阿武隈 twitter版

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    部分食の月を港でのぞき見る

    12月10日 土曜 曇りのち晴れ 西の風強く

    1930、「阿武隈」上船。皆既月食を眺めながら帆走と思ったが風強く断念。港から月を眺める。雲の切れ目から月を覗き見る状況。それでも、皆既食直前までは姿を見せていた月が、皆既と同時に雲の帯に隠れた。オリオンとオオイヌは見えるのに、月がいるところだけに雲がかかる。そのまま、皆既食が終わって部分食に移行しても雲はとれず。月を見るのはあきらめてキャビンで過ごした。


    部分食が終わった0130、デッキに出ると全天雲はなく、一面月光の光で青白く輝く。皆既食で赤く輝く月は見れなかったが、月光で満たされたMMFを堪能できた。そのまま、海に出ようかと思うほどに美しい海だったが、風は静まらず、そのまま0200に就寝。MICSのデータによると、その直後からちょうど程よい風になったようだ。0600に目を覚まして、月が西に沈むまで眺める。それから程なく、東の空から日が昇ってきた。

    船に泊まって寝て帰る

    11月28日 月曜 晴れ 
    夏季休暇で船に泊まる。カセットガスと食材を購入して1720「阿武隈」上船。港はサーチライトも消して暗い。マストにロープがだらりと絡めてある。スピンハリヤードが切れたようだ。だれかが処置してくれたのだろうか。外そうとしたが、マスト上部でシュラウドに絡まっているらしく外れない。翌朝明るくなってから作業を行うことにする。
    船室に入って、先日購入した二口のカセットガスコンロをギャレーに取り付ける。針金を使ってジンバルからコンロを"ぶら下げる"ように固定するが、いまひとつ心許ない。あくまで仮処置とする。
    仮止めしたコンロでおでんを温めて、ホットウイスキーと一緒に夕食にする。ガスストーブもつけて船内は暖かい。ウイスキーで程良い気持ちになって20時ぐらいにクォーターバースで寝てしまった。
    目が覚めたら24時でこれがもう眠れない。本を読んだり目を閉じたりの繰り返しで朝の6時頃まで覚えていたが、次に目が覚めたら10時になっていた。前の日の予報では、昼過ぎから雨が降るといっていたので、デッキにでてシュラウドに絡まっていたスピンハリヤードを回収し、デッキの鶏糞を洗い流して下船した。
    うちに帰ってからMICSを確認したら、雨はその後も降らず、いい風が吹いていたようだ。

    マジックアワーの海を機走する

    11月13日 日曜 晴れ 南西後東北東の風 風力1(阿武隈独自基準)

    1200、三浦海岸駅下車。弁当を買って海岸で食べる。バスに乗って宮川町にむかう。1300、MMF到着。船舶保険の申込書をハーバーマスターに渡す。1330、「阿武隈」上船。

    プロパンガスが切れてから使わなくなっていたギャレーのコンロを取り外し、スポーツ用品店で購入したカセットガス用二口コンロに変更する。航海中の調理はジンバルに設置したコンロでないとできない。しかし、プロパンの充填が面倒な上、ガスボンベも劣化して交換が必要になっていた。ならば、コンロごと交換してしまおう。サイズを測ってぴったりするサイズを選んできたが、ジンバル幅にわずかに届かず。サイズ合わせのパネルと固定用のボルトを用意すること。

    風なく、機走で出港することにする。前回航海したのは3カ月も前だ。エンジンを始動しようとイグニッションキーをひねり、警告音を聞きながら始動ボタンを押すもセルモーターが回らない。固着したかと手でプーリーを回し、モーターのブラシが汚れたかと
    ゴムハンマーで叩き、バッテリーの端子が錆びたかとブラシで磨いても症状変わらず。キーをひねり始動スイッチを押して動かなければすぐにキーを戻す。これを繰り返してるうちにようやくエンジンが始動した。

    1530、出港。機走のまま三崎港に入り、北条湾を巡って相模湾側にでる。傾いた日の光で海が黄金色に染まっていた。そのまま、伊豆半島に沈む夕日を眺めながら南下し、日没とともに反転した。空に紺色から茜色に移行するきれいな階調が並び、徐々に紺色が優勢になりながらも西の空の終わりに茜色がいつまでも残る。そんなマジックアワーの海を機走して、1730に帰港した。

