阿武隈 twitter版

    follow me on Twitter

    シーナイフがほしい

     だいぶ前にシーナイフを水没させてから、「阿武隈」では工作用のカッターナイフを使っていた。が、ロープの切断など、船でよく使う用途には向いていない。やはり波刃を持ったシーナイフがほしい。

     5月の連休に横浜港のシーバスに乗った。そのシーバスの横浜駅波止場にあるショッピングモールで「ビクトリノックス」の専門店を見つけた。ビクトリノックスのラインアップには舶用マルチツールもある。

     以前は、「シンプルな単用ツールが信頼できる」と考えていたが、航海で不意のトラブルに即応しなければならない体験を少なからずするようになってからは、すぐ使えるように道具を常に手元におきたいと思うようになってきた。とはいえ、身に付けられる道具の数には限りがある。そして、数は少ないのが望ましい。そういうわけで、最近ではマルチツールに興味が向かっていた。

     ビクトリノックスの舶用ツールラインアップには2モデルが用意されている。上位モデルはスキッパー、エントリーモデルはマリナーという。どちらも波刃のナイフとシャックルキーを持つ。



     カタログにはスパイキも用意されているとあるが、それらしいパーツは見当たらない。調べてみるとシャックルキーの先端がスパイキを兼ねているそうだ(細身のシャックルキーが強い力を必要とするスパイキの代用になるか、試してみないと分からない)。専用のスパイキがないならスキッパーでもマリナーでも変わりはない。

     スキッパーモデルには、プライヤーとコルク抜きが用意されている。火急を要する船上作業の道具として考えるなら、コルク抜きのプライオリティは高くない。小型のプライヤーも実用的とは思えない。となると、マリナーで十分だ。

     ビクトリノックスのマルチツールというと、ステショナリータイプの「小さい」イメージを持っていたが、スキッパーもマリナーも柄の部分が手のひら一杯の長さを持っていて、波刃の長さも十分にある。これなら、力を入れられるし太いロープも相手にできる。シーナイフには用途に見合ったサイズが必要だが、これなら大丈夫そうだ。



     などなど、ショーケースの前で長い時間動かないでいたら、家族からマリナーモデルをプレゼントされた。うわー、とてもうれしいよ。ありがとう。

    旧友が「阿武隈」に来た

    5月24日 土曜 雨

     珍しく「阿武隈」にゲストが来た。小学校から中学、高校、予備校、大学、社会人と付き合いが続いている友人だ。初代「阿武隈」に最初に来てくれたのも彼だった。そのときは、強風の中を帆走して、だいぶしんどい思いをさせてしまったので、今回は、ゆっくりすごしてもらおうと、土曜日の夕方に上船して、キャビンで肉を焼き酒を交わし、そのまま泊まって、翌日昼前に下船して、家で体を休めてもらうことにした。

     1600、横浜駅で待ち合わせ、京急に乗って三浦海岸駅下車。駅前の京急ストアで食材を調達してタクシーで宮川湾に向かった。タクシー代は2500円。電車を使ってMMFに行く場合、駅前で食材の調達できるのは三浦海岸駅に限られる。京急に乗ったあたりから雨が降り始めていたが、港に着いたときはかなり強くなっていた。明るいうちに上船できてよかった。キャビンでくつろぎつつ、肉を焼き始める。プレートは100円ショップで調達した鉄板を使った。

     あとはもう、途中で「Yeehaw!」(ノーテック240)のTKさんが加わっただけで、夜が更けて消灯するまで同じ情景が続いた。腹に何も含むことなく、相手を警戒することもなく、こんなに愉快に話すことができたのは久しくなかった。うれしかった。

     あした出港するんだよ、というTKさんの話が面白くて、さんざん引き留めて、日付が変わった0200にようやく散会して消灯。デッキを激しくたたく雨音を聞きながら寝る。

    5月25日 日曜 暴風雨

     0530、コックピットに張ったオーニングがバタつく音で目を覚ます。雨に加えて風が吹きまくっていた。急いでオーニングを収容する。風がすごい。雨は時々上がるけれど、南東の風は常にうなっている。ぼんやりとした頭で港を脱出するタイミングを考える、つもりが寝てしまった。うたた寝を繰り返しているうちに1000をまわった。食器を洗ってごみをまとめ、服を着替える。きのうの雨でぬれた服はやっぱり乾いていなかった。

     1130、小降りになったタイミングで下船、と思ったが、桟橋を歩いているうちに雨足が強くなり、港の小道を歩いているうちに風は勢いを増した。最低のタイミングで外に出てしまったようだ。突然、腰痛がひどくなって動けなくなり、待っても待っても来ないことで有名な宮川町のバス停で立ち往生する。幸い、10分ほどでバスが来た。昼間この路線に乗るのは初めてだった。ひなびた風景が続く。

