阿武隈 twitter版

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    坪田漁港(2005年9月19日寄港)

    注意:ここで紹介するのは2005年9月20日時点における情報です。現在、坪田漁港は三宅島雄山噴火の改修工事が行われていて港内の状況が随時変更されています。実際の寄港にあたっては、現地の人から情報を入手して、その指示に従ってください。


     坪田漁港は三宅島南東に位置する漁港です。プレジャーボートが三宅島を利用するとき、阿古漁港に入港する場合が多いですが、坪田漁港にもプレジャーボートが(少ないながらも)寄港しています。

     海図W51「伊豆諸島」、電子海図「JP34NC9C」、PEC「東京湾とその付近」に坪田漁港が記載されていますが、海岸線や岸壁の描画精度は高くありません。港内や周辺の詳細は「プレジャーボート・小型船用 港湾案内 南方諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)」や舵社が発行している「ハーバーガイドブック第1集 三浦半島・伊豆諸島編」に紹介されています(Webで「プレジャーボート・小型船用 港湾案内 南方諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)」を参照する方法はこちらを参照)。ただし、坪田漁港では噴火で受けた被害を改修する工事が行われていて、港内の状況がこれらの記述と一部異なっています。

     下の画像は坪田漁港白灯台を2海里沖から磁方位330度にみたときの景観です。白灯台の右側に港口があります。港の東側(画像右より)はサーフポイントになっていて港口付近までサーファーが遊弋しているので、出入港時には水面の見張りを厳重に行ってください。


    坪田漁港白灯台を2海里沖から磁方位330度にみたときの景観


    上の画像から港口に接近したときの景観


    港口から港奥を見る

     入港すると港は右(東側)と左(西側)に分かれています。2005年9月の時点で東側の改修工事が行われていて港の岸壁の状況は港湾案内などの説明から変わっていました。また、西側の港は噴火の影響で岸壁が沈下したため、ヨットはごく限られた場所にしか係留できません。「阿武隈」は入港初日に東側港内にある突堤西側に槍付けで係留し、次の日は西側岸壁に移動して横付けしました。

     東側岸壁ではアンカーの効きはあまりよくないようです(阿武隈は7.5キロのブルースを使いましたが、未明に吹いたブローで走錨しました)。陸側にある北岸壁と東岸壁は地元の漁船が使っていたので、外来艇は係留しないほうがいいでしょう。

     西側の船溜まりでは、満潮時にほとんどの岸壁が水に浸かります。奥にあるスロープ手前の海側岸壁に26フィートヨットが1隻係留できます。なお、「阿武隈」がここに係留したとき、海はそれほど荒れていませんでしたが、防波堤に押し寄せた波が頭上からスプレーとなって降り注いできました。

     改修工事(おもに沈んだ岸壁のかさ上げ)を行っている岸壁は係留できません。この点、とくに注意してください。


    寄港初日に係留した東側港内の突堤。このとき、突堤の東側(画面右側)は工事中で係留できなかった


    寄港2日めに係留した西側港内のスロープ手前の沖側岸壁。これ以外の場所は岸壁が低すぎて係留に適さない




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    (ここで掲載した情報は参考資料であって、航海の安全を保障するものではありません。各自が入港する場合は正式な海図に基づいて操船してください。この情報を基に事故や損失が発生しても当方は一切の責任を負いません)

    南風をジェノアで帆走

    3月21日祝日 晴れ 南西の風5メートル(剣崎灯台観測値)

     ようやく港にいける。それでも出発は1030と遅れた。1300、上船。予報では午前中に北東からやや強い風が吹いて午後から落ちることになっていた。港に着いたら風はほとんどなかった。ああああ、間にあわなかった。


    港に着いたら大潮の干潮だった

    水深が浅いので海底に這わせてあるアンカーロープがよく分かる


     それでも海に出たい。帆走したい。ヘッドセールにめったに使わないジェノアをセットした(ファーラーもブームカバーもない「阿武隈」では、出港のたびにヘッドセールとメインセールを船内から出して艤装し帰港のたびに解装して船内に収納している)。艤装が終わったころ、南からやわらかい風が吹いてきた。ギャレーで買ってきた鶏モモ肉とブロッコリー、それからパックご飯を鍋にぶち込み塩コショウで煮る。お湯を沸かしてテルモスに詰めて1340、出港。


