阿武隈 twitter版

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    機走で少しだけ南下する

    12月28日 日曜日 晴れ 北東の風 風力2(阿武隈独自基準)

    1230自宅出発。1430MMF到着。港にハワイアンが流れている。陽気な外来艇が入港しているのかと思ったら、意外にも管理棟のスピーカーから流れていた。

    保田から帰ってきた「TallBoy」の着岸を補助。船長と奥さんが船内を片付けている間、クルーの娘さんに遊んでもらう。

    1500「阿武隈」出港。伊豆半島も伊豆諸島も大西が吹いて風速20メートルを観測しているのに、剣埼灯台は「風弱く」を報じている。きょうは機走で南下する。風は弱いがうねりがのったりと南から入ってくる。城ヶ島南岸沖で昼食。塩漬け鶏肉と玉ねぎのスライスを煮る。食事を終えて反転。港に向かう。

    1630、きれいな夕焼けの中を帰港。煮汁に水を加え、沸騰させてスープにして飲む。身体が温まる。後片付けで大鍋を海でゆすいでいたら、なぜか手から離れて沈んでいった。ああああー、初代「阿武隈」から使っていた鍋なのにー。

    小物をギャレーのシンクですすいでいたら、蛇口から水垢が出てきた。清水タンクがもうじき空になる前兆だ。次回、給水すること。

    キャビンでロープワークをさらう。ストーブを使おうとしたら点火しない。着火の火花も出ているしガスが噴出する音もする。寒い時期なのにこれは困った。ガスランタンでわずかばかりの暖をとる。

    いろいろと試してみると、点火時にガスを出しすぎると着火してもすぐに消えてしまうことに気が付く。少しだけガスを出して点火、着火したら少しずつガスの吐出量を増やしてみる。消えそうになったら、ガスをやや多目にする。このとき一時的に炎が上がるがすぐに収まるのでようすをみる。これで、再びストーブが使えるようになった。

    1950下船。

    三浦半島西岸を機帆走で北上する

    12月23日 祝日 晴れ 北東の風 風力1(阿武隈独自基準)

    前の日から港に入って「阿武隈」に泊まり、翌日の朝に吹く北の風で帆走しようと思ったが、東京と横浜に雨が降って中止。

    23日は0930自宅出発。三浦海岸駅からバスで宮川町へ向かう。1120「阿武隈」上船。午前中は風が元気に吹いていたそうだが、昼を過ぎたら力尽きたように弱くなっていった。ハーバーマスターに聞くと昨夜三崎は雨が降らなかったとのこと。なんだー、それならきのうのうちに上船して午前中に帆走すればよかったー。手遅れ。

    1230出港。メインセールをあげるが風弱く帆走できず。機帆走で三崎港をぬけて相模湾に出る。PC用航海ソフトの評価を行いながら油壺、小網代湾沖を北上する。X02HTで使っているWindowsMobile用航海ソフトは三崎港から北の三浦半島沿岸海域の海図を用意しておくのを忘れていた。

    途中漂泊して昼食をとる。出港前に温めたパックご飯に鮭缶を乗せ、熱いお湯をかける。いちおうこれで温かい食事をとることができるが、海が穏やかなときでないと難しいかもしれない。

    荒崎の手前まで来て反転。帰りも三崎港を通ってMMFに戻る。三崎港のなかで係留の準備をする。1620帰港。解装して1700。きょうは「阿武隈」に泊まって、あしたの朝はまっすぐ会社に行く。

    現在、2000。いまから寝て、0300に起きて0400ごろ出港してみようかとちょっとだけ考えていたりする。




    【12月24日追記】
    上の記録を入力した後、PC用航海ソフトをいろいろ試していたら、日付が変わっていた。あららら。それからあわてて寝たが、0400に目を覚ましたらセールをセットするのが面倒になってしまってそのまま寝てしまった。いい風が吹いていたんだがなー。きのう、解装しなければよかった。案の定というかなんというか。

    0700起床。カップスープとクラッカーと紅茶で朝食。0900下船。三崎口から京急に乗ってそのまま出社する。

    強い南風で出港できず

    12月21日 日曜 晴れ 南の風16メートル(釼埼灯台観測値)

    三崎口からバスに乗って栄町下車。そこから歩いて20分で宮川の港に着く。暑くて汗をかいた。風が強い。南に向いた港の入り口が白く泡立っている。これはダメだ。出港できない。まるよし食堂で食べてから「阿武隈」にいこう。

    いつものラーメンを食べようと店に入ったらのりの香りがした。採れたハバノリを干しているところだった。今年はノリの生育が遅れていてこの週末に初めて収穫できたそうだ。ノリの香りに負けてぜいたくにもハバノリ定食を頼んでしまった。

    ハーバーマスターからプロパンの充填が農協で受け付けていることを聞く。詳細を問い合わせるため電話番号を確認する。「HARUKAZE」が午前の強風の中、出港していたとのこと。すげー。

    1320「阿武隈」上船。機関室のビルジを排出してスタンチューブの増し締めをする。ロックナットと袋ナットの回転方向をまた忘れてしまった。過去の航海日誌を読み返して思い出す。

    機関室のシャフト近くに回転方向を示した紙を張っておこうか。デジタルデータにしてBlogに放り込んでおけばX02HTでいつでも検索できるが、確実なのはやっぱり 紙 だ。