    三連休の中日に船にいった

    9月24日 土曜 晴れ

    連続した2回の三連休で船にいるのは後半の中日だけだ。朝早くから出撃するつもりが、雑事でずるずると遅れる。迷って迷って13時にようやく出撃。港に向かう途上で頭痛がひどくなる。1530、「阿武隈」上船。春夏ともやに隠れていた大島が姿をうすらと見せ始めた。港も静かになった。

    台風15号で、だいぶ船が揺すられたようだ。左舷フェンダーが失われていた。ブームを固定していたトラベラーシートもかなりすれている。マスト灯と干渉したらしくスピンハリヤードとポールハリヤードも痛んでいる。

    増した係船索を収容したかったが、頭痛がいよいよ激しく、クオーターバースで寝込む。日が暮れて寒さで目が覚めた。頭痛は収まらず。1900、下船。

    次の週末は地元のばかげた寄り合いで船にいけない。その次の三連休は作戦で日本にいない。夏期休暇は2度延期させられて、まだとれていない。今年は本当にままならない。

    平日午前に荒天準備

    8月31日 水曜 曇り

    台風12号が関東に接近するコースを取っている。週末に三浦半島を直撃する可能性もある。スターンの係船索に不安があるのでできることなら荒天準備をしておきたい。午前の予定が空いている水曜日の0900、会社に行く出で立ちで自宅からMMFに向かう。

    1100、MMF到着。「阿武隈」に上船して船の係船索を二重にする。ブームも降ろして固定しようと船の中にあるシャックルキーを取ろうとして、鍵を忘れたことに気がつく。やむを得ず、メインシートとジブハリヤードで固定した。

    作業は15分で終了。そのまま下船して打ち合わせのある都内に向かう。帰りのバスの中で、台風が西に変針したことを知った。

    帆走で「いず」と「あこがれ」を追う

    8月21日 日曜 曇り後雨 北北東の風 風力5(阿武隈独自基準)

    1100、三崎口駅到着。雨は上がっていた。油壺造船所には津久井浜から連絡を入れて迎えをお願いする。迎えが来るまでに食料と飲料を用意しておけばよかった。迎えの軽トラックで造船所に向かう。

    船台に上がっている阿武隈のスクリューを確認する。2011年はペラクリンを使った。そのまま機走でMMFに戻ろうかと思っていたら北からいい風が吹いてきた。中村さんに聞くと「待っています」との返事がいただけたので、船台の上で艤装をする。艤装を終えて合図を送って海に下ろす。機関を始動して油壺湾からでる。そのまま西に進んで定置網より沖のでたところで船を北に向けて ジブとフルメインの組み合わせでセイルを上げる。実に3カ月ぶりの帆走だ。

    募ってきた北北東の風を右舷後方から受けて南西ブイを目指す。北東の風なのに波は高い。天候は曇り。雲は厚い。南西ブイをぐるりと回って東に向かう。波高く速度は思ったほど上がらない。それなのに、ウェザーヘルムが強く、舵を引く手に力が掛かる。久しぶりの帆走で腕の力が衰えたか。間切るたびに引くジブシートも十分に引き込めず、ウインチのハンドルも回せない。北北東の風を受けて間切って間切って進み、予想していた時間を大幅に超えてようやく MMFまで戻ってきた。

    あとひとつ間切れば最終針路に乗る、というタイミングで南西方向に巡視船が見えた。後甲板がフラットなのでヘリ搭載タイプだ。MarineTrafficでAISを確認したら「いず」が針路東で航行中であることが分かった。これは近づいてみておきたい。南下すればまだ間に合う。

    航跡を逆に戻って「いず」に接近する、と思ったら東から貨物船が迫ってきた。これを避けたら近づく前に「いず」は遥か東に遠ざかってしまう。といって、貨物船を避けないわけにはいかない。南に下った20分を無駄にして、余計な20分をかけて元の最終針路への変針点に戻る。

    と、今度は相模湾からやたらと背の高い、細長い三角形のような船が近づいてきた。ヨットにしてはマストが太い。ん?ひょっとして、と思ってMarineTrafficのAISをみると、おお、帆船「あこがれ」ではないか。これも近づいて、できることなら"帽ふれ"を交わしてみたい。