    昼飯は鶏肉とブロッコリー入り雑炊。見ためも手間も「ヨット」のイメージからかけ離れている

     港を出てフェンダーやもやいを片付けながら進むと前方に「godspade」が遊弋していた。いつも釣りを楽しんでいるYAHAMA25 IIだ。そのスターンをかわしてセールをホイストする。南からの風が徐々に上がってきた。左舷後方を振り返ると「Macca」(YAHAMA 25 Mylady LTD)が帆走で追いついてきた。しばし、剣崎灯台沖を目指して併走する。



    「godspade」はゆったり釣りを楽しんでいた

    「Macca」は巧みな操船で「阿武隈」を追い抜いていった

     「Macca」と分かれてタック。西南西に向かい、ちょうど出来上がった雑炊の鍋を抱えながら城ヶ島の南岸沖を進む。南風がどんどん上がってくる。ジブシートを留めたクリートやジブレールがギシギシと唸り、ブローがくるとヒールは20度を越す。GPSが示す対地速度は6ノットを超えた。1500、三崎港西口の赤灯台南沖で帰路につく。クローズリーチで南東に進んだあと、クォーターリーで北東に向かいMMFの港口に到達した。


    ポートタックのクローズリーチで城ヶ島沖を西進


    スタボータックのクォーターリーで東進

     1630、夕暮れ前に帰港して夕暮れの中で解装。甲板に寝そべり紅茶で一服して、1800、下船。久しぶりに気持ちのいい帆走ができたおかげで、その後に遭遇したトラブルもさほど気にせず家に帰ることができた。


    港から帰るときは大潮の満潮だった

    モトラのタイヤがパンクした(現在)

     モトラのフロントタイヤを交換する回想話を書いた翌日(2007年3月21日)。そのモトラに乗って港(MMF)にいった。途中、チェーンが外れるトラブルがあったけれど、なんとか港に着いて海に出る。日没前に海から戻り、夕暮れの中をモトラで帰る。1時間半走って家まであと30分というあたりで、交差点をやや急ぎ気味に右折したとたんに、モトラのお尻が「グニュグニュ」という感じでブレだした。

     以前、先達モトラ乗りのWebページ「アトリエ でろり庵」のモトラコンテンツでパンクしたときの経験談を読んだことがあったが、その文章に書かれていた「グニャっと後輪が横滑り」という表現を思い出して、「おおお、まさにこの感触」と、ちょっと感動した。

     歩道にモトラを停めて後輪を見ると見事につぶれている。ただ、釘が刺さっているとかそういう「外傷」は確認できない。空気を入れれば短時間なら何とかなるかもしれない。が、手持ちに空気入れもなければ修理を依頼できそうなバイク屋も車屋もガソリンスタンドも見当たらない。

     進退窮まった私は「きっと、使うことはないでしょう。はっはっは」と軽く見ていたバイク保険のロードサービスを頼ることにした。24時間対応窓口に電話して、保険証番号を言おうとしたら先週継続契約をしたばかりでまだ新しい証書が届いてないことを思い出したり(このときは、標識番号と個人情報のつき合わせてなんとかなった)、現在位置を都道府県から伝えなさいと対応したお姉さんに怒られたりしながらも、自宅までのピックアップを手配してもらった。

     あとは、搬送車両を待つだけ。「バイク保険のロードサービスだから軽トラックがくるのかな」と思っていた私の前に大きな大きなトレーラーがやってきた。ええ、まさかでしょう。トレーラーの運転手が携帯電話を構えたとたんに自分の携帯電話が鳴り出した。「ロードサービスでっす。指定されたところに来ましたが、お客さまはいまどちらにいらっしゃいますか」

    ……とても親切なおじさんだった。

     車の陸送用トレーラーにモトラを一台だけ乗せて、トレーラーは自宅まで疾走した。10キロ以内の搬送は無料で10キロ超えた分はキロ当たり500円になる。私から2000円を受け取ったおじさんは、片側一車線の細い道で陸送トレーラーを軽やかにUターンさせて帰っていった。

     オリジナルのタイヤ「ブリジストンのレクタングル2」は、MOTO SHOP Mで手配できるとして、気になるのがオリジナルのスチール製から交換した「アルミ」ホイールリムだ。やわらかいだけに歪みとか起きていないだろうか。アルミ製は買うと高い。

    モトラのタイヤを交換する(回想)