    袋ナットの締め付けを調整して滴下速度をシャフト回転時で60秒に1滴にする。シャフトを回転させた状態で、ロックナットを緩めて袋ナットをパイプレンチでじわりじわりと締めていく。注意しないとカップリングのボルトに巻き込まれるのでお勧めできる方法ではない。

     冷却水ポンプのハウジングを固定する下側のボルトがサビで固着して回らなくなった。メガネレンチでグイッとやったらつるんとなめてしまった。大変だー(インペラの交換はカバーを外せばできるけれど)。
    ここのボルトは以前も外れなくなって、そのときは潤滑剤を吹き付けてバーナーであぶってハンマーでたたいてメガネレンチでようやく外したが、今回は最後のメガネレンチでなめてしまった。こりゃこまったね。

    燃料タンクに給油。ポリタンクと缶タンクの軽油が空になった。

    ストーブの反射鏡を磨く。輻射効率が改善してキャビンが暖かくなったような気がする。

    1620作業終了。紅茶を飲んで夕暮れを楽しむ。



    1710下船。宮川町を1730に出発するバスで三浦海岸駅に向かう。

    自宅で待機する週末

    12月14日土曜日 雨のち曇り

     夕方から所用が入った。船から帰ってきてからでも間に合うのだが、ちょっと本腰を入れて取り組まなければならないので、この週末は自宅で過ごす。

     特に季節が影響することをしているわけでもないが、この時期はなぜか港に行く時間がとれなくなる。でも、2007年がこんな感じだったから、まだいいのかもしれない(油断はできないが)。

     人が遊ぶ予定を組み入れたとたん(予定表に組み入れたその日のうちとか1時間後とか)に、それを阻害する案件が発生するのはなぜだろう。一度や二度ではないこの不思議。

    富士を目指して帆走する

    12月7日 日曜 晴れ 北北東の風 風力5のち2(阿武隈基準)

     0930自宅出発、1150上船。持ち込んだ豚肉と玉ねぎ、大根葉の塩漬けをゆでながら艤装をおこなう。ポータブルコンロのガスカートリッジが切れた。予備に交換。残り5本。出港直前に油壺で修理をしていたYeeHawやシーボニアのレースに参戦していたHARUKAZEが帰ってきた。朝が弱い「阿武隈」は1240出港。MMFの入り口付近でセールホイスト。メインをフルで揚げてタックをしたら、右舷後方から接近していたパワーボートに気が付いた。危なかった。転針前に周囲確認の徹底。

     1255ジブとフルメインの組み合わせで帆走を始める。クォーターリーで西に向かう。後ろから風を受けているので針路を自由にとってもいいのだが、クォーターリーから風が後ろに回るとジブがダラリとなって走れない。観音開きでランニングとすべきなのだろうが、落ち着いて走れない。結局、遠くに見える富士山を目標にしつつ、ジャイブジャイブで南西ブイを目指す。



     途中、出港前に煮ておいた豚肉で昼食にする。味つけはよかったが、航海しているうちに冷えてしまった。脂の塊が口の中に張りつく。転倒防止の金枠が付いているジンバル備え付けのガスコンロはプロパンが切れてから久しく使っていない。いまはポータブルガスコンロを使っているが、こちらは固定していないため航海中は使えない。冬の寒い海上で温かいものが食べたい。ポータブルガスコンロをジンバルに固定するか。プロパンの補充はあきらめた。日本沿岸を航海するならカセットガスの補充がはるかに簡単だ。

     1430南西ブイ到達。このまま反転したら日没より大分前に戻ってしまうのでもったいない。しばらく南下してそれからMMFに戻ることにする。反転して風に向かうと風が強い。リーフを入れるが久々で手順を間違えてしまった。

    「阿武隈」のリーフ手順:
    1:ヒーブツーに入る
    2:メインシートを引き込む
    3:ブームバングの解除
    4:メインシートのリリース
    5:メインハリヤードのリリース
    6:ラフを調整
    7:リーチを引き込む
    8:メインシートを引き込む
    9:ブームバングを引き込む
    10:ヒーブツーから離脱
    11:終了

    以上の作業をコックピットとマスト間をよろよろと行き来しながらおこなう。



     左舷開きのアビームで本船航路まで南下し、それからクローズホールドでMMFに向かう。風向きが北北東から東北東の間で頻繁に振れる。風の強さも緩急の入れ替わりが激しく、そして徐々に落ちていった。1530にリーフを解除。しかし風はさらに落ちる。機帆走にするべくジブを降ろそうとすると風が吹き上がったりするので、なかなか帆走をやめられない。そうしているうちにもうすぐ日没という時間になってしまった。

     1600機帆走開始。1630航海灯点灯。MMFに入港直前、メインセールを降ろして係船索を用意しようというときに、三崎港から漁船団が単縦陣で出港してきた。よく訓練された海軍のように絶妙な間隔で一列に並んでいるので割り込めない。一隻の漁船が針路を変えてくれてようやく船列を越すことができた。

     1700帰港。冷めきった豚肉の煮汁に熱いお湯を注いで飲む。体が温まった。なぜか疲労が激しい。休み休み解装して1800終了。南天に上がった半月を眺めながら紅茶を一杯だけ飲む。1830下船。すっかり遅くなってしまった。