    三浦海岸駅の前で定食を食べ、京急に乗って横浜に帰る。帰りは腰が痛くて何もしゃべれなかった。気遣ってくれる友人と横浜駅で別れて私鉄で帰宅。この辺りになると時間も覚えていないほどだった。

    台風4号がやって来る

     先週、伊豆諸島南方海域を台風2号が通過したが、今週は台風4号がやって来るという。予想進路を見ると三浦半島にやって来る可能性が高い。こういう週末は、荒天対策を施しておかなければならないのだが、疲労困憊でどうにも港に行けなかった。

     ただ、先週のうちに台風2号対策で係船索を増しておいたのが幸いした。台風2号は三浦半島を逸れていったので、係船索や船上の固定はそれほど緩んでいないはずだ("はず"に依存するのは危険なことだが)。そのまま台風4号にも対応できると考えて、週末は自宅で過ごした。

     2007年にも台風4号が三浦半島にやってきていた。7月14日のことで、そのときは荒天対策のため船に泊まった。2008年の台風は2007年よりペースが2カ月早い。

     日曜は終日暖かく、風もほどよく吹いていたようで惜しいことをした。MMFのフリートが保田に行ったそうで、MMFの掲示板にはいい顔で写っているみんなの集合写真がアップされていた。

    海で使うネットワークデバイス(携帯電話 or ノートPC)

     巡航先や航海中にインターネットを利用する場合、デバイスとして考えられるのはノートPCか携帯電話になります。技術的好奇心を別にして、「阿武隈」ではおもに携帯電話を使ってインターネットにアクセスしています。

     その理由としては、

    ・発電能力が乏しいセールボートでもデバイスに供給する電力の負担が少なくて済む
    ・通信コストを抑えられる
    ・携帯電話向けの情報はデータ量がコンパクトなので、圏内ギリギリのエリアでもダウンロードに要する時間が短くて済む
    ・片手で操作が可能、デバイスを持って圏内までの移動が簡単など、取り扱いが容易

    と、いったあたりが、(個人的な経験に基づく考えではありますが)挙げられます。

     PCと接続して利用できるデータ通信サービスも各キャリアから登場して定額料金プランも安くなってきましたが、データ通信専用になるため、音声通話回線とは別に契約する必要があります(非公認の技はいろいろとあるようですが)。

     イー・モバイルは音声通話もできるデータ通信定額プランを低価格で提供していますが、サポートエリアが大都市圏、または街の中心部に限られるので、自分が使う港や巡航で訪れる港で使えるか「ユーザーのレポート」で確認しておきたいです。

     事業者のサービスエリアマップでは街の中心地の状況で行政区が一括して扱われるため、市街地から離れた漁港のさらに外れにあるヨットの係留場所が圏外である可能性があります。その一方で、知り合いのセーラーは三崎港の周辺海域でイー・モバイルが使えることを確認しています。このように、局所的に状況が異なることが多々あるため、エリア情報は細かく確認しておいたほうがいいでしょう。

    台風2号が来るかもしれない

    5月11日 日曜 雨のち曇り 北東の風15メートル(剣崎灯台観測値)

     木曜日に台風2号が発生した。「まさかこの時期に日本周辺へ来ることはないでしょう」と思っていたら、針路をぐぐっと北東に変えて、来週の火曜から水曜にかけて小笠原から伊豆諸島南部に来襲する見込みとなった。予想針路の最も北寄りを進むと三浦半島南端も暴風域に入る可能性がある。

     というわけで、この週末は「母の日だから家で家事をこなして点数稼ぎ」の予定だったが、急きょ増し舫いのためMMFに向かうことにした。体調が悪いので電車で向かう。1230、三崎口到着。1240、栄町バス停下車。1300、徒歩でMMF到着。やはり、バス停からあとが遠い。

     管理棟の中は、「バーバリアン」「ハルカゼ」「TallBoy」のメンバーで活気に満ちていた。雑談の中に交ぜてもらう。15メートル超えの強風の中、「バーバリアン」と「ハルカゼ」に分かれて2ボートトレーニングをこなしていたそうだ。「阿武隈」はほかの船と時間が合わない(ねぼすけの私がMMFに着くころは、すでにみんな出港していて、「阿武隈」が帰港するころには、すでにみんな後片付けを終わらせて帰宅している)ので、ほかのメンバーと顔をあわせることがあまりない。久しぶりに大勢のメンバーと会話をすることができて楽しかった。

