阿武隈 twitter版

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    食糧と燃料を補給する

    1月3日 水曜 晴れ 無風

     1100、自宅出発。遅い時間だったが道は空いていた。と思いきや、国道1号線と交わる浜松町交差点でにわかに人が増えてきた。前の車がなぜかのろのろと動いていたおかげで、あと1台というところで信号待ちとなる。

     道脇の立て看板を見ると、箱根駅伝のために11時30分から1時間、国道一号線は通行止めになると書いてある。おおっと、そうだった、きょうは復路だ。時計を見ると11時29分。おいおいおいおいおいおい。信号1つ逃したおかげで1時間も足止め食うのか。時計は11時30分を過ぎた。広報車が、まもなく選手が通過することを告げて目の前を走っていく。国道側の信号が方向指示灯に変わった。沿道警備の警官がホイッスルを手にした。ぐあー、もうだめか。迂回しようにも国道一号を越えなければ三浦半島にいけない。

     と、信号が“直進と左折は進め”に変わった。左折車線がいっせいに走り出す、よっしゃー、ラストワンプレイで助かった、と思ったら、先刻のろのろ走っていた前の車が動かない。だぁー、なんなんだー! ああ、偶然手に入れた特等席で駅伝を観戦するつもりか。おじいさん、その気持ち分からないでもないけど、進める信号で止まったままというのはいかがなものでしょうか。こちらとら、先を急ぐので失礼っ、と脇をすり抜けて発進する。その後、おじいさんが、後ろに詰まっていた車列を巻き添えにして箱根駅伝を観戦できたかどうかは分からない。

     1300、MMF着。管理棟はまだ閉まっていたが、ハーバーマスターは漁港にいた。管理棟前の岸壁は釣りを楽しむ家族でうまっている。きょうは、巡航に必要な燃料や清水、食糧の搭載を予定していた。清水の補給は管理棟前の岸壁で行う必要があるが、管理棟が休みなのできょうはできない。釣りはそのまま続けていていいですよ。

     アクティブな船乗りが多いMMFにはめずらしく、船に人影を見なかった。その代わり、ゲストバースが2隻の外来艇でにぎわっていた。

     前回修復したスタンション基部の甲板をチェックする。暗くて手探りで締めたボルトが案の定ゆるゆるだったので、“目で確認しながら”増し締めをする。締め終わってからスタンションをゆすってもビクともしない。明るいところで改めて修復箇所を見ると、その仕上げは強烈に荒いが、自己満足度は高い。

     前日に自宅隣の99円ショップで調達した食糧を船に搭載する。今回用意したのは阿武隈の備蓄食糧となる「1人で1週間無補給航海に耐えうる」+「荒天食」(内訳と定数はこちらを参照のこと)で、調達にかかった費用は約9000円。備蓄場所も、これまでの前部船倉においた“トロ箱”から、船室のセティーバース下のボンクに移した(トロ箱のときは、船の動揺で中身が散乱していた)。ただ、“3食分”だけは、すぐに使えるようにギャレー下の物入れに収納する。

     ポリタンクの軽油を船の燃料タンクに入れる。10リットル入れて燃料タンク満杯になったところでポリタンクも空になった。なんだかんだいっても軽いポリタンクから先に消費するので、スチール缶の軽油が残ってしまう。そこで、スチール缶からポリタンクに軽油を移し、スチール缶に町のガススタンドで軽油を20リットル調達した。ポリタンクとスチール缶に入っている軽油は2006年に予定していた伊豆諸島海域巡航の準備で用意しているので、2年弱かかって30リットルを消費したことになる(ただし、2006年に予定していた巡航は天候の関係で波浮港に寄港したのみだし、2007年は巡航どころか出航すらままならなかったという事情も考慮しなければならない)。

     コックピットロッカーから、この「阿武隈」を購入してからこのかた使っていない「オーニング用骨組みセット」の塩ビ管と式根島で帰る観光客から譲ってもらったタモ網を廃棄する。

     ヘッドセールのハンクスに防錆潤滑油をかける。使っているレギュラージブより、使用頻度の低いジェノア、まったく使っていないストームジブの状態がひどかった。ストームジブは固着したハンクスも多かったので、このままでは緊急を要するイザというときに危険だった。予定では、ヘッドセールのテルテールを張りなおすつもりだったが、余っていたテルテールシールが見つからない。後日調達して作業をすること。

     清水とプロパンガス以外の物資は補給できた。プロパンガスの充填にはいつも手間取る。三崎港周辺では、平日しか店が開いていない。MMFには依頼できないしさすがのモトラでもプロパンのボンベを載せて横浜の自宅まで走るのは気が引ける(法に触れる行為だったはず)。カセットコンロに切り替えるべきか否か。いったん補充できれば、その大容量とコストは魅力的なのだが。

     1800、下船。翌日から海外出張が控えていたので、出航せず、作業項目も減らして早めに引き上げるつもりだったが(予定ではシュラウドのテンションもチェックするはずだった)、結局いつもと同じように暗くなってから船を下りることになった。

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