    初冬の微風で帆走する

    11月30日 晴れ 南西の風 風力2 のちに北の風 風力4(阿武隈独自基準)

     金曜日に大阪入りして土曜日に仕事。この週末は「阿武隈」に行けないかと思っていたが、思いのほか早く戻れたおかげで、久しぶりに晴れた海に出ることができた。1030モトラで出撃。1300上船。艤装をしながらパックご飯を温める。1カ月以上も船を出していないので、船底には藻が薄く層を成していた。

     1325艤装終了。1340出港。出港してすぐにセールを揚げて帆走する。西風が強いと思ってジブとフルメインの組み合わせを選んだが、風は弱く船足は上がらない。きのうの大西の名残か波が高く、はなはだ帆走に向かない海況だ。

     右舷遠くにそびえる富士山を眺めながら南西に向かう。渡り鳥が編隊を組んで左舷前方から右舷に向かって空を飛んでいった。もう、そういう季節になってしまったか。暖めておいたパックご飯と鶏肉缶詰で昼食。弱い西風を捉えながらそろそろと帆走する。



     あまりに弱い風に眠くなる。目を閉じたとたんセールが騒ぎはじめた。目を開くと風が北に急転していた。1530、反転して東に向かう。風が北に変わってからだんだんと強くなってきた。剣埼灯台を目指し、間切って安房埼灯台を目指し、また間切って剣埼灯台を目指し、もう一度間切ってMMFの入り口を目指す。あたりが山吹色で満ちる。



     1630日没と同時に帰港。1730解装終了。1800下船。西の空に月齢2.3の細い三日月がかすかに、金星と木星がギラリと輝いている。久しぶりに海に出れて爽快な気分だ。先日作った革グローブは、切り落とした部分からほつれてきてしまった。お裁縫で修復するか。

    11月後半の三連休も陸で過ごす

    土曜日は所用であざみ野に赴く。日曜と月曜は、会津から来た知人と湯河原の旅館で愉快に過ごす。湯河原を離れる月曜の午前中まで天気に恵まれた。



    26フィートクラスのセーリングクルーザーで一昼夜を過ごすのは、慣れない人にとって負担が大きいと思う。船好き、乗り物好き、ぎりぎりアウトドア好きでなければ、数時間が限界ではないだろうか。「素晴らしきかな、ヨットの世界」というはセーリングクルーザーに惚れてしまった人だけの自己陶酔的な感情であって、すべての人が船で過ごして同じように感じるかというと、私はそう思わない。

    週間予報では次の週末も晴れるらしいが、私は大阪に連れ去られる予感。

    昼食とグローブを作る

    11月16日 曇り時々雨

    1100自宅出発。久々にモトラで出撃する。1330MMF着。駐車場ゲートのキー番号が変わっていた。たまたま通りかかった船長に開けてもらえたので助かった。

    1400上船。さらさらと雨が降ってきた。海上はガスっていて視界が利かない。安房埼灯台の沖合いに一隻のセーリングクルーザーが遊弋していたが、「阿武隈」は港にとどまる。

    家から持ち込んだ塩漬けの鶏肉を煮て食べる。「阿武隈」用に買った小振りの卵焼きパンを使った。ソレイユルボンのせまいシンクでも水洗いができるように、「阿武隈」の食器や調理器具はサイズが小さいものを選んでいる。作る料理も大抵一人分だし、人数が多ければ鍋にすればいいし。





    雨が降るなか、今週もキャビンにこもる。だいぶ前からセーリンググローブが破けていた。アンカーケーブルやシートを扱っているとやけどをするので危ない。使い方が悪いのかメンテナンスが足りないのか、5000円のトロフィーがいつも1年ぐらいで破けてしまう。そこで、今回はホームセンターで700円ぐらいの作業用革手袋を調達して、その指先をハサミでカットしてみた。カットした部分には何も処理をしなかった。革も使っているうちにほつれてくるのだろうか。あ、バスコークで固めたらどうだろう。今度試してみよう。




    いままで清水用ポリタンクをおいていたシンク脇(船首側)にスペースにストレージ用のカゴ、もしくは背の低いポリタンクを用意したい。採寸しておく。幅48×奥行き35×高さ37センチ。または、幅45×奥行き40×高さ37センチ。

    1600下船。もう薄暗い。MMFを出発したときは雨が上がっていたが、16号に出たあたりからまた降り始めてきた。なんだか、今年は雨の日にしかモトラに乗っていないような気がする。

    時雨のなかをキャビンで過ごす

    11月9日 日曜 雨 北の風9メートル(剣埼灯台観測値)

    1100自宅出発。三浦海岸駅発剣埼経由で宮川町に向かうバスと接続が悪く、三崎口からバスと徒歩で港へ行く。1230港到着。まるよし食堂でラーメン。

    1300上船。ハーバーマスターからPB保険の証書を受けとる。風はちょうどいいのだが、港についたあたりから冷たい雨が強くなってきた。とても寒くて病み上がりの身にはつらい。きょうはキャビンですごそう。