    またまた、いまきた航跡を戻って「あこがれ」に接近する。距離を置いて「あこがれ」の左舷を行き交う針路を取る。近づくにつれて、細長い三角形に見える正面からマストが3本に分かれ、きれいな正横の姿を鑑賞できた。そこで反転して「あこがれ」と並航しようとした、まさにそのとき、今度は遊漁船が割り込んできた。またしても、よけなければならない。回避して針路を東にむけたとき、「あこがれ」は遥か先を航行していた。

    また、無駄になった30分と、余計な30分をかけて最終針路の変針点へと戻る。途中激しい雨が降った。日も射さず、風も強いので合羽を着ないで長袖のラッシュガード一枚の体は冷えてしまうかと思ったが、意外と寒さを感じなかった。

    1730、雨が上がりつつある中、帰港。運良く雨がやんだタイミングで解装。1830,下船。

    今年も油壺造船所に回航する

    8月20日 土曜 天気曇り

    スクリューの整備をすべく、油壺造船所に連絡する。ちょうど週末に船台が空くので、土曜日に上げて日曜日に下ろすことになった。整備はスクリューとシャフト、亜鉛の交換のみ。船底塗装は上げて状態が悪かったら行うことにする。

    土曜日は風が穏やかで、機走で回航するのにちょうどいい海だった。1100に上船してそのまま艤装もせずに出港して、ゆっくり油壺に向かおうかと思ったら、なんだかんだと出港が遅れて、MMFを出れたのは1230を回っていた。あわてても、速度がでない。結局1330に油壺造船所に到着した。船を上げて船底を確認する。キール、ラダー含めてまったく汚れていない。5月6月7月と出港できなかったので、これは意外だった。ただ、スクリューとシャフトは、貝が付いてでこぼこだ。

    結局、スクリューとシャフトの整備をお願いして、1400下船。中村さんに三崎口まで軽トラで送っていただく。ありがとうございました。

    G'zOne Commandoで遊んだ

    港にこもる船内で、「G'zOne Commando」を試す。防水と耐衝撃性を備えて画面も明るいなど、ハードウェアだけで評価すると、小型帆船で使うのに最も適した小型情報端末だ。

    しかし、標準で用意するアプリは、これまでのG'zOneシリーズと同じ、格好だけを追求した「自然は都会にありて思うもの」という都会的なアウトドアユーザーを喜ばすだけの出来だ。アウトドアギアとしてのG'zOneの進化は、W42CAで止まっている。その後に出てきたものは「なんちゃってアウトドアギア」にすぎない、っと、たまたま猛烈に不機嫌な私は書き殴ってしまう。

    幸い、G'zOne CommandoはAndroidデバイスになったおかげで、自分でアプリを導入して「航海機器に特化したG'zOne」にカスタマイズできる。「阿武隈」にとって、日本で販売しているキャリアが伊豆諸島で一番使えないauというのが致命的だが、これも、デバイス側が無線LANに対応したおかげで「どうにでも」なる。

    というわけで、「NAVIONICS」「MarineTraffic」「BC Racer」「WindFinder」「Smart Compass」「携帯潮汐」 「Morse Decoder」 「Wyse PocketCloud RDP/VNC」などなどを導入したG'zOne Commandoは、最強のハンディナビゲーションギアになった。こうなると、もはや10万円超のプロッタ機能付き高機能GPSレシーバをあえて購入する理由を見いだすのは非常に難しい。

    「スマートフォンてなに? いままでの携帯電話で十分じゃない」という意見をよく聞くが、自分でアプリを導入することで携帯電話に標準で付属するアプリ以上の性能を可能できるのは、スマートフォンの強みだ。

    「iPhoneがあればほかのスマートフォンに存在意義はない」というユーザーも多いが、G'zOne Commandoのように、ある目的に特化したハードウェアを選択できる自由があるのは、Androidデバイスのアドバンテージだ(GoogleのMotorola買収でこの先どうなるか不透明になったが)。

    なお、eBayとかで海外から買い付けるとSIMロックフリーモデルが、この円高でなぁんと3万5000円! なんて話は、auの縛りつき一括7万円で購入する遵法意識が高い日本人に関係のない情報だったりする。

