阿武隈 twitter版

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    ナマケモノの週末

    5月27日 日曜 晴れ

     26日27日、そして有給をとった28日と天気は心地よい晴れだった。1年でもこういう週末はめったにない。そういう絶好の航海日和の3日間、私は、ずっと寝ていた。風邪をひいていたわけでもないし、仕事が入ったわけでもなく、ただもう、疲れて疲れて寝ていた。朝目が覚めず、昼も寝て、そこまで寝ていたら普通は目がさえてくるはずなのに、夜もしっかり眠れてしまう。

     なんなんだ、いったい。

     ただ、朝になって目が覚めたとき、「港に行くのが面倒だのー」と考えてしまう怠惰な気持ちは否定できない。朝遅く起きたとき、頭の中でモトラに乗って港まで行く道のりをイメージするともう駄目だ。

     もう道が混んでくる→あの狭い道ですり抜けて走るのが面倒→あの陸橋で煽られながら走るのがしんどい→あの右折で車線を変更して走るのがおっくう→あの長い上り坂をギリギリ脇を抜かされながら走るのはおっかない。

     と、都合2時間の行程が思い浮かぶだけで、もう疲れてくる。

     車(バイク)の運転って、ほっっんとに、苦手なんだよなー。

    巡航に備えて整備する(その2)

    5月20日 日曜 晴れ 風速6メートル(剣崎灯台観測値)


     機関室のビルジを排水してグランドパッキンの増し締めを終えたあたりで、なんだかもう疲れてしまったのだが、先日まとめた【整備項目リスト】に挙がっている「マストの左右傾き」をチェックする。シュラウドのテンションバランスが適正でないとマストを失う危険があるとヨット雑誌のマストチューニングの記事では必ず記載されているので、前々から気になっていた。

     両舷に3本あるシュラウドの真ん中にある1本の根元に向けてスピンハリヤードを引いてみる。スピンハリヤードは右舷側シュラウドの根元まで届いた。そのまま左舷側シュラウドの根元に持っていくとその根元まで3センチ程度届かない。やはり、マストは右舷側に傾いているようだ。

     実を言うと、「阿武隈」はマストだけでなく船体そのものも右舷に傾斜している。ソレイユルボンのコックピットロッカーは右舷側だけに用意されていて、「阿武隈」では、そこに予備アンカーとそのチェーン、予備の軽油ポリタンク20リットル×2個という重量物をはじめとして足船代わりのゴムボートや係船索の予備やらを収納している。なお、正規の20リットル燃料タンクも右舷側に設けられているが、この分は左舷側に設置されている清水タンクで相殺される。

     マストの傾きを直す前に予備のアンカーとチェーンを移動して左右のトリムを改善できないかと、コックピットロッカーを開けるとロッカーの床がきらきらと光っているのに気がついた。

    「うぉっ!」

     コックピットロッカーに水が溜まっている。しかも量が多い。これにはあわてた。ロッカーの荷物をすべて甲板に上げて溜まっている水をバケツでかい出す。水は30リットル程度溜まっていた。船体に亀裂が入って浸水していたら最悪だ。しかし、溜まっている水に指をつけてなめてみると「それほど」塩辛くない。ロッカーからハルの内側をチェックしてみても穴や亀裂は確認できない。かい出したあとに水が滲みだしてくることもない。

    コックピットロッカーに大量の水が溜まっていた





    ロッカーの荷物を全部甲板に上げた。ついでなので左右のトリムをチェックしたら正常に戻っていた。やはり右舷への傾斜は積載物の配置が原因だったようだ

     ハルの内側をしげしげと見てみると、水に濡れてカビの生えた黒い筋がデッキから続いている。その先にスタンションを固定するナットが見える。前に新島でスタンションに力がかかって甲板が割れたところだ。ロッカーから体を乗り出してそのスタンションの根元を見た。

    「うおぉぉぉぉん」

     甲板に亀裂が入っている。ここから雨水が浸入してコックピットロッカーに溜まったのだろう。ハルに穴が開いていたわけではないのでそれはそれでよかったが、この亀裂を修理しないと外洋には出られない。以前、新島でスタンションを岸壁に打ち付けて甲板の3カ所に亀裂が入ったときは修理に9万円かかった。今度は1カ所でもあるし自力で修理をしよう。いつかはFRPの扱い方を知っておかなければならないし。

     巡航のために確保した有給は修理のために費やすことになりそうだ。

     雨水の浸入を防ぐために、浴槽用防水パテで応急処置をとる。

     1900、下船。とにかく、疲れた。


    甲板に亀裂が入ったスタンションの根元。スタンションだけが折れてくれたほうが被害は少なくて済むのだが

    巡航に備えて整備する(その1)

    5月20日 日曜 晴れ 風速6メートル(剣崎灯台観測値)