     陸上の地形が沿岸で風に与える影響、どんな海況でも滑らず、そして、使い込むと足にぴったりとあってきて、かつ、中の足が冷たくならないというデュバリーブーツの使い心地、などなど。伊豆大島沖から引き返した「阿武隈」の巡航についても問われたので、そのときの帆走の状況と戻るまでに要した時間を説明した。

     1330、上船。ブームの固定を両舷のジブリーダーからロープを渡して行い、予備のロープを使って係留索を2重にする。30分程度で荒天対策は終了した。船内で昼飯(インスタントのフォー)を作って食べる。音楽を聴いてひと息ついて、1530、下船。始終、風が冷たかった。


    係留索を2重にした舳先の状況。2重にした係留索のテンションはどちらも同じにしておくこと

    南西ブイで漂いながら昼ごはん

    5月6日 祝日 晴れ 南東の風 風力5のち6(阿武隈独自基準)

     1130、MMF到着。管理事務所前にモンキーが停まっていた。普段はキャンピングカーに搭載して近場の移動に使っているそうだ。同じホンダのミニバイクに「モトコンポ」という車種があって、ハンドルとシートを収納するとちょうど6人乗りライフラフト程度のサイズになる。これを「阿武隈」に搭載して離島で使うと便利だろうと前から考えている。「阿武隈」には寄港地の移動用としてギア付きの折り畳み自転車を搭載しているが、アップダウンの激しい離島では、6段ギア付きといえどポタリングサイクルでは厳しい。

     1200、上船。予報では昼前まで北東の風が強く、後に南の風に変わることになっていた。すでに、風が落ち始めている。タイミングを逸したか。迷ったが、とりあえずセールをセットして出港する。1300。MMFを出るとき、風は南東に変わっていた。

     レギュラージブとフルメインの組み合わせで帆走を始めたが、港内で感じた以上に風が吹いていた。ウェザーヘルムがきつくて舵が重い。ヒープツーでワンポイントリーフを入れる。操舵は楽になったがそれでも「阿武隈」は5ノットから6ノットで快走する。


    オートパイロットのおかげで、こういうアングルで動画が撮れるようになった

     きょうは城ヶ島沖南西ブイまでいき、そこで漂いながら昼飯を食べるつもりだ。ヨットレースがなければ南西ブイの海域は本船や遊漁船があまり来ない。漂って過ごすにはちょうどいい。南の風を受けて「阿武隈」は左舷開きのアビームで疾走する。1400、南西ブイに到達した。「阿武隈」を漂わせて備蓄しておいたレトルトのカレーとパックご飯で昼飯にする。ヒープツーしていたはずなのに「阿武隈」は2ノットで北上していった。

     1430、帰路につく。復航は右舷開きのクローズホールドでほぼ真東に帆走る。海面に白波が目立ってきて波を受け損なうと飛沫を被るようになってきた。ワンポイントリーフでも舵が重い。1530、MMFの入り口に戻ってきた。南風でMMF前の海域は波がうねっていて、セールダウン、係船索とフェンダーのセットに手間取る。1600、帰港。桟橋につけるのに向かい風になるので、速度をいつもより出して進入したが、減速のタイミングを誤ってぶつけてしまった。


    海がうねってきたら波を静かに乗り越えることが肝要。しくじるとこんな感じで波をかぶることになる

     強風の帆走で疲れた。休み休み解装して1730。下船、1800。

    オートパイロットの防水対策

     2004年にオートパイロットが不調になって以来、三宅島巡航や伊豆諸島北部時計回り巡航、伊豆大島巡航を人力操舵でこなしてきたが、さすがにしんどい。オートパイロット「SP-1000」を購入した。Defenderのオンラインショップで1月21日に発注して2月11日に届いた。商品399.99ドルに送料65.54ドル。このほかに通関で2000円を取られた。

     以前は、26フィートの船としてはワンクラス上のSP-2000を使っていたが、「オートパイロットは消耗品」ということで今回はSP-1000を選んだ。自分の経験では、SP-2000でないと間に合わない海況になると、波に対処するためオートパイロットには任せられなくなる。

     ただ、いくら消耗品とはいえ高額商品であるのは変わらない。末永く元気であってほしい。これまで、オートパイロットを2本ダメにしているが、いずれも時化の海を長時間航行して、ザンブザンブとオートパイロットに波が打ち付けたときだった。オートパイロット本体にもそれなりに防水対策が施されているが、それほど強固なものではないようで、カバーをかけるのはスキッパーの常識となっている。それに加えて、ロッドが縮んで本体に取り込まれるときに、海水もボディの中に侵入しているのではないかと考えた。稼働するロッドと本体を防水できる方法はないか。ホームセンターでこういうものを見つけてきた。



