阿武隈 twitter版

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    式根島巡航Take2--波浮に向かう

     速度3.5ノットで残航程20海里以上。夜の野伏漁港に入るか、日没直前の若郷漁港に入るか、目の前の波浮に入るか。野伏漁港は過去に2回入港したことがあるが、夜間に入港して係留できるほどの自信はない。若郷漁港は横付けになるのでそれほど困難ではないが、日没後の入港は避けたい。やはり、この海況において伊豆大島を越えて南下するのはリスクが高い。1200、目的港を波浮に変更する。午後になって霧がとても濃くなってきた。視界は100メートルを切っているかもしれない。気休めかもしれないが、航海灯を点けてフォグホーンを鳴らす。

     あれ、霧中航海時の発音間隔はどうなっていたっけ? とにかく、1分間隔で10秒程度鳴らす。(正解:視界制限状態における音響信号=エンジンで航行中は2分を超えない間隔で長音を1回。帆走中は2分を超えない間隔で、長音1回に引き続く短音2回)


    う、ちょっとこれはまずい。視界は100メートルを切っている

     1430、GPSは波浮港が目前であるといっているのに、周囲は何も見えない。気配すら感じない。ほどなく、海と霧の境目に白い波がかすかに見えた。海岸線だ。と、次の瞬間、波浮港入口の西岸にある灯台がいきなり現れた。びっくりした。おもわず声を上げた。


    あ、白く波立っている。海岸線だ


    と思っていたら、ぬおぉぉっ、と灯台が現れた!

     1500、波浮入港。奥の岸壁は、木更津から来た大型パワーボートの十数隻が集団で占拠している。そのほか、神奈川の大型パワーボートとYAMAHA 28Sが、やはり横付けて泊まっていて「阿武隈」を泊める場所はない。漁協脇の西側岸壁も本船が係留していて使えない。やむを得ず、漁港前岸壁の一番外側につける。


    連休でもないのに、梅雨も明けていないのに、奥の岸壁は“横付け”のパワーボートとセールボートで埋まっていた


    しかも、漁協脇の岸壁は本船で埋まっている。「阿武隈」は漁協前岸壁の西端に係留した

     船を固定してセールを束ね、甲板を片付けてトイレ。その帰りに本州巡航中のYAMAHA 28Sに声をかける。船長がキャビンに招いてくれてコーヒーをふるまってくれた。航海中、とくに港の係留するときの話を聞く。1600、「阿武隈」に戻って機関室のビルジを取り除く。10リットルバケツ一杯分と量がかなり多い。スクリューを回しながら調べるとスタンチューブの漏水ペースが速かったのでグランドパッキンを増し締めする。給油も行う。軽油の残りはポリタンクの10リットルとなった。


    うっ、これはひどい。10時間の機走でビルジがこんなに溜まった

     係船した漁協前西端は突堤になっているので南からの風が強く吹き付けてくる。1700、その風を避けるため岸壁中央にシフトする。その作業中に漁協の人から、夜に船が入ってくるのでもっと端に寄せるように指示を受ける。本船船首のすぐそばまで寄せる。1800終了。食事をとろうとしたら、漁船の船長がきて、そこでは潮が岸壁を越えてしまうから、別な岸壁に止めてある漁船に横付けするように指示を受ける。その漁船の船長には電話で連絡を入れておくとのこと。離岸してフェンダーともやいを右舷から左舷に移して指定された漁船に横付けする。船長が甲板で作業を手伝ってくれた。1830作業終了。夕食。日誌をつけて2100に就寝。波浮についてから忙しかった。風呂にも入れなかったよ。


    南の風が強くなってきたので、本船の船首“真下”に係留場所をシフト。しかし、その後、地元漁船の船長にお世話していただいた漁船に横抱きさせてもらった


    入港後、濃霧で閉ざされた波浮港。地元の人も「こんなにひどいのは初めて」といっていた



    入港したのは土曜日。地元の高校生がカッター漕練を行っていた

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