     実車を確認して正式にモトラを購入した。そのときのチェックで前後のタイヤとリアのブレーキシューは早急に交換しなければならないことが判明したが、その作業を自分でするか整備士に頼むかは決めていなかった。でも、実車確認の帰り道にバイクメンテナンスの入門書を購入した……が、じっくり読むことなく電車に忘れてきてしまった。しかし、世の中便利なもので、Webページで「モトラ 整備」と検索すれば先達のノウハウが画像入りで知ることができる。それを読んで私も自分でやってみることにした。ヘルメットや自賠責保険、任意保険、陸送費などなどで予算を超過していたという事情もあった。

     メンテナンスに必須のサービスマニュアルとパーツリストはコピーを入手し、タイヤとチューブはオークション業者から、ブレーキシューはモトラのパーツを扱っている「MOTO SHOP M」から調達。また、必須ではないけれど、メインスタンドをモトラの中古パーツを扱っている「アイラブモーター」から調達した。

     モトラが届いた次の週末、早速タイヤの交換に取り掛かる。メインスタンドを取り付けてから前輪を取り外す(メインスタンドを立てるとモトラは前輪が浮く構造になっているため)。フロントアスクルシャフトが意外にもあっさりと抜けて、あっけなく前輪が外れた。あとは、ハブをホイールから外しホイールのボルトを外せばいい。「合わせホイールは簡単だのう」

     しかし。
     
     多くの先達がモトラのタイヤ交換で苦悩した「スチールホイールのサビがタイヤチューブに癒着して剥がれない」状況に私も遭遇した。どうにもこうにもタイヤがホイールから外れない。格闘すること4時間。私はオークションでアルミホイール×2を落札していた。計2万円なり。

    若郷漁港(2005年9月18日寄航)

     若郷漁港は新島の北西に位置する漁港です。海図W51「伊豆諸島」、または電子海図「JP34NC9C」には記載されていませんが、PECには航路標識と漁港シンボルが記載されています。漁港の詳しい情報は日本水路協会が発行している「プレジャーボート・小型船用 港湾案内 南方諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)」や舵社が発行している「ハーバーガイドブック第1集 三浦半島・伊豆諸島編」に紹介されています。

     「プレジャーボート・小型船用 港湾案内 南方諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)」は日本財団のWebサイトでも閲覧できます。Googleで「日本財団」「港湾案内」「若郷漁港」と検索すると上位に「日本財団図書館(電子図書館) プレジャーボート・小型船用 港湾案内 ...」がリストされます。そのリンクから上記ドキュメントの目次にアクセスできるので、そこから若郷漁港について記載されているページへのリンクを選択します。

     なお、「プレジャーボート・小型船用 港湾案内 南方諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)」は1996年に、「ハーバーガイドブック第1集 三浦半島・伊豆諸島編」は1994年に編纂されており、現在の若郷漁港の状況は一部変更されています。顕著な変更は沖側の防波堤で、港湾案内の平面図の状況から北東方向に防波堤が延長されています。先端の灯台(YLt)の位置も北東側に変更されているものと思われます。

     下の画像は新島北端の根浮岬西側沖で海抜400メートル山頂付近に立っているアンテナ塔を磁方位144度に見る海域から撮影した若郷漁港方向の景観です。中央にクレーンが見えるあたりが漁港になります。入港口はその左側(北側)に開いています。


    画像右に見えるアンテナ塔を磁方位144度に見る位置で若郷漁港を2005年9月18日に撮影。陸地の左端は根浮岬。中央にクレーンが見えるあたりが若郷漁港になる


    若郷漁港付近をアップで撮影

     入港するときは防波堤先端の黄色い灯台を右に見て進みます。プレジャーボートは入港して左に見える最初の突堤の内側(南側)に係留することになっているようです。突堤には防舷材代わりの古タイヤが用意されています。陸寄りにはこの古タイヤがありませんが、そのあたりの海底に暗岩があるため、船を入れるのは危険です。係留する場所は「岸壁に古タイヤがあるところまで」にしておくのが無難です。


    若郷漁港港口の状況。2005年9月18日の時点で右に見える防波堤は延長工事を行っていた


    若郷漁港に入港したら左に見える突堤の内側(南側)に入る。ここがプレジャーボートが係留できる場所となっている


    プレジャーボートの係留状況。一番右に見えるのが「阿武隈」で、これより陸寄り(画像では右側)には暗岩があるため係留できない

     「阿武隈」は夕方入港して翌日早朝には出港したため、付近の状況はあまり詳しくありません。トイレは港の南奥にある漁港の建物に隣接した建屋にあります。清潔です。港周辺に食堂と商店、入浴施設は確認できませんでした。