    キャビンの中も寒かった。ストーブをたいて暖をとる。それでも足りずに毛布にくるまる。音楽を聞いてハーバーガイドを読んで、そのうち寝てしまった。



    屋外用のガスストーブを使っている。火力は十分にあるが換気に注意しなければならない。「阿武隈」は寒冷期の行動が多いので、煙突のついた舶用ストーブが欲しい

    1700下船。すっかり暗くなった海を「Yeehaw!」が帰ってきた。


    三連休はオカで過ごす。

    仲間内で岸壁を占有しておおいに騒ごうぜ、という大きなパワーボートの集団や、槍付けは面倒だから横付けするけど横抱きはさせないからね、という小綺麗なセーリングクルーザーが、近隣のマリーナから収容能力に乏しい伊豆諸島の漁港に大挙してくるので、気候のよろしい3連休は陸で過ごす。

    9月後半の3連休は、家族と湯河原に滞在する。隣接する熱海に大企業資本が集中したのが幸いしたためか、昔の佇まいを残している静かな旅館が多い。



    11月最初の三連休もオカで過ごした。その前の週に風邪をひいてすこぶる体調不良。しかし、休場すること許されず。三連休でじっくり療養しようとしたが、それもかなわず。そのまま、「ここが正念場の大勝負」に突入した。

    つらいのぅー。

    大西が吹き始めた

    10月26日 曇り時々雨 南西の風17メートル(剣埼灯台観測値)

     1300MMF到着。午後から西の風が強く吹く予報だったが、港に着いたら風が落ちていた。剣埼灯台の風向は西に変わっていたので、もうすぐ吹き上がるだろう。

     出港して、ストームジブをあげたときの帆走がどんな感じになるのか試してみようかと思ったが、ハーバーマスターに「きょうは出ないでくださいよ」と釘をさされて港にとどまる。こういうとき、出港するもしないも船長判断、ご意見無用、という意見もあるが、遠慮がちに「出ないでくださいよ」と口にするハーバーマスターの気持ちを思うと、自分としては「そうですね」となる。

     まるや食堂でラーメンを食べてから1400上船。なにもせず、ボケーっと1時間。それから、ちぎれて久しいジブセールのテルテールをメインセールから移植。(なぜか脈絡もなしに)ファーストエイド物資の確認。ついでに備蓄食糧の残りも確認。

     初代阿武隈から載せている古い歯ブラシや石鹸を処分する。封を開けていないホテル用歯ブラシはゲスト用として残す。カートリッジガスと防虫スプレーに穴を開けて廃棄。

     上記作業を小一時間ほどで終了。茶を飲みながら伊豆諸島のハーバーガイドを読む。17時前なのに暗くて文字が読めない。いつのまにか、日没時間も16時台になっている。西風がどんどん上がってきて16時観測値で剣埼灯台17メートルに達した。1715下船。

     宮川町バス停から三浦海岸駅行きのバスに乗る。約30分で三浦海岸駅に到着。

    三浦漁港(神津島。2008年9月7日寄港)

    注意:ここで紹介するのは2008年9月7日から同8日時点における情報です。実際の寄港にあたっては、現地の人から情報を入手して、その指示に従ってください。

     三浦漁港は神津島東岸に位置する漁港です。神津島の主要な集落や観光地などは神津島西岸に集中しています。東海汽船が主に使用する港は西岸にある神津島港になりますが、三浦漁港にも東海汽船が使用できる大きな突堤が用意されています。神津島港のほうが規模が大きいのですが、プレジャーボートの係留には三浦漁港を勧められることが多いようです。

    ●三浦漁港が収録されている海図
    海図W51「伊豆諸島」
    電子海図「JP34NC9C」
    PEC「東京湾とその付近」
    に三浦漁港が記載されています。
    ・W51とJP34NC9Cでは海岸線や岸壁の描画精度は高くありません。
    ・PECでは従来の東側防波堤、北側防波堤、東海汽船が使う突堤は描かれていますが、建設中の東側外防波堤は記載されていません。
    ・Google Mapの地図表示では、PECと同じ従来からある防波堤しか記載されていませんが、航空写真表示にすると東側外防波堤まで含んだ現状に近い状況が確認できます。

    ●三浦漁港の港湾や周辺の詳細が収録されている書籍など:
    ・「プレジャーボート・小型船用 港湾案内 南方諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)」
    (Webで「プレジャーボート・小型船用 港湾案内 南方諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)」を参照する方法はこちらを参照してください)

    ・舵社が発行している「ハーバーガイドブック第1集 三浦半島・伊豆諸島編」

    ●記載内容のアップデート:
    ・港口外の東側に記載されている一文字の防波堤は、南に延長されて陸とつながっています。入港するときは沖から見て右側(北側)から入港するようになります。

    ・高処山とその中腹にある道路が顕著な目標として利用できます。

    ・丸島の先端も沖から視認できますが、背景とまぎれてしまうため、それほど顕著ではありません。

    出港した三浦漁港の景観。2008年9月8日5時撮影

    ・外防波堤と従来からある防波堤の間に広い静水面があります。奥(南側)に入るとイケスや海水浴場と思われるブイで囲われた水域があるようでしたが、それでも、セールダウンやフェンダー、係船索のセットを行えるだけの広い水面がありました。ただし、2008年9月時点では工事中で着岸できない状況です。