    スクリュー不調で出港断念

    8月14日 日曜 晴れ 南西の風強く

    1230、MMF到着。台風6号のために施した荒天準備を解除して、艤装が終わったところで立ちくらみがした。寝不足に加えて朝から何も食べていなかった。まるよしで昼食をとる。夏の混雑で時間がかかった。

    1500、ようやく出港。後進をかけて桟橋から船体を出している最中に、船が「ぬ」っと入ってきた。出船優先は関係ないらしい。後進から前進に切り替えて入ってきた船を避けたものの、船脚がなくなった瞬間に折からの強風に船が流される。

    船をやり過ごして再度出港する。機関の回転に比して速度が上がらない。港の入り口で高さを増してきた波に阻まれる。この先風が上がってきて。船が制御できなくなると思い反転、帰港する。3カ月ぶりの航海はわずか10分で終わった。

    解装してキャビンで一休みする。フォクスルにいると南の風が涼しくて心地よい。1730、下船。夏の港は見たくないものが多くてざわついてストレスがたまるなあ、と思ったりする。油壺造船所に船を上げてスクリューだけきれいにしたいと連絡する。

    台風6号荒天準備

    7月18日祝日 曇り 南の風3メートル(剱埼灯台観測値)

    三連休の最終日に港へ向かう。疲労激しく電車バスを使う。大乗バス停で男子2名が「ここから三崎口までの道を教えてください」と運転手に聞く。宮川町バス停から栄町バス停まで案内して、また港に向かう。

    まるよしでラーメンを食べて1300,「阿武隈」上船。波浪で港が煙る。台風6号に備えてブームをおろして固定し係船索を増して荒天準備となす。

    船内タンクに給油。増槽の残りは10リットル。機関を動かしてスクリューを回す。機関なかなか始動せず。機関室のビルジを処分。機関室の錆をブラシで落とす。オイルチェックでレベルは適正。

    船室に風を通すと涼しい。フォクスルで昼寝。時折雨が降る。港にうねりが入って海が濁る。

    1700下船。宮川町からバスに乗って帰る。

    台風2号がやってくる

    5月28日 土曜 雨

    台風2号がやってくる。翌日から1週間の渡洋作戦を控えていたので迷うところだが行かねばならぬ。1400、「阿武隈」上船。左舷スターンのスプリングに使っている係留索の「あまり」を取り出して、左舷スプリング、桟橋クリート、左舷バウスプリング、右舷バウクリート、右舷バウライン、右舷バウ桟橋クリート、と張って増し舫とする。

    1500、下船。管理棟で「SnowLight」船長と会う。b-mobile SIM U300環境でGoogle Maps がどれだけ使えるのかを説明。そのあと、androidで使えるNAVIONICSも紹介した。