    1000、自宅出発。1210、MMF着。1230、上船。

     きょうは、来週予定している伊豆諸島巡航の準備をするため港に留まる。しかし、連休に入る前からいままで体に負荷がかかっていたためか、キャビンにたどり着いて一息つくつもりが、そのままフォクスルで1時間半ほど寝てしまった。目を覚まして食事。食糧庫に残っていた最後のパックご飯と鳥缶貝缶を温めている途中でプロパンガスが切れた。

    「うっ」

     「まあ、カセットガスコンロを持ち込めばいいでしょう」と気を取り直して、エンジンオイルの交換するべく機関室を開けたら床一面にビルジが“なみなみ”と溜まっていた。あと数ミリで仕切りを越えてキャビンにあふれるところだった。前回離船するときにはビルジはなかった。指につけてなめてみると塩辛い。

    「うっ!」

     排水するため、船尾に取り付けた手動のビルジポンプを初めて使う。レバーを引いて、ポンプのゴムが「パコン」と音を立てたら思いっきり押す。排水は船尾方向に流すだろうと思いきや、コックピットで操作している私の顔に向かってビルジが噴出した。

    【整備項目追記】排水を誘導するホースをビルジポンプに取り付けること。

     ビルジの原因は、船に来なかった1カ月間で溜まりに溜まったグランドパッキンからの漏水だった。クォーターバースにある整備窓から上半身を機関室にもぐりこませてグランドパッキンのナットを増し締めする。この作業は姿勢がきつくいつもつらい。そして、ナットを緩める方向をいつも忘れてしまう。

    【備忘録】グランドパッキンのナットが緩む方向=>船首は右舷側にまわす。船尾側は左舷側にまわす。


    ソレイユルボンは左舷側にあるクォーターバースに機関整備用の窓が用意されている。そこから機関の後ろ側とシャフトがこんな感じに見える


    グランドパッキンのナットは船首側の袋ナットの加減でシャフトを冷却する海水の流量を調節し、船尾側のロックナットで袋ナットの位置を固定する。それぞれを緩めるときは袋ナットを右舷側に、ロックナットを左舷側に回すこと


    1GMはウォーターポンプのシャフトから水漏れを起こしやすく、その海水が下にあるオイルパイプを錆びつかせてしまう。その予防のために、機関室を開けたときはKURE666をウォーターポンプの下回りに吹き付けるようにしている。今回は漏れた海水を吸い取るスポンジを置いてみた

     このあたりでいい加減疲れてきたが、この日の作業はまだまだこんなものではすまなかった。

    「阿武隈」整備事項(2007年5月版)

    ●現時点で阿武隈に必要と思われる整備項目は下記のとおり。順番は優先順位。

    ・固着して動かなくなったハンドル式スルハルコックをレバー式に交換する。
     =>ヘッド給水、ヘッド排水、ギャレー排水、燃料コック、キングストンコック
     =>重要、かつ火急であるが、予算なし
     =>現在は栓をはめて対処中。
    ・【2007年5月追記】両舷シュラウドの増し締め
     =>風下側になるとブラブラするほど緩んでいる。
    ・【2007年5月追記】マストの左右傾きをメジャーを使ってチェックすること
     =>なんとなく右に傾いているような気がする。
    ・【2007年5月追記】ティラーが下がりすぎてオートパイロットの支点となる金具とオートパイロットのロットが外れてしまう。
     =>舵軸頭部にゴム板を入れてティラーが下がらないようにすること。
    ・ティラーのがたつき
     =>遊びが多いため取り付け部サイドにゴム板を挟み込むこと。
    ・【2007年5月追記】エンジンオイルの交換(前回交換から1年経過)。
    ・【2007年5月追記】フォクスルハッチの防水パッキンを張り替える。
    ・【2007年5月追記】フォクスルハッチの支持アームの金具を修理すること。
    ・【2007年5月追記】機関の始動性が悪い原因を調べて改善すること。 
     =>症状:始動時に回転があがらない、排気が黒い
     =>原因と思われる要因:吸排気弁の開閉に問題がある
     =>解決策:弁隙間の調整。
    ・エンジンオイルの減りが早い 
     =>アドバイスあり。ヘッドバルブのすり合わせ不良。ピストンリングの磨耗が考えられるとのこと。    
     =>整備士に依頼する必要アリ。
    ・【2007年5月追記】ジブにテルテールを貼る。
    ・【2007年5月追記】メインにリーチリボンを貼る
    ・メインセール第一バテン袋のほつれ
     =>この修復も含めてセール(25年物)をロフトに持ち込んで修理したい。