    ・従来からある内側の東側防波堤先端には「伊豆三浦港防波堤灯台」が設けてあります。灯質はFl G 3s。

    ・外防波堤と東海汽船が使用する突堤の先端に黄色灯標が設置されて夜間には同期して点灯するのを確認してます(ただし、灯質は未確認)。

    ・従来からある内側の北側防波堤に設置されている街灯は夜間に点灯されません。しかし、東側防波堤からサーチライトで照射されているので夜間でも目視可能です。


    手前は東海汽船の突堤。向こうにあるのは東側外防波堤の北端。この間が外港の入り口になる。先端に見える黄色灯柱は夜間に同じタイミングで点滅する。2008年9月7日18時撮影



    明るく輝いているのが対岸から内港北側防波堤を照射するサーチライト。その左で青く(緑に)光るのが伊豆三浦港防波堤灯台(Fl G 3s)。その左側に輝いているのは東海汽船突堤に停泊していた作業船の灯り。左端の橙光は突堤の街灯。2008年9月7日夜撮影

    ●入港航路
    ・神津島東岸にある祇苗島南端の岩礁を越えると、天上山大崩落の左側(南側)に三浦漁港の東側外防波堤とその奥にある丸島の先端、さらにその背後にある高処山が視認できます。



    出港した直後に三浦漁港を撮影する。右寄りに見えるのが高処山。山腹に横切る道路の筋が顕著。中央左寄りが建設中の東側外防波堤。南端(画面左端)は陸とつながっている。中央やや右寄りに丸島の先端が見えるが顕著ではない。その右脇に見える白い建物状の目標は突堤に係留している作業船のもの。2008年9月8日早朝撮影



    ・現在整備中の東側外防波堤の右端(北側)と、さらにその右側(北側)にある東海汽船突堤の間から港内に入り、丸島に向かいます。左側に見える静水面を過ぎ、従来からある防波堤の先端(北端)にある灯台と陸側から東に伸びる(入港する船からは奥から手前に伸びているように見える)防波堤の間にある港口から漁港に入ります。

    ・丸島付近は海水浴場になっていて、遊泳者が漁港入り口付近まで遊弋していることがあるので、海面の見張りを厳にする必要があります。


    東海汽船突堤の東端から内港入り口と丸島を見る。これは入港直後の景観に近い。2008年9月7日夕方撮影


    東海汽船突堤から内港入り口を見る。伊豆三浦港防波堤灯台の内側にも小規模な堤が陸側(西側)に伸びている。丸島周辺、東海汽船突堤付近で人が遊弋している場合があるので見張りは厳にすること。2008年9月7日夕方撮影



    ●係留場所
    ・通常の場合、漁港入り口から右に(陸側に)伸びる北側岸壁に係留します。

    ・陸側(西側)岸壁には地元漁船が係留していますが、地元漁船のあいだにセーリングクルーザーが係留している状況が個人のBlogで報告されています。

    ・漁港奥(南側)は地元の漁船やダイビングショップのサポートボートが係留しているので、外来艇は近づかないほうが無難です。


    三浦漁港の北西端から撮影した。手前が北側防波堤。外来艇は主にここの防波堤に係留する。2008年9月7日夕方撮影


    三浦漁港南東端から陸側岸壁(西側岸壁)を見る。手前は三浦漁港の奥側、向こうに見えるのが北側防波堤。2008年9月7日夕方撮影



    ●係留方法
    ・槍付けが基本と聞いていますが、夏のお盆時期に横付けした外来艇に二重三重と横抱きして係留している状況が個人のBlogで報告されています。

    ・岸壁は高く、26フィートのソレイユルボンではバウパルピットにのってようやくよじ登れる状況でした(中潮の干潮時)。

    ・岸壁の一部に低い段を設けた場所があります。ただ、使いやすいだけに、外来艇が横付けして占有していることもあるようです(個人のBlogで2008年に確認)。

    ・岸壁の壁面に係留用のリングが用意されているので、係留作業そのものは容易に行えます。


    北側防波堤の状況。船首右側と左側の壁面に係留用のリングが設置されている。船首左側には一段低くなった部分が一部見えている。2008年9月7日午後撮影


    北側防波堤の一部分に設けられた一段低い箇所。2008年9月7日午後撮影


    ●岸壁で利用できる携帯電話
    ・au(CDMA 3G):圏外
    ・softbank mobile:圏外
    ・docomo mova:圏内

    ●トイレ、シャワー、チャンドラー
    ・徒歩圏に食料品が購入できる商店、入浴施設、温水のでるシャワー施設は確認できませんでした。
    ・丸島のある海水浴場から砂浜を上がったところにトイレとシャワーがあります。

    ●燃料、清水補給
    ・2008年9月の寄港では、燃料、清水ともに補給していないので、このあたりの事情は分かりません。


    (ここで掲載した情報は参考資料であって、航海の安全を保障するものではありません。各自が入港する場合は正式な海図に基づいて操船してください。この情報を基に事故や損失が発生しても当方は一切の責任を負いません)

    秋の微風で帆走する

    10月13日 晴れ 北東の風 風力3から1(阿武隈独自基準)

     1030自宅出発 1145三浦海岸駅下車 1156剣埼経由バス乗車。1246上船。ハーバーマスターに船舶保険の申込書をわたす。保険料1万円は支払い済み。係船索にフェアリーダー位置の目安を黒テープでつける。あわせて、使用する場所が区別できる印(右舷フォアは線一本、左舷スプリングは線二本、右舷アフトは線三本)もつけておく。

