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    米空母を求めて帆走する

    12月12日 日曜 晴れ 北北東の風 風力6(阿武隈独自基準)

    早く起きたのに不覚にも二度寝。再度起きて食器洗いと洗濯干しをこなして11時。さてどうしようか。とにもかくにも港に行こう。

    モトラを駈って三浦半島に急ぐ。行楽移動のピークを過ぎたのか渋滞知らずで三浦半島南端に到達。高台から海を見下ろすと城ヶ島の遥か南西沖にニミッツ級航空母艦が見える。東に向かってゆったりと航行している。むお!いまから出撃すれば迎撃できるか?

    急いでMMFに向かい1330「阿武隈」上船。緊急艤装を進めるも1415出港。1430、レギュラージブとワンポイントリーフのメインをあげて北北東の風を受けて南下する。

    海上からは米空母が見えない。きょうに限って、AIS が使えるPCがバッテリー切れで使えない。すでに東京湾へ入ってしまったか。その東京湾から客船が接近してくる。ふじ丸かにっぽん丸か。残念ながら客船に疎い私には分からない。

    下手に回して西に向かう客船と並航する。そのさき、遥か遠くに米空母の細長いシルエットを発見した。転針するのかときおり艦影を変えながら遥か南を東に進む。そのシルエットがすでに高度を低くした太陽の光を反射する海面を横切った1530、「阿武隈」を反転させて港に向かう。

    薄雲を透かしてだるまのように二段に膨らむ夕日を背に詰め開きで帆走する。頭から波を被る状況だったが、5ノット前後と思いのほか速度が出ず。1630、日没。両色灯と船尾灯を着ける。同時に剱埼灯台が、ついで安房埼灯台、そして、やや遅れて城ヶ島の灯台が光り始める。

    そのままMMFに「阿武隈」を進め、風上にたって舫とフェンダーを準備し、セイルを降ろす。と、このときまったく同じ型の漁船が、阿武隈を挟んできれいな横列を組んで反航してきた。いかん、網に捕まるかもしれない!操業中を示す形象物も燈火も掲げていないが緊張して漁船がすれちがうのをなすすべもなく待つ。が、幸い何も起こらなかった。

    そのまま、MMF港口にすすむ。船外機の無蓋漁船多数が遊弋している。かなり接近しないと視認できず。夜間航海時に注意すべし。

    1700、MMF帰港。すぐ解装にかかるが、なぜか手間取り時間がかかる。空腹に耐えられずパイン缶を1つ消費。1830、下船。「阿武隈」の舳に三日月が架かっていた。

    船に泊まって風邪をひく

    11月27日 土曜 晴れ 南西の風 風力7メートル(剱埼灯台観測値)
    今度の週末は半月だ。GPVの予想を見ると日が落ちてから夜半過ぎまでいい風が吹くという。ただ、夜半過ぎると一気に風が上がってくるようだ。よっし、moon night sailingだ。
    しかし、土曜日の出立が遅れてしまい、MMFにつくのが日没後になる見込みに。日が沈む前に出港して日没は海の上で迎えたかった。夜の海に出ていくのはいまだに怖い。が、しかたがない。
    1900、「阿武隈」上船。あれ、月が出ていないな。潮汐を調べたら月が昇るのは22時過ぎ。いっけなーい。上弦と下弦を勘違いしていた!真っ暗な海に出ていくのはいやじゃのー。とはいえ、月が出る22時から出たんでは吹き上がる強風のなかでセイルを降ろすことになる。これも避けたい。風はちょうどいいんだがなあ。と、逡巡したあげくあきらめる。強風が吹く可能性があるなら夜が明けてから出港しよう。翌朝に備えて2100消灯。
    0300、寒さに目が覚める。甲板に出ると月光に照らされて辺りが青白く輝いていた。が、西風も唸りをあげて吹きまくっている。0430、予定していた起床時間になったが風はますます募ってきた。MICSは、剱埼灯台観測値を南西16メートルと報じている。これは無理だ。出港をあきらめて夜が明けてから解装する。
    そのまま、11時過ぎまでごろりとすごし、宮川町からバスに乗って帰った。結局、11月は一度も出港せず。体を冷やしいたせいか家についたら急に咳止まらなくなり二日ほど寝込んだ。