     ハーバーガイドでは「西側からの風浪に弱い」という記述がありますが、「阿武隈」が2006年3月に新島港に係留したとき、地元の漁師から「今晩は強い西風が吹き荒れるから若郷に逃げたほうがいい」とアドバイスを受けました。ちなみに、そのまま新島港にとどまった「阿武隈」は西風に翻弄されて岸壁に一晩中船体を打ちつけられたために、甲板にダメージを被ったのでありました。


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    (なお、ここで掲載した情報は参考資料であって、航海の安全を保障するものではありません。各自が入港する場合は正式な海図に基づいて操船してください。この情報を基に事故や損失が発生しても当方は一切の責任を負いません)

    動けない週末

    3月18日 日曜 晴れ 北東の風3メートル(三浦市観測値)

     頭痛がひどくて動けず。土曜日(17日)も疲労で動けず。いやな病気でないといいのだが。来週の週末は旅行で船にいけない。21日は海に出たい。

    落札したモトラを見に行った(回想)

     1年前の米国出張中にモトラを落札した。米国からネット経由で支払まで済ませ、帰国してから実物を確認しに行った。ただでさえ「パーツ取り」としてオークションに出品されていたモトラだ。普通に考えれば「順番が逆でしょう」となる。でも、そのときは「エンジンがきれいだから大丈夫」という“根拠のない自信”があった。駄目ならキャンセル料を払って止めればいいと思っていた。

     埼玉県まで出張って実物を確認する。フェンダーの割れ、キャリアのサビは予想通り。タイヤは前後ともボウズ。リアブレーキは効かない。ライト、ウインカー、ブレーキランプの点灯は確認。肝心のエンジンはキック一発で始動してアイドリングは回転数が低いながらも安定していた。いいでしょう、買います、と話はまとまった。

     その時点で「前後タイヤの交換」「リアブレーキシューの交換」が必要と思われた。整備士に頼むか自分でやるかはまだ決めていなかった。

    家で細細とした雑用を片付けて昼寝する

    3月11日 日曜 雨 東北東の風5メートル(三浦市アメダス観測値)

     家で過ごして洗濯と掃除を片付ける。「土曜日に外出していて出来なかったから」というのは言い訳で、日曜の朝に降っていた雨が港に行こうとする気力を殺いでしまったのは否定できない。自分で立てた誓いは実践すべし。

     自宅がある横浜市の日吉付近は雨が激しかったものの、気象庁の三浦市アメダスのデータ(気象庁ホームページにリンクしています)を見ると、雨は降っておらず風も(海上では5割増しと想定しても)帆走できない強さでない。宮川湾は南に口を開いているので、北よりの風ならば波も高くなく、入港帰港、セールアップセールダウンもそれほど困難ではない(はず)。

     とにかく。港に行ってみないと状況はわからないのだから、港に足を運ぶべし。たとえ海に出れなくても楽しめるのがヨット(セーリングクルーザー)なのだから。

    とはいえ、モトラで雨の中片道60キロを2時間かけて走るのはシンドイのぅ。

    モトラを購入してちょうど1年

    2006年のきょう、私はモトラを購入した。正しくは「落札」した。

    「車体」カテゴリーでは競争が激しいモトラだが、たまたま「パーツ」カテゴリーに“パーツ取り用”として丸々1台出品されていた。外見はサビサビでよれよれだがエンジンはきれいだった。「阿武隈」の初代、そして今の二代目を扱ってきて「エンジンがきれいな乗り物は大丈夫」という信念を持っていたので、(それでも迷いに迷って)入札してしまった。

     競争が激しくなりそうなオークションでは、入札終了直前の「実弾戦」で雌雄を決することが多い。しかし、そのときは入札終了日が米国出張で飛行機に乗っている時間と重なっていたので、ぎりぎりのぎりぎり、タキシングで飛行機が動き出す直前に携帯電話から入札した。それでも、終了寸前のバトルに参加できないので落札は無理だろうとタカをくくっていたが、それから12時間後、宿舎に着いて落札できたことを知った。ほかに入札した者はいなかった。

     それまで、バイクはおろか、車すら興味を持っていなかった人間が初めて購入したバイクが「パーツ取りとしてオークションに出品されていた旧式原付のモトラ」である。製造されてから25年も経っている。生産されたのは1982年のほぼ1年間だけで、生産台数は1万台に届かない。