     1345出港。1356セールホイスト。ジブとフルメインの組み合わせで、そろそろと東へ向かう。風がどんどん落ちてきて、ヘッドセールをジェノアに換えるべきなのだろうが、使い終わったあとの片付けが面倒でそのまま帆走を続ける。左舷開きでクローズドリーチ。風力は3程度か。




    まだ15時前だというのに海が茜色に染まる

     1500反転して西に向かう。右舷開きでアビームに近いクオーターリー。三浦半島のブランケットから逃れるためにジャイブして南下する。ジャイブを繰り返し南下と西行を繰り返す。いよいよ風が落ちて1550エンジン始動。1630帰港。1730下船。

     遠洋漁業向け無線塔の背後に丸い月が昇っていた。


    MMF入港直前。親子がローボートで釣りをしていた。いいね



    18時前だというのにもう暗くなってきた。月齢13.8

    海王丸と日本丸を識別する

    10月4日土曜 晴れ 南南東の風 5メートル(東京13号地観測値)

    所要で、午後からパワーボートで海に出た。
    田町駅から歩いて10分ほどにある運河から出港、水門をぬけてレインボーブリッジをくぐり、豊洲海域にいたる。
    途中、晴海ふ頭で停泊している日本丸と海王丸を見る。

    どちらが「日本丸」でどちらが「海王丸」か

    それぞれが単独で航行している姿は浦賀で見たことがあるが、2隻が一緒にいるところは初めて見た。パワーボートのスキッパーに日本丸と海王丸を遠景で見分ける方法を教わる。ハルラインの色が「日本丸=濃い青」「海王丸=薄い青」とのこと。それ以外に、救命艇の色が「日本丸=オレンジ」「海王丸=白」というのも遠景で見分ける方法として知られている。有名な識別方法としてフィギュアヘッドの違いが挙げられるが、これで遠景から識別するのは困難だ。
    1400、日本丸がタグボートの支援を受けて出港。その後、海王丸が出港して日本丸に続航する。

    ヒトヨンマルマル、日本丸出港

    私が上船したパワーボートは1500に田町の運河に帰港した。
    急きょ仕事が入って、この週末は「阿武隈」に行けなくなった。

    船首の損傷を応急処置

    9月28日 曇り 北北東の風8メートル(剣埼灯台観測値)

    1030自宅出発。モトラ不調(ヘッドライト、リアライト点灯せず。ウインカー、フォグランプは正常)で東急京急にのって港に向かう。1150三崎口到着。駅前のラーメン屋で昼食。バスで栄町に。道はそれほど混んでいなかった。

    1300上船。疲労していたのか寝不足なのか、着くと同時に昼寝。気が付くと15時で驚いた。 先々週岸壁に激突してバウパルピットが歪んでしまった。左舷ライフラインがユルユルになっている。

    船首付近の損傷状況を確認していたら、バウデッキ先端に張ってある分厚いアルミ製のフォアステーパネル先端が歪んでFRP船体の間にすき間ができていた。ぐあー。バスコークを充填して応急処置。とりあえず防水する。油壺造船所に相談すること。

    針路を東にガクッと変えた台風15号対策のため係船索を増やし、ブームの固定を強化する。バウとフォアスプリングは二重に増やし、ミジップにも係船索を追加してジブリーダとウインチを介してジブシート用のクリートに固定する。



    備蓄していた板チョコを食べようとしたら、ボロボロに崩れてココアになっていた。気温が低い。風も冷たい。船においたままになっていたフリースを着る。1730下船。バス停に着く前にもう暗くなってしまった。

    9月巡航の記録に画像と動画を追加

    9月6日から9月9日に行った伊豆諸島2008年9月巡航の記録
    波浮に入港
    神津島三浦漁港を目指す
    若郷漁港に入る
    帆走でMMFを目指す
    に画像と動画を追加。携帯電話で送稿する場合、添付できる画像が1つに限られるため、そのほかの画像と動画は後送になりました。

    2008年9月の巡航では、X02HTで撮影した画像と入力したテキストを当日のうちに掲載する予定でしたが、実際には、神津島三浦漁港と新島若郷漁港でソフトバンクモバイルが圏外だったために、後日アップロードしています。残念(いま思えば、翌日海上で圏内になったときに送稿すればよかった)。 

    航海記録の作成に使っているX02HT。セルフ撮影のため片手持ちだが、実際の文字入力では両手で持って親指でタイピングする

    QWERTYキーボードを搭載するとはいえ、サイズが小さいX02HTでありますが、帆船「阿武隈」課業記録のテキストは2008年3月からX02HTを使って入力しています。今回の巡航記録も、消灯前の15分間程度で書きました。

    なお、「若郷漁港に入る」のテキストは航海中に入力したテキストをそのままアップしてみました。カタカナは“演出”ではなく、仮名変換モードで入力しているためです。変換の必要がないので、すばやくテキストを入力するのに適しています。