    船に泊まって出港せず

    11月20日 土曜 晴れ後曇り 北東の風5メートル(剱埼灯台観測値)

    月曜日に代休をとって4連休にできた。さて、どこに行こうか。食料と燃料と清水は三宅島巡航で用意した分がまだ残っている。

    問題は天気だ。土曜日と月曜日の雨はいいとして、火曜日に低気圧が通過して時化る予報になっている。その一方で月曜日は風が吹かないという。まずは大島、条件がよければ新島までいって、月曜日に戻る感じか。

    しかし、金曜の夜に職場から港に直行できず、さらに朝方まで眠れなかったのが失敗だった。土曜日起きたのは昼過ぎ。夕方に自宅を出たものの、乗り継ぎがうまくいかず「阿武隈」に上船できたのは22時に近くなっていた。ちょうどいい北東の風が吹き満月が海を明るく照らしていたので夜間航海にはちょうどいい条件だったが、疲労甚だしく出港を断念。

    翌朝、薄明出港を目指して消灯するも、起きられたのは0830。十分な時間寝ているはずなのに頭のもやがはれない。手先が決まらず足元がふらつき目の焦点が定まらない。なんと、音声通話用の携帯電話も忘れていた。これでもう巡航する気力がなくなってしまった。

    解装してオートパイロット配線の修理に手をつけるが電流電圧計がバッテリー切れで作業が進まず中断。エンドがほつれたリーフ用ロープとバウスプリングの端処理をして、1330、下船する。


    船で寝て過ごす

    11月14日 日曜 曇り 北東の風2メートル(剱埼灯台観測値)

    土曜にチェックしたGPV予想で、無風と思っていた日曜に、ほどよい南西の風が吹くという。んん、期待と共に電車バスでMMFにむかう。しかし、そのほどよい風は午前中で止んでしまった。

    1230、「阿武隈」上船。何をするでもなく、クォーターバースで寝てしまう。1500、寒くて目が覚める。そのままぼぅと過ごして、なにもせぬまま、1600、下船する。ちょうど風車が回り始めた。曇ったままで風が冷たい。

    モトラで134号を走る

    11月7日 日曜 晴れ 風弱く

    久しぶりにモトラで出撃する。テールランプが直っていないので、日没前に自宅に着かないといけない。逆算すると1430がMMFを出るタイムリミットになる。

    1130、「阿武隈」上船。荒天準備で降ろしたブームを戻し、二重にした舫もシングルに戻す。

    荒天準備を解装して、機走で三崎港を巡ろうかとも思ったが、エンジンを響かせて船を進める気にもなれず、そのまま船で食事を作り食べて寝て過ごした。1400、下船。

    帰りは、池代から衣笠を経て逸見で16号に抜けるいつもの道ではなく、134号の海沿いを走って16号に出る道をモトラで走った。うん。次からはいつもの道で帰ろう。

    10月の最後は荒天準備

    10月30日 土曜 雨 北東の風9メートル(剣埼灯台観測値)

    台風14号がやってくる。予報は関東上陸の可能性を示しつつ、週末が近づくにつれて伊豆諸島を通過するコースにシフトした。

    台風が南を通過するなら風は北寄りになる。MMFは北側を高台に守られているので北風に強い。しかし、コースがずれて関東上陸となれば南から風は吹く。その可能性は低いようだが備えるに越したことはない。土曜日の朝になったら港に行き、風が吹き上がる前に荒天対策を済ませよう。

    0930、「阿武隈」上船。普段使いのもやいの上に、巡航用の20メートル係船索でスターンから一筆書きのようにスプリング、バウラインをひく。船側のクリートが小さいので、増しもやいの固定に苦労する。次いでブームを下ろし、メインシートで縛って固定する。ブームキッカーはバングのシートを使ってブームに固定した。

    作業は30分で終了。雨が強くなっていたが風はそれほどでもない。しばらくキャビンで休んで、1130、下船。朝は多くのメンバーが MMFにやってきて各々荒天準備作業にいそしんでいたが、ほとんどが引き上げていた。

    残っていたのは「みらい」「Snow Light」「off」という実に濃厚な船長たちだった。「これから(あるものを使って)飯炊きの実験をするんだ。へっへっへ」と盛り上がる「MMFのヌシ!」を管理棟に残し、私は宮川から脱出した。