    家庭で使う水作業用のビニール製長手袋だ。Mサイズで長さ63センチある。指の1本にロッドを差し込む。



    ティラーに取り付ける。



    動かしてみた。



    ボタンの位置をマーキングして完成

    伊豆大島沖からMMFへ

    4月28日月曜 曇りのち晴れ 北東のち東の風 風力4のち5(阿武隈独自基準

     遠いが夜になっても入港できるMMFに戻ろう。長時間の航海になっても明日1日を休養にあてられる。1100、伊豆大島西方海域にて反転する。風は北東。クローズホールドで北上する。対地速度は3ノット前半から時々4ノット。MMFまで28海里だか、風はMMFの方角から吹いているので14時間かかるかもしれない。


    伊豆大島西方海域から反転する。くっそー

     ちょうどそんなときに、家族からメールが届いた。「晴れているから海は気持ちいいだろうね」 ああ、たしかにそうだ。暑くもなく寒くもなく、風が吹くと涼しくて心地よい。日没までに着かなくちゃ、とか、早く着かないと船を泊める場所がなくなってしまう、というあせる気持ちもない。到着時間を気にすることなく、ゆっくりと帆走で航海できることなんて、そうあることじゃない。道半ばにして不本意ながら引き返す航路だったけれど、エンジン全開で走っているときよりもストレスはかからなかった。

     間切りながら進む覚悟をしていたが、風がだんだん北東から東に変わっていって、右舷開きでも三浦半島を狙えるようになってきた。1600ごろからは風も募り、ジブとフルメインの組み合わせで4ノットから5ノット出せるようになった。思ったより早く着けるかもしれない。太陽が西に傾いて海は金色に輝く。1830、航海灯をつける。両舷灯の調子がよくない。コードの角度を手で変えて点灯させる。MMFまであと16海里。


    日が西に傾いてきた。まだ、相模湾の真ん中にいる

     しばらく進むと前方に緑色の光が見えた。剣埼灯台か。白、白、と2回光って、時間が空いてから緑が短く光る。緑が光るまで間が空く(白、6秒、白、18秒、緑、6秒)ので、1回見逃すと、城ヶ島灯台と間違えそうになる。ほどなく、剣埼灯台から左にやや離れて15秒周期で白灯が1回輝く城ヶ島灯台の光が見えた。船から10時の方向を見ると「短、短、長 長、短、短」(モールスの“D”を打っているので、周期として正しいのは直したほうになる)と光る城ヶ島南西ブイも確認できる。やった、帰ってこれた。

     日が沈むと辺りはどんどん暗くなってくる。城ヶ島灯台の背景には街明かりが輝いているが、剣埼灯台は暗闇の中で点滅を繰り返している。剣埼灯台のすぐ左脇に白灯4秒周期の安房埼灯台が光っている。城ヶ島東海域に西側からアプローチするとき、最も注意しなければならない灯台だ。MMFに近づくにつれて、遠洋漁業用無線アンテナ、ついでライトアップされた2つの風車を確認する。MMF入り口の赤灯標もかなり遠い距離から視認できた。その時点で1900。MMFから4海里ほどの海域だった。

     日が暮れてから風はどんどん上がって「阿武隈」の速度は6ノットを超えるようになってきた。このまま、MMFに向かえるかと思ったが、思いの外安房埼灯台に近づいていたのと、風が北に振れたのとで、MMFを目前にしてタック、MMFを背にして南下する。もうすぐ入港できると思っていたのに離れていくのはつらい。

     30分後、ちょっと早いと思ったがタックをしてMMFに向かって北上する。やはり、北に向かうタイミングが早すぎて危うく安房埼灯台の岩礁帯に突っ込むところだった。そこはいつも灯台から照射されていて波立っているのが見た目にも分かるのに、距離がつかめなかった。ざわめく波の音がはっきりと聞こえたので、かなり近づいていたように思う。

     タックで岩礁帯をかわし、再度タックで定置網があると思われる海域を避け、三崎港東入り口にある「三崎港東口第1号灯浮標」のわきでセールダウン。エンジンをかけたら無事始動した、が、まもなくアラームが鳴りはじめて止まらない。けたましい音をたてながら、すでに風車のライトアップも港内のサーチライトも消えてしまったMMFに帰港した。2100。

