きのうの昼間に作業を行ったようだ。私も交通機関が動いているうちにここを脱出しよう。



    MMFでは防波堤に波が打ち付けるとこんな「潮吹き」が見られる

     以前、YBMに船を泊めていたころ、今回のように台風が来る直前に荒天準備を行い、すぐに帰ればいいものをうっかり船で昼寝して、気がついたら台風のピークで脱出できなくなったことがあった。桟橋では歩けないほどの風が吹きまくり船は伊豆諸島沖を帆走しているときと同じようにヒールした。風と雨は30分ほどでぱたりと止み、何事もなかったかのように静かになった。近くに係留していたトリマランが横倒しになっていた。

     今回は静かなうちに帰宅することにする。0700、下船。船を離れて歩き出したとたんに雨が激しくなってきた。しかし、昼前に自宅に着いたあと、風も雨もそれほど強くなることはなく、夕方には青空が見えてきた。昼間、SILVERWAVEのオーナーに連絡をとって、きのうのメッセージのお礼をする。オーナーはMMFで警戒していた。

    油壺造船所から回航する

    7月8日 日曜 曇り 南の風8メートル(剣崎灯台観測値)

    0830、自宅出発。1030、MMF着。

     油壺造船所に木曜日から船底塗装作業をお願いしていた。幸い天気に恵まれ作業は予定通り進み、土曜日に船台から下ろせた。きょうはMMFに回航する。MMFから連絡して車で迎えに来てもらう。三崎湾をぐるりと廻り、岩肌がむき出しの小さなトンネルをくぐり、軽トラックがようやく通れる狭い道を通って油壺造船所に着いた。陸路で行ったのは初めてだった。


    海路のほうがたどり着きやすい油壺造船所。船台で作業を行い、作業が済んだ船はブイに係留しておく

     作業が終わった阿武隈がブイにつながれて浮かんでいた。作業中に撮影した船底の画像を後日請求書と一緒にもらうことになっている。風があるので、帆走で戻ろうかと思ったが、艤装するあいだ、忙しいスタッフを待たせるのは気が引けるし、きょうは、夕方自宅で用事があるので早く帰らなければならないのとで、そのまま出港して機走でMMFに帰る。1130、油壺造船所出港、途中三崎港で寄り道して1300、MMF帰港。

     油壺造船所にお願いしたときの費用は自分で作業していたときの3万円増しになる。ペンキを潤沢に使って(自分でするときはケチってシンナーで伸ばしに伸ばしていた)2日分の作業にかかる人件費を考えれば、納得できる価格だ。

     できることならば、自分で船底を塗りたい。

     YBMに係留していたときは自分で塗っていた。土曜の朝に船台に上げてひと塗り、日曜日にふた塗りして夕方に海に下ろす。目がくらくらするほどにシンドイ作業だったが、黙々と貝を落とし黙々とペンキを塗っていくのは嫌いでなかった。2度塗りしたあとペンキが乾くまでのあいだ、日陰で風に吹かれながら冷たいものを飲んで“ぼへー”としているのは気持ちよかった。

     もちろん。「経費節減」という切実な懐事情もある。

    機走で三崎と諸磯と油壺を巡る

    機走で三崎と諸磯と油壺を巡る

    7月1日 日曜 曇り 南の風 風力0~1(阿武隈基準

    1030、自宅出発。1230、上船。

     順番からすれば「FRPで甲板修理」のはずだが、どうにもこうにも海に出たくなった。幸いにして風はほとんどなく、船に負担のかかる帆走はできない。これなら機走でも恥ずかしくない。上船すると、セールもセットせずにそのまま舫いを外して出港した。三崎港をぐるりと回って戻ってくるつもりだったので、舫いもフェンダーもそのまま(通常はクリートから舫いを外し、フェンダーはライフラインから外してロッカーにしまう)。でも、舷側に下げたフェンダーだけは甲板に上げておいた。

     連休でもないのに、三崎港は満杯だった。久々の出港だったので、そのまま戻るのは物足りず、相模湾に抜けて諸磯と油壺も回ってみた。MMFを出港して三崎港に寄り道して油壺まで1時間強。諸磯も油壺も停泊しているヨットからしてYBMやMMFと違う。道路に面している諸磯と違って油壺の奥の雰囲気は好きだ。昼間のひと時だけでいいから、油壺のブイに舫いをとって過ごしてみたい。一晩過ごせたら最高だ。


    三崎港は二重係船になるほどの盛況



    油壺にあるボートハウス。このまま朽ちてしまうのはあまりにも惜しい



    油壺の入り口にある東大の臨海試験所をバックに出港する木造のヨット

     復路も三崎港を経由する。北条湾(ここの情景は三崎港で一番好きだ)を航行しているときに船底から「ガスッ」と衝撃を受けた。何かスクリューに絡んだかと思ったが船は進んでいる。GPSを動かしていないのでスピードの変化は分からないが、何かおかしい。湾を出てスロットルを上げると八分めと十分めとでシャフトの音が変わらない。船の「勢い」も変わっていないように“感じる”。

     そのまま、MMFに帰港。防水カメラ「Optio WP」をボートフックに縛りつけ、動画モードで船尾から水中に沈めてスクリューを撮影する。引き上げて撮影画像をチェックするとスクリューに藻が絡まっているのが確認できた。海パン一枚で海に潜って藻を取り除く。海水は冷たかった。



    スクリューを防水デジカメの動画で撮影。撮影開始から4秒のカットにスクリューが映っている

     1800下船。来週木曜から船底塗装をお願いするので、油壺造船所のスタッフに船の鍵を渡す。

    雨の日に甲板を掃除する。

    6月24日 日曜 雨 風弱し

    1030、自宅出発、1230、上船。

     予定なら、この週末はFRPで甲板を修復するつもりでいた。日曜の天気予報は金曜まで「曇りのち晴れ」となっていたが、日曜朝に「雨」に変わっていた。雨が降ったらFRP作業はできない。

     ラッキー残念。ちょうどいいからしょうがないから、きょうはごろごろすごそっと。と、バウキャビンで昼寝。バウハッチを開けておくと涼しい風が吹き込んでくるので、「阿武隈」の船内で最も居心地のいい場所になる。

     雨は午後から本降りになる。鳥のフンがやわらかくなって落としやすいのでは、と急に思い立って甲板掃除を始める。MMFは桟橋まで水道が来ていないので、バケツでくみあげた海水を甲板にぶちまけてデッキブラシでゴシゴシとやる。トリフンの塊は簡単に砕けて流れていくけれど、頑固なシミはなかなか取れない。

     機関室にビルジなし。ロッカーの漏水は確認せず。



    雨の港は嫌いでない

     1800、下船。雨が降るなか、モトラで走る。合羽のおかげで体は濡れなかったけれど、バックとウエストポーチがむき出しのままで、中身がぐちゃぐちゃになってしまった。