    1600、「SnowLight」船長のジムニーで三崎口まで送っていただく。ありがとうございました。

    二段縮帆で帆走する

    5月8日 日曜 晴れ 南西の風 風力6(阿武隈独自基準)
    春の連休最終日にようやく「阿武隈」に行けた。日本の祝日と関係のない国と付き合っているとこういうことになる。
    久しぶりにモトラを駆って港に向かう、が、疲労困憊。1130、「阿武隈」に上船したものの、休憩してから艤装にかかる。結局、出港できたのは1300。レギュラージブと一段縮帆のメインで帆走開始。南南西の風をアビームで受けて南東に下る。本船航路手前で間切って南西に向かう。このあたりから風が西に回って強くなってきた。MICS剣埼灯台を確認すると13米を示している。ウエザーヘルムがきつくなり、風下舷のスタンションを波が洗う。
    一段縮帆から二段縮帆への決断は難しい。すでに海況が厳しくなっているので、ゆれる甲板で縮帆作業を行う恐怖を克服しなければならない。一方で、無理な力をリグにかけたまま帆走を続けていると、セイルやリギンが損傷する可能性もある。
    と、逡巡しているうちに、舵柄を持つ腕が
    ウエザーヘルムに耐えられなくなってきた。シングルハンドなので、面倒でも確実な手順を脳内で確認してから「阿武隈」をヒープツーさせて二段縮帆作業にかかる。
    以前、 YachtBBSで、ヒープツーさせて縮帆するのは危険だから、詰め開きで帆走しながら行うべきだと意見されたことがあった。しかし、自分の経験では、ヒープツーさせると船の動揺が抑えられて安全に作業ができる。ヒープツーは、ヘッドセイルとメインセイル、舵のバランスで船の姿勢を保つので、メインセイルを風向きに平行になるまで開けば危険はない。「阿武隈」でも、以前は詰開きで帆走しながら縮帆していたが、ちょっとした加減で間切ってしまうのと、船の動揺が激しいことと、シバーするセイルに煽られてブームが暴れるなど、とても危険で作業ができる状況ではなかった。
    ヒープツーの縮帆作業に警告してくれた人たちは、なぜか共通して「自分は経験したことはないが、ヒープツーはメインセイルを小さくした状態でやるものと教本に書いてある」と説明してくれた。ヒープツーに限らず、自分は経験していないのに教本に書いてあるという理由で何よりも正しいことと考え、人が経験で得た方法を否定し、自分の意見に従うように強要する船長は多い。
    せっかくだけど、私は机上の空論より自分やほかの船長が実際に経験してうまくできた方法を信頼する。
    2段縮帆の作業が思っていたよりも容易にできた。ヒールは20〜30度程度に抑えられ、なによりウエザーヘルムがほとんどなくなって舵柄を押さえる力が要らなくなったのが助かった。ヘッドセイルがレギュラージブのままだったので、メインセイルとのバランスが悪かったり、オーバーパワーになるかと思ったが、そういうこともなかった。
    そのまま、快適、かつ、豪快な帆走で相模湾を行って戻って、1800に帰港した。春の連休で出港できたのはこの日だけだったが、この数時間で満腹になるまで帆走できた。解装して1930下船。モトラで帰ったが、家に着いたら筋肉痛で体が動かなかった。

    ゲストとAISで遊ぶ

    4月30日土曜 晴れ 南西の風強く
    春の連休にゲストが来てくれた。一泊できるらしい。どこに行こうか。無難に保田か。伊豆大島か稲取か。天気予報は30日午後から1日にかけて時化るといっているが、GPVでは、風速11米程度を予報している。いけなくもない。当日午前中も穏やかだ。
    ゲストと三浦海岸駅で集合。慎重なゲストは無理することないからといってくれる。海岸のお店で早い昼食。乗り物好きなゲストは双眼鏡を持参してきた。ならば、岩堂山で東京湾と相模湾を監視する。目視した船影とAISで取得したデータと照合する作業がやたらと面白い。運よく、東京湾からふじ丸も出てきた。
    岩堂山から見下ろす海は風が強く見渡す海原に白波が跳ねる。これは出港できない。数隻のセイリングクルーザーが難航しているのが見える。「阿武隈」もその1隻になるところだった。天気を読むのは難しい。
    そういうわけで、その日は出港できず。岩場を盗人狩まで進出したり、ゲストの車で三崎の街と油壺を散策したりと陸で楽しむ。その日のうちに下船するゲストの一人を三崎口に送りつつあすなろで夕食。船に泊まるゲストと夜更けまで肩振り。それでも2400で消灯。
    5月1日 日曜 曇り
    0600、起床。寝床にこもったまま、ぼんやりと過ごす。1000、下船。三浦海岸のマックで海を見ながら食事をして解散。次は伊豆の島まで行ってみましょう。

    陽春の海で帆走する

    4月10日 日曜 曇りのち晴れ。南西の風、のち西南西から南東の風。風力2のち3から1(阿武隈独自基準)

    1130、「阿武隈」上船。北東の風がわずかに残っている。GPVの予報ではこのまま風がなくなって午後に南東の風が吹くという。南東の風が吹き始めるのは午後になってすぐか、夕方直前か。

    迷ったが、艤装して1230出港する。かすかに吹き始めた南西の風を受けてゼノアとフルメインの組み合わせで帆走を始める。舷側を流れる水音が少しずつ規則的になって波をかき分けていく。