     バイクを知る人は、私がどういうことになったか容易に想像できるだろう。


    オークションの商品説明で掲載されていたモトラ

    みうら・宮川フィッシャリーナ港口近影

     先日掲載した、みうら宮川フィッシャリーナ(MMF)の情報として、港口近影の画像を追加します(先日掲載した記事にもこの画像は追加します)。



    みうら・宮川フィッシャリーナの入り口を磁方位約30度に見る。2007年3月4日撮影

     この画像は、MMFの入港口を磁方位30度にみた光景です。目視で進入するときの指標は「2本の風車の間に白い棒のように見えるMMF内防波堤がはまったら」ちょうど磁方位20~30度になります。このままMMFの入り口を目指せば入港針路の東側に設置された定置網も、入港航路を示すブイも避けられます。

     先日の記事では、内防波堤に書かれている「港内徐行」の文字列(円形には黄色い長方形に見える)を目標として紹介しましたが、内防波堤本体のほうが識別は容易であると思われます。

    スピードメーターギアをムリヤリ直す

     先日、異音が出ているフロントタイヤのスピードメーターケーブルをグリグリとねじ込んだ。異音は収まったが、今度はスピードメーターの動きが怪しくなってきた。メーターの針が動いたり動かなかったり。オドメータも実際の移動距離より少ない値を示している。

     ということで、スピードメーターギアをチェックするべく、フロントタイヤを外して、ギアが組み込まれているフロントブレーキパネルの奥をのぞいてみると。

    「どわわわわわわわぁぁぁぁぁぁ」

     銀色のスラッジで満ち満ちている。何が削れてしまったのか。スピードメーターギアを取り出してみると、ホイールに食い込むツメの部分が短い。たしか、もう少し長さがあったはず。しかも、スピードギアのリングがツメの位置でひしゃげて潰れている。このツメがタイヤと一緒に回転するホイールの穴に差し込まれてギアが一緒に回転し、その動きを歯車を介してスピードメータケーブルに伝達。それによってスピードメーター針とオドメータが動作する。タイヤの回転を伝達する「穴」にツメが正しく差し込まれていなかったために、スピードメーターが正常に動作しなかったようだ。


    取り外したフロントタイヤと分解したブレーキパネル


    スピードメーターケーブルのリングがツメのところでめり込んでいる

     ツメの部分でめり込んでいるスピードメーターギアのリングをペンチで持ち上げて修復してホイールを組み立てる。タイヤを組み込んでケーブルを接続する前に、ホイールとタイヤの状態で地面を転がし、スピードメータケーブルに回転を伝達する「ピン」が動いていることを確認する。


    ベンチでめり込んだ部分を持ち上げて修復

     フロントフォークにホイールとタイヤを組み込んで、ブレーキケーブル、そしてスピードメーターケーブルをくみ上げて作業終了。 ついでに、スピードメーターケーブルのバルブを取り替える。

     スピードメーターケーブルの組み込みでは、先端の凹状金具が深く入るまでケーブルを回転させること。



    作業が終わったときは暗くなっていた。作業時間は2時間弱

    微風の海をクローズホールドで

    3月4日日曜日 晴れ 南の風2メートル(剣崎灯台実測値)

     1100に家を出発。前回の失態を繰り返さぬように速度を抑えめに走る。途中、腹が空いて空いてたまらず、三浦市と横須賀市の境目にあるコンビニでパンを買って食べる。


    三浦半島は春だった

     1330に上船。風がないので港内で整備と思ったが、港に着いたら南からさわさわと吹いてきた。20分で艤装して1350出航。1420セールアップ。ヘッドセールはNo3でメインセールはフル。ヘッドセールが小さいと思うかもしれないが、シングルでジェノアを揚げるとタックのたびにセールのフットがライフラインに引っかかったり、帰港してからセールをたたむのが面倒だったりと、扱いが面倒なので「阿武隈」ではジェノアをほとんど使っていない。

     南からの微風を受けてクローズホールドで進む。船は這うように進むが、じっと我慢して舵を握っているとだんだん加速がついてくる。船が水面をかき分ける波音の間隔もだんだんと短くなってくる。




    城ヶ島沖も春だった

     1540、城ヶ島の東端南沖に到達したあたりでヘッドセールを下ろし機関始動。機帆走で帰路に就く。1620、MMFに帰港。休み休み解装して1730終了。紅茶と杏仁豆腐(缶詰)で一服して1800下船。船検証と海技免状を持ち帰る。

    備忘録1:先々週下船するときバッテリーのスイッチを切り忘れていた(機関が始動できてよかったっ)。下船時に必ずチェックすること。

    備忘録2 :今週中にMMF係留契約の書類を発送すること。