    伊豆諸島巡航の後片付け

    9月14日 日曜 曇りのち晴れ 風弱く

     0830自宅出発。1030MMF到着。巡航の片付けを行う。帰港した日はどうしてもその日のうちに自宅にたどり着かなければならなかったので、甲板の上だけ整理して帰ってしまっていた。しぶきで濡れたままのセールは丸めてコックピットロッカーに放り込んでいた。キャビンはヒールで散乱したままで、特にフォクスルはすごいことになっている。

     どこから手をつけようか。エンジンルームとフォクスルに溜まったビルジの汲み上げから取りかかる。波を被る航海を長時間すると、いつもハッチから漏水してフォクスルにビルジがたまる。今回はドロドロした油のようなものが含まれていた。なんだこりゃ。フォクスルに収納していた使いかけのエンジンオイルがこぼれてしまったか。あわてて確認したがそういうことはなかった。なんだろう。原因はいまだ不明。

     塩に浸ったセイルを水洗いすべく管理棟前の岸壁に「阿武隈」を回す。三連休の中日で釣り人が連なっていたが、宮川湾に係留している漁船の船長が泊める釣り人を動かしてくれた。

     その船長が見ているなか、着岸すべく左舷斜めからやや深い角度で接近していたが、右に切った舵の角度が少なかったのと、後進のタイミングが遅れて、岸壁に「激突」した。その激しさは管理棟の窓から驚いた職員が顔を出し、見ていた船長が「ヘッタクソ」と叫んでしまうほどだった。私は顔を真っ赤にしながら「阿武隈」を後退させて、再度着岸する。

     コックピットロッカーからセールを引き出して前甲板で水洗いをする。洗ったセールは船の前後にラフを伸ばして干す。ついでにデッキも水洗い。おまけに清水タンクに補充。

     20リットルポリタンクのひとつに「コケ」らしき緑色のヌメリがあった。奥まったところで拭えない。とりあえず使用を中止する。購入して6年経つが初めて。設置する場所をフォックスルの窪みから日の当たるキャビンに変えたからか。清水用ポリタンクの設置場所をフォクスルに戻す。

     キャビンに散乱した諸々を整理してまるよしで昼食。その後、機走で三崎港の北条湾を巡る。警告音は鳴らない。北条湾に入ったら後続してきた1隻のセーリングクルーザーがそのままついてきた。係留する場所を探しているのだろうか。原則として北条湾にはプレジャーボートは係留できない。引き返して行き合うときに「奥に入ると座礁するから気を付けて」と声をかけたら「大丈夫」と返すとともに、係留してある漁船に横付けした。三崎港に伝がある船だったようだ。よけいなお世話をしてしまった。

     MMFに寄港後、予想進路を東に向け始めた台風13号対策のため、増しもやいをフォアとミジップにとり、ブームを厳重に固縛して下船。

    帆走でMMFを目指す

    9月9日 火曜 曇りのち晴れ 北東の風 風力6から5(阿武隈独自基準)
    未明に豪雨。1時間ほどでやんだが、風は朝までうなっていた。待っていた風だ。「阿武隈」のエンジンに不安があったので、この風を使って新島と大島、そして大島と三崎の長丁場を一気に帆走で渡るつもりだ。
    0430、起床。きょうは波が打ち付けるだろうから、上下ともカッパを着込む。荒天食のパンと缶スープとお湯を入れたポットをデッキにあげて、0500、出港する。
    港のなかでメインセールをあげる。ワンポイントリーフ。強い北東の風が吹く予報だったが、島に遮られて港口付近は風向が定まらない。しかし、新島北端の根浮崎をかわしたとたん、ドンと風を受けて「阿武隈」が大きく傾いだ。帆走の長い一日が始まった。
    新島から鵜渡根、利島の東岸を越して波浮を目指すレグは、風強く波高く、舞い上がるしぶきで濡れたセールが陽光に輝き、時おり頭から波を被るコンディションだったが、鵜渡根、利島を眺めながら豪快な帆走を楽しむ。晴れていたのが気持ちに幸いした。


    ぬれたセールが陽光で輝く。強風下のシングルハンド(オーパイ故障中)ゆえ、ラフのたるみは許してください


    鵜渡根沖を帆走中
     

    利島沖を帆走中

    風は北東より吹き、クローズホールドで北と東に進む。舳先を東に向けると南に大きく流され、北に向けるとわずかに西に流される。対地速度は北に進むと5ノット前半、東に進むと3ノット後半。
    波浮が近づくにつれて風が弱まってきた。メインセールのリーフを解除するが速度は下がり、「阿武隈」は西に流されていく。1300、ついに機帆走に切り替える。それでも東に向かうと対地速度は3ノット程度しかでない。
    1400、ようやく竜王埼を越えて北上を始める。速度は5ノット。予定では若郷からここまで4時間程度で到達するつもりだったが、すでに9時間が過ぎている。筆島沖に定置網らしきものを確認する。
    1500、風早埼正横。速度は5ノット。顔に当たる風がはっきりと感じられるようになってきた。試しに帆走に切り替えてみると対地速度が6ノット〜7ノットにはね上がった。機帆走より早い。迷わずエンジンを止めた。
    高い波に苦労した午前中の航海と違って、大島から北の海域は波も穏やかで、快適な帆走ですべるように走る。風もだんだん東に振れてきて、右舷開きで針路20度と、MMFを直接狙えるようになった。