    1400、風が西南西に回って弱くなる。しばし、船を流して昼寝した。1500、風が吹き始める。帆走を再開。4ノット台で快走する。1600、反転。風を後ろから受けて走るが、風向きが分かりにくくうまく帆走できない。ウィンデックスがないので自分の顔に風が当たる感触とセイルの「張り」で開きを決めるが、微風の追って走りではどうにもうまくいかない。

    1700、夕日の残るなか帰港する。日が長くなった。解装して1800下船。帰りに一緒になった 「Adelita」船長に三崎口まで車で送っていただく。とても助かりました。ありがとうございます。

    風が吹かない港に籠る

    3月27日 晴れ 北東の風のち南東の風2メートル

    日曜の午前中にいい風が吹くという。前日から船に泊まって朝早く出港したいが、まだ、そういう状況にはない。自粛ではなく不測の事態に備えるため。こういう状況はしばらく続くだろう。

    朝早く出発したかったが、例によって遅くなる。1200港に着く。まるよしでラーメンを食べて、1300「阿武隈」上船。風車が回り、頬に風を感じるが、これから風が落ちると思うとセイルを準備するのが億劫になる。

    予算が乏しい「阿武隈」では、ジブファラーもなければメインセイルカバーもない。出港のたびに船内に収納しているメインセイルをブームにセットし、ジブセイルをフォアステーに取り付ける。帰港したらそれらすべてを取り外して畳んでから船内に収納する。

    このまま風がなくなると考え、出港せずにキャビンでごろごろと過ごす。三宅島に寄港したときのことを書いて、神棚に塩釜神社のお札を供え、ポータブルヘッドのビルジを処分する。

    1700、「阿武隈」下船。偶然あった「YeeHaw!」のメンバーと宮川町からバスに乗って帰る。

    風が急に吹き上がった

    3月20日 日曜 晴れ

    依然としてガソリンの補給が困難なので、モトラではなく電車とバスで港に向かう。

    1300「阿武隈」上船。風は穏やかで気持ちよく帆走できそうだが、GPVの数値予報は午後から夕方にかけて風が急激に上がってくるという。見た目に信じがたいが、出港を取り止める。

    キャビンで書き物。1500過ぎから風が上がってきた。港がリギンを鳴らす風の音で満たされる。

    1700、下船。まだ明るい。明日は春分の日だ。風に向かって歩けないほどに風が強くなっていた。GPV予報を確認していたから出港を止めたが、自分の観望天気では、帰港で相当難儀していただろう。

    静かな海にいく

    3月13日 日曜 晴れ
    注意報にレベルが下がったので、港と船の状況を確認するため、モトラで出撃する。立ち入りが規制されている可能性があるため、その場合は風車のある高台から確認できるように普段は港にもっていかない12倍ズームコンデジを準備した。
    16号に出るまで、16号に出たあと、衣笠駅から三崎に至るまで、いずれも車は少ない。たまに渋滞していると思うと給油待ちの車列が400メートルも続いていた。
    MMFに到着すると、立ち入り規制もなく、まるよし食堂は通常営業で、岸壁では釣りをしている。ごくごく普通の風景だった。 MMFの施設に損害はなく、船も係留索やクリートを含めた係留設備もすべて異状は認められなかった。管理棟から桟橋に至る道や崖も変わりない。
    1400、「阿武隈」上船。備蓄食料とガスコンロ、ガスをピックアップしてモトラに載せる。いい風が吹いて、このまま海にでても何ら問題ないように見える海だった。
    不測の事態を避けるため日没前に帰宅するべく、1530、下船。でも、まるよし食堂でラーメンを食べて出発が遅れる。
    帰り道、16号を走る車はますます少なく、営業しているガソリンスタンドもさらに減り、たまにやっているところは給油待ちの列が延びる。結局、途中給油することなく帰宅した。
    次の週末は海に出ようと思う。

    小さい携帯電話で電子海図を使ってみた

    「航海術は紙の海図とハンドコンパス」が信条の「阿武隈」ですが、シングルハンドで、しかも、オートパイロットが壊れたままゆえ、舵柄を握ったまま甲板から離れることなく使える航海機器を必要としていまして、これまで、タブレットタイプのTOUGHBOOKを甲板においたまま使ったり、Windows Mobileベースのスマートフォン「X02HT」に航海ソフト「Pathaway」を導入したりなどしてきました。特に、X02HTとPathawayの組み合わせは、キャプチャしたビットマップを海図データとして用意するという制約があったものの、多彩なな表示機能が使いやすいだけでなく、防水パックに入れてしまえば普段使いのスマートフォンが高機能GPSプロッタに相当する使い勝手を実現していました。実際、「阿武隈」では普段の航海や巡航でX02HTをライフジャケットのポケットに入れて、すぐに情報を参照できるメインの航海機器として長いこと運用してきました。