    ●下記補充品をできるだけ早急に入手すること

    ・【2007年5月追記】2泊3日程度の巡航に耐えうる食糧の補充。
    ・流出したシーナイフ(ロープの切断に耐えうるように波刃)。
    ・巡航時係留に使う漁港用係留ロープ 14ミリ×14メートル×4本。
    ・【2007年5月追記】チェーン=8ミリ×4メートル。
    ・【2007年5月追記】サングラスも用意しておくこと=>長時間航海のあとにひどい頭痛が起こるのは紫外線で視神経にダメージを受けるからだろうか。

    ……増える一方の整備項目。1月末にリストを上げてからぜんぜん整備が進んでいない。

    今週も行けなかったよ。

    5月13日 日曜
     大型連休が明けた5月7日から忙しかった(仕事的には5月1日からずっと)。木曜日には終息して、週末は船にいけると思った矢先の金曜日に、月曜昼締め切りの仕事が発生した。土曜日は家族の大事な用事で動きがとれず。結局、この週末も船に行くことができなかった。

     3回連続で週末に行けないと、実質1カ月船が動かせなくなる。海が温むこの時期、出港しないでいると船底とスクリューが汚れる。それが一番の懸案だ。2006年も6月から7月にかけて船に行けない期間があった。その7月、船底塗装をしてもらうために、MMFから油壺造船所まで回航してもらおうとしたらスクリューが団子になって船が動かず、テンダーで曳航してもらった。あれは、“船長”になってから最も「恥」と感じた出来事だった。2004年3月に新島港へ係留したとき、強い西風にあおられた「阿武隈」が船体を一晩中岸壁に打ち付けたあげくに、甲板が割れてしまった不始末より恥ずかしかった。

     とはいえ。土曜日の昼に仕事を片付けていれば、船に行く時間は作れたのではないか、とも思う。野本謙作氏もその著書の中で船で旅する前は「それでも出かける前は降りかかる火の粉を振り払い、たたき伏せ、といった感じだった」と述べている(スピン・ナ・ヤーン p.71より)。

    大型連休の後半も家族と過ごす

    5月6日 日曜 雨

     5月の1日と2日は出勤で、3日から大型連休の後半になる。当初、5日に「阿武隈」へ行く予定だったが不意の用事ができた。天気予報は6日に雨が降るといっている。「雨が降っても遅く起きても港に行く」と誓いを立てた2007年であるが、しかし、50ccのモトラで雨の中を片道2時間かけて走るのはしんどい。

     実を言うと、これが理由で今年の春に軽自動車を導入しようとかなり真剣に検討していた。購入したい車も見つかり、販売店から見積もりを取って、幸運にも住んでいるマンションの駐車場に何年かに1度の“空き”が1台分だけできたりして、勢いは「祝! 人生初めてのマイカー生活」に傾いていたのだが、冷静にランニングコストを計算したら、年間で「阿武隈」のそれに匹敵する金額がかかることが分かって、止めた。

     軽自動車1台なのに、そのランニングコストが船1隻(その中身は係留費とBAN、保険、船底塗装費)とほぼ同じだったのは驚いた。軽自動車でかかるのは駐車料金と(私としては意外にも)ガソリン代だ。軽自動車なのにガソリン代がかかるのは、燃費がすこぶる悪い古い(製造されてから26年も経つ)車が気に入ってしまったため。

     結局、モトラで雨の中を走るのが面倒で「阿武隈」に行かなかった。そのおかげで、不意の用事で九段下に行って、そのついでに好きなソバを山盛り食べてこれたのだから、なにが幸いするか分からない。

    大型連休の前半は家族と過ごす。

    4月30日 日曜 晴れ

     大型連休でうまくすれば9連休でその気になれば八丈島に行って帰ってこれるだけの休日が確保できそうではあるのだが、今年は家族と家で過ごすことにした。

     いつのときだったか、満杯の三崎港で横抱きをお願いしようとあるヨットのオーナーに顔を向けたとたん、「いやだっ」という意思をはっきりと示しながら顔をそらされてから、大型連休とお盆の時期は巡航に出なくなった。

     もともと、東京湾や伊豆諸島の漁港は(三崎と波浮を除いて)収容能力が低いので、外来艇がちょっと集中すると岸壁がいっぱいになってしまうのだが、それでも、沖側の舷側にフェンダーを下げて、あとから入ってきた船を横抱きにしてあげるのが「粋」であったと聞いている。「阿武隈」もそうして多くの見知らぬ先輩スキッパーに助けていただいた。最近は、横抱きされるのを嫌がる船が多くなってきただけでなく、仲間内で漁港を“占領”するために、朝イチにパワーボートが集団で入港してくることもある。

     家族と過ごそうと心に決めたものの、4月30日はとてもいい日和でなんとなく落ち着かなかった。それでも午前中は風がなく「これなら帆走できないからいいでしょう」と構えていられたが、昼を過ぎて開け放した窓から涼しい風がなんとも気持ちよく吹いてくると、どうにも不機嫌になってしょうがなかった。

     家族はとても迷惑したようだ。