     さすがに疲れた。セールを固縛し、係船索とフェンダーを簡単に整理して、食事もとらずにそのまま寝てしまった。2200。

     帰港翌日は0730、起床。きのうの出港前に温めておいたパックご飯と缶詰、味噌汁で食事。船上と船内、セール、ポータブルトイレ処理を時間をかけて休み休み行う。空はスッキリと晴れて風は弱く、たまに吹くと涼しくて気持ちがいい。アラームの不具合を再生するため、エンジンを始動する。回転数を上げてしばらく運転してから回転数を下げる。なのに、アラームがならない。エンジンを止めて燃料を入れる。見込みでは7リットルほど入ると思ったが、意外にも10リットルも入った。1300、下船。まるよし食堂で昼飯を食べてモトラで帰る。

    式根島巡航(2008年4月)

    4月28日月曜 曇りのち晴れ 北東の風 風力3(阿武隈独自基準)

     0230、起床。寝起きの頭でも作業の抜けがないようにチェックリストにしたがって出港準備を進める。お湯を沸かして水筒に詰め、パックご飯と餅を温める。

     0330、下弦の月を見ながら暗い海に出る。風は北東だが弱い。港を出て係船索やフェンダーを片付けていると不意に前方からひと筋の波が寄せてきた。んっ!と周囲を見渡すと、まったく気が付かないうちに三崎港から出てきた小型漁船の集団に囲まれていた。回避義務はこちらにある位置関係で危ないところだった。

     0400、安房埼灯台正横でセールアップ。風が弱いのでメインだけをあげて機帆走で進む。海流速報によると黒潮が伊豆大島近辺まで北上している。逆潮で難航するかと思ったが、5~6ノットと思いのほか船足が伸びる。海上はもやがかかり視界が利かない。伊豆大島北端の風早崎まであと1時間足らずのところまで来ているはずなのにうっすらとも見えない。






    少しずつ夜が明けていく。晴れると思ったが雲が多く、空と海は鈍く輝いた

     0830、風が上がってきたのでジブを揚げて帆走する。速度は3ノットから4ノット。0900、風早崎と乳が崎の姿がかすかに見えてきた。1000、風早崎正横。風が落ちてきて進まないので機帆走に移るべくエンジンを始動する、と水温のアラームが止まらない。船尾からは冷却水が出ているが十分な量かどうかよく確認できない。

     こういうとき、エンジンの回転数を上げるとアラームが止まることが多々ある。しかし、このときは鳴り続けた。エンジンを止めて、洋上で冷却水系の各部チューブを外し、そのつどエンジンを始動しながら冷却水が来ているか確認する。冷却水ポンプからミキシングエルボの手前まで水は来ている。サーモスタットの故障か。アラームが鳴り続けるなか機帆走するのは耐えがたい。となると残りの航海は帆走ということになる。

     この状況で、式根島に向かうか、近くの波浮に向かうか、勝手知ったるMMFまで戻るか。風が弱いなか黒潮に逆らって帆走するのは時間がかかる。残り20海里以上残して帆走で式根島に向かうと夜間入港は必至になる。新島の若郷港も日没までには間に合わない可能性がある。

     目の前の波浮港に向かうか。しかし、いったん波浮について、エンジン修理となったらすぐには出港できなくなる恐れもある。明日は高気圧が張り出してくるので十分帆走できる風も期待できない。この時期の波浮港に船を泊めるスペースが空いているかどうかも分からない。


    ぼんやりと伊豆大島北端の風早崎と乳が崎が見えてきた



    機帆走中は5~6ノットで快走できたのだが

    式根島巡航前夜

    4月27日 日曜 晴れ

     4月の26、27、28、29日で式根島を目指すことにした。当初の予定では26日に上船、27日未明に出港、日没前に式根島野伏港に入港、28日は式根島で仕事をこなして29日にMMFに戻ってくる計画だった。

     しかし、25日の週は連日深夜まで帰宅できず、26日は静養。27日の午後にようやく上船できた。出港前夜に行った作業は以下のとおり。

    ・セールをセット
    ・船内の固定状況をチェック
    ・用意するのを忘れていたGPS用の乾電池と夕食を宮川の店で調達
    ・PC用と携帯電話用の航法ソフトを設定
    (前日用意していた携帯電話用航法ソフトで使用する海図データを忘れてしまい、急きょ船内で作成した)
    ・ホワイトボードに明日の航路と主要灯台の灯質、天象潮汐時刻、出港前のチェックリストを記入

     以上で、「阿武隈」自身の航海準備は終了。管理事務所に出港届けを出して、2000に消灯。

     28日の起床は0230の予定。


    出港前日の日没。4月前半の連休は、晴天が続いて相模湾は風が弱いものの、新島から式根島の海域(伊豆半島から南)は西風が強くなると予測されていた