    物資搭載

    10月3日晴れ 北東の風

    「阿武隈」に食糧と被服、燃料を搭載する。目安は「無補給で一週間程度の単独巡航を継続できること」。食糧は自宅となりの99円ショップで常温保存ができるものを調達。被服類は自分の使い古しを土曜日に用意する。

    日曜、モトラに積載して0900出撃。船に費用をほとんど消費するため、荷物の運搬手段は原付のモトラが唯一になる。30分違うだけで渋滞に会わずにすむ。


    1130、MMF到着。「阿武隈」に物資を搭載。今回用意した物資は以下の通り。

    パックご飯3+27
    缶詰鶏4+コンビーフ2+魚6
    レトルトカレー6+丼8+シチュー+4
    ミソスープミソ12+すーぷ9+既存スープ9
    果物缶8
    野菜ジュース1リットルx5
    水2リットルx3
    インスタントラーメンx5


    化繊アンダー上下(航海用)1+2
    化繊長袖アンダー上下(航海用)---x1
    フリース長袖上下(船内着)---x1
    通常長袖上下(船内兼上陸)---x3
    通常半袖上下x1
    フリースアウター(通常上陸着兼用)---x1
    靴下予備x6
    下着上x6
    バスタオルx3

    次いで燃料を調達。ガススタンドでポリタンクを調達し軽油を20リットル購入。これで、船内タンク20リットルとすでにあるポリタンクの残り10リットル合計50リットル。北部伊豆諸島を巡る分はまかなえるだろう。

    機関室のビルジを処分。冷却水ポンプから漏れる海水が潤滑油管にかかるので、ペットボトルを加工してカバーにする。

    1500、下船。三浦海岸で遅い昼食をとり、そのまま海岸沿いの道をモトラで走った。

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    第二次保田沖海戦

    保田沖海戦の興奮冷めやらぬ8月末、湾マリ水軍より電文あり。

    「ワレ、9月19日に、保田沖に出現セントス」

    これを迎撃して前回の汚名をすすぐべく、三浦水軍と「阿武隈」で戦ったゲストを召集する、が、“三連休の中日”という絶妙なタイミングゆえ、阿武隈の“若い“ゲストはすでに予定が埋まり、三浦水軍の各艇も整備やレースで動きが取れない。

    結局、19日の朝の時点で稼動可能な三浦水軍は「阿武隈」一隻のみ。乗組員も私と「Pricess Bay II」船長の二人だけだった。しかし、Twitterに流れる「湾マリ水軍これより出撃」「東京湾を順調に南下中」の行動報告を聞きながら、ギャレーで作った“塩辛い豚ステーキ”で英気を養い意気軒昂。さらに、いよいよ出撃となったころあいに、仕事が忙しく参加困難といっていた「阿武隈」ゲストから「港に向かって移動中。まもなく到着予定」と入電。やった、砲手が規定の2名になった。これで互角に戦える。

    ゲストの到着を待って1245出撃。程よい南の風を受けて、ゼノアとフルメインの帆走で進撃する。1400、保田沖に到達。今回湾マリ水軍はアルバトロッサー26の「kamekichi 」で戦うと伝えてきた。船体の色は紺。そして、大漁旗を掲げているという。しかし、あたりに「kamekichi」らしき船影は見当たらない。あの船がそうじゃないか、いや違うようだ、と索敵を続けること30分、11時の方向に大きなパイロットハウスを載せた「kamekichi」を発見。阿武隈もゼノアを降ろし、水鉄砲を装填して砲手が配置について戦闘準備を整える。

    相手はソレイユルボンと同じクルージング艇だが、ベテランの湾マリ水軍ゆえそうそう風上は取れないだろう。そこで、水流が風に押し戻されて射程距離が稼げない風下の不利を少しでも克服するべく、砲手は戦闘舷の中甲板舷側に陣取り少しでも敵艦に近寄る。そして、最も勢いのある“初弾”をいかすため、敵が先制して撃ってきても耐え忍び、敵の砲手が正横にきた瞬間に初弾をぶち込む作戦を取る。「阿武隈」も砲戦距離を詰めるため、ぎりぎりまで敵艦に近づけるつもりだ。

    互いに声が届く距離まで近づき、船を風にたてて挨拶を交わし、それぞれ左右に分かれて海戦が始まった。距離をおいてからほぼ同時