    しかし、X02HTにもスマートフォンとしての性能に限界がきて、2010年後半にAndroid搭載モデルに切り替えました。となると、Androidで使える航海ソフトが使いたくなります。幸い、Androidマーケットでは「NAVIONICS」の航海ソフトが入手できます。NAVIONICSでは、収録する海図エリアごとに異なるパッケージを用意していますが、日本海域を収録しているのは「Marine : Pacific Is. & Japan」です。価格は1000円程度(為替レートの変動に併せて価格も変わる)。わずか1000円で、水路情報のデータベースを収録したベクトルデータで構成される電子海図と、機能はシンプルながら、ルート作成機能やGPSトラッキングなど基本機能は備え、FacebookやTwitter、WindForcastなどネットワークと連動した情報共有機能もカバーする航海ソフトが入手できます。

    NAVIONICSの海図データと付属する航海ソフトの概要については、すでに別な場所で記事が掲載されています。そこでは、7型ワイドで解像が1024×768ドットのディスプレイを搭載したタブレットデバイス(GALAXY Tab)で運用した実例が紹介されているので、ここでは、4型ワイドで解像度が320×240ドットの小型スマートフォンに導入した場合について記します。

    ディスプレイのサイズが小さくなって解像度が低くなっていますが、表示領域のズーミングやパンニングが速いので、海図の一覧性が低下して使い勝手が悪くなることはありません。小型スマートフォンでは、CPUの動作クロックが低くなるなど性能も抑えていますが、画面の描画速度や水路情報の検索と表示処理速度は、より性能の高いタブレットデバイスとほぼ同じです。

    一方、本体を握ったままの片手で操作が完結するので、詰め開きの帆走で激しくピッチングしても、風を後方から受けた帆走で大きくローリングしても、操作が確実にできます。海図に表示されるバルーンのタップ、航路標識の選択、距離と方位の計算で使うポジションピンの移動でもストレスを感じることもありません。

    収録されている海図はベクトルデータで構成されているので、拡大しても表示は乱れず、また、収録されている水路情報のデータは充実しており、かつ、バージョンアップのたびに更新と追記が施されます(特に最近のVer.5.0からVer.5.1の更新で大幅に追記された)。

    モバイルデバイス向けのNAVIONICSはiPhoneとiPad版が先行して登場していましたが、「なぜか」Marine:Pacific Is. & Japanが日本で購入できません(2011年2月末時点)。幸い Android版は日本でもPacific Is. & Japanが購入できています。購入したときのGoogleアカウントを設定すれば、異なるデバイスにも導入できるので、画面サイズと解像度を重視して大画面タブレットデバイスを使うのもよし、片手で使える使い勝手を重視して小さなスマートフォンに入れるのもよし、とユーザーの考えにあわせてデバイスを柔軟に選べるのもAndroid版のメリットといえるでしょう。

    で、現時点における「阿武隈」の電脳航海システムは、NAVIONICSを導入した小型スマートフォンを防水パックに入れてライフジャケットのポケットに忍ばせ、通常の航海では主にそちらを使用するほか、「Software On the Boaut」を導入し、AISレシーバーを接続した、5型ワイドディスプレイ(解像度は1024×768ドット)搭載Windows XPタブレットPCを甲板に設置して、詳細な航海情報の確認とAISによる本船動向の確認、衝突警報のチェックをできるように運用しています。

    電脳航海システムというと、大がかりな仕掛けを想起させるようですが、「阿武隈」では、小さなタブレットPCが甲板に転がっていて、時折ライフジャケットから"携帯電話"を取りだすだけなので、見た目的には「なんかすごい機械がたくさん取り付けられているかと期待していたのに裏切られた」という感想をいただくことが多いようです。

    北東の風に押されて衝突

    2月20日 日曜 曇り 北東の風 風力5(阿武隈独自基準)