    大島-三崎間を帆走中

    この日は視程がよく、三浦半島ばかりか、岩堂山の2つにぱっかりと分かれた特徴のある山容も遠くから視認できた。それからは、岩堂山を直接目指して「阿武隈」を操る。
    MMFまであと8海里というところで日没を迎えた。両色灯の調子が悪く点灯しないのではと不安だったが、無事点いてくれた。海が暗くなったとき、上弦の月が南中の空に輝いていた。バリエーションに富んだきょうの帆走、そして、波浮、神津島多幸湾、若郷と寄港した巡航の締めくくりは、月光のなかの静かな帆走だった。
    石堂山を直接狙って進めたはずなのに西に流されたらしく、最後の最後に逆潮の城ヶ島沖を3ノットでじりじりと進む。2000、サーチライトに照らされたMMFに帰港する。大急ぎでセールを片付けて、2100、下船。
    タクシーで三崎口駅に向かい、駅前のラーメン屋のサンマーメンと餃子とライスで無事の帰港を祝す。



    伊豆諸島9月巡航の締めくくりは月夜の帆走だった。逆潮で戻されて対地速度2ノットから3ノット。最後の最後でじりじりと東に進む

    若郷漁港に入る


    9月8日 月曜 晴れ 北東の風 風力3 のち1 のち4

    0551 エンジンシドウ。ケイホウナシ。
    0600 シュッコウ。
    0630 シンロ60ド。3ノットジャク。ギャクニ ススムト 6ノット。

    出港した三浦漁港を振り返る

    行く手に見える式根島、新島、そして早島

    0650 シンロ45ド カゼ60ドヨリ
    0701 コンパス45ドデ、ジーピーエスノ ヘデング60ド。
    0707 カゼハ ユクテヨリ キタル。ミヤケ サンボンダケ ミユル。
    0720 ハンソウ カイシ。コンパス90ドデ ジーピーエスノ ヘデング120ド。


    神津島東沖を帆走する

    0806 カゼヨワク エンジンシドウ。
    0817 ケイホウ トマラズ。エンジンテイシ。ハンソウ。ワカゴウヲ メザス。
    0830 カゼナク エンジンシドウ。
    0900 カゼヲトラエテ ハンソウ。2ノット。
    0945 シキネ ナンタンニ イタル。5ノット。
    1000 カゼナク ニシニ ナガサレル。エンジンシドウ、ジナイヲ メザス。 5ノット

    1050 シキネ ニイジマ スイドウニ ハイル。シンロ350 5ノット。

    式根島と新島の真ん中に地内島がきた。変針して水道に進入する

    1130 ジナイセイオウ。キタノカゼ アリ。ハンソウ。4ノット シンロ315。
    1140 タック シンロ 60 3ノット。
    1330 ワカゴウニ ニュウコウ。ニュウコウチョクゼン ケイホウトマル。

    コウナイハ 3ネンマエト ヨウソウガ カワッテイテ オドロイタ。ヨルダッタラ ニュウコウ デキナカッタダロウ。

    若郷集落に向かう途中の高台から若郷漁港を撮影する。3年前は手前に見える突堤に係留したが、今回は工事中で立ち入り禁止だった。「阿武隈」はその1つ奥にある突堤の手前側(北側)の一番端に横付けて係留した

    1400 オーニングテンカイ カタヅケ シュウリョウ。
    1500 ビルジノ ジョキョ。ギョコウニ アイサツ。ジャマニ ナラナケレバ トメテヨシ。

    ロテンハ アツクテ メガ マワルガ オーニングノ ヒカゲニ ハイルト カゼガ スズシイ。ホンソンニ イクカ マヨッタガ デッキデ ヒルネ。

    1600 ヤハリ ワカゴウノ シュウラク ダケデモト オモイ ジョウリク。

    ユルヤカナ サカヲ ノボッテ イク。ハブノ サカミチヨリ ラク。30プンデ シュウラクニ ツク。ジンジャニ アスノ コウカイノ ブジヲ イノル。アスガ モットモ キビシイ コウカイニ ナルダロウ。ワカゴウノ スベテガ タカク ソビエル ゼッペキニ ミオロサレテイル。



    若郷小学校跡。小学校は校舎も校庭も高い崖に囲まれていた

    神社のこま犬も崖に見下ろされていた

    ホンソンユキノ サイシュウバスハ 1730デ ホンソンカラ モドッテクル バスハ ナイ。ワカゴウト ホンソンハ マッタク ベツナ シマト カンガエルベキ。

    グウゼン ミツケタ コウエンノ シャワーデ カラダヲ アラエタ。スーパーデ アスノ コウテンショクノ パント カンスープヲ カウ。ユデタ トモロコシモ イッショニ カウ。

    シュウラクカラノ カエリミチ ウミニオチル ユウヒヲミル。パワーボーチガ ニュウコウシテクルノガ ミエル。 


    ユウショクハ レトルトノ タマゴドンニ トウモロコシ。マンゾク。ヤマノ クボミニ ハンゲツガ カカル。シャシンニハ トレナイ。ツキガ シズンデ ミナトハ ヤミニ カクレル。クモモ デテキタ。

    2130 ショウトウ。

    アスハ 0500シュッコウ ヨテイ。ショウトウマエニ コノ キロクヲ カイタガ ドコモイガイ ケンガイデ ソウコウデキズ。