    1030上船。1130出港。ジブとワンポイントリーフの組み合わせで帆走。航海ソフトの評価を行いつつ南西ブイを往復。1500帰港。終始曇天で浪もだいぶ被ったが、首回りを守っていたのでそれほど寒くならず。

    出港時、右隣に係留している「SilverWaves II」の左舷中央に舳をぶつけた。船尾から風を受ける状態で後進して離岸したのち、前進に切り換えて回頭しつつ出港しようとしたが、#十分後進しないうちに前進に切り換えた、#左回りスクリュー船で前進時に右回頭が早い、#後進から前進に切り換えて推進力がなくなったときに風に流された、#衝突回避の後進開始が遅れた、ことが原因。

    ハーバーマスターに報告して、「SilverWaves II」船長にも連絡する。

    月夜に快走

    2月13日日曜 晴れ 北東の風 風力3のち4(阿武隈独自基準)

    予報が、日曜日の日中は無風だが夕方から風が吹き始めるという。ちょうど上弦の月を少し過ぎた辺りだ。夕方から出港するつもりで11時に自宅を出発する。

    1300、MMF到着。昼食をとって1400「阿武隈」上船。1440、艤装完了。んん?北東の風が残っている。どうしようか。風が落ちるはずだから夕方まで待つか。迷って迷って1450、出港。北東の風がユルユルと吹くが、ジブとフルメインの組み合わせで1515、帆走開始。左舷後方から風を受けてのったりと進む。天気は晴れ。

    ユルユルと帆走しているうちに、1727、日が沈む。頭の真上に月が輝くが、晴れた空に陽光がいつまでも残る。北東の風がようやく募ってきた。1800、南西ブイを回る。灯質はモールスのD。

    やっとこのあたりから甲板が月光で青白く照らされる。ただ、月が天頂にあるので、よほど見上げないと月が視界に入らない。青白く光る甲板に映る影で月の気配を感じつつ、詰開きで東に帆走る。風が上がってきて時折6ノットを超す快走。こんな帆走はいつ以来か。顔と首元から寒さが染みてくる。ネックウォーマーがあればそんなことはないのに。

    2030、MMF帰港。明日の朝の天気が不確実なので解装する。2200、インスタントラーメンとレトルトのカレーライスをギャレーで作り、風の音を聞きながら食べる。キャビンでストーブを炊いて毛布にくるまり2330消灯。

    2月14日 月曜 曇りのち晴れ。北東の風9メートル(剣埼灯台観測値)

    0630、起床。風が冷たい。0430、キャビンストーブのガスが切れて寒さで目が覚める。雨が降る音が聞こえたような気がした。仕事のメールをいくつか処理したのち、0920、下船。宮川町からバスに乗って帰る。

    無風で漂う

    2月6日 日曜 晴れ後曇り 南西の風 風力1(阿武隈独自基準)

    GPVは午前中のいい風を予想していたが、起きたのは10時。午後に吹くという南の風を期待して11時にモトラで出撃する。

    1330MMF到着。風車が止まっている。迷って迷って艤装して1500出港。風ほとんどなく、フルメインの機帆走で南下する。安房埼灯台を交わす辺りから風を感じた。ゼノアを揚げたがはためくだけで船足は止まった。1600ごろから詰め開きでわずかに帆走れたが、すぐに風はなくなった。そのままセイルを降ろして1630帰港。

    解装して1730、下船。モトラで帰る。途中、雨に降られた。

    海から海南神社に詣でる

    1月23日 日曜 晴れ 北東の風 風力3(阿武隈独自基準)
    1月2日から休みがとれなかった。きょうも難しい状況だったが無理矢理時間を作った。
    疲労激しく、モトラではなく電車バスで移動。MMFは北東のいい風が吹いていた。艤装して帆走したいが、翌日から海外作戦を控えているので自重。そのまま機走で出港。三崎港に向かい、北条湾に「阿武隈」を進める。
    甲板からお神酒代わりのウイスキーと賽銭を海に捧げ、北条湾から海南神社を望んで、二礼柏手一礼。これが「阿武隈」の初詣だ。
    そのまま、MMFに帰港。ガスストーブを点けたキャビンで暖まってから下船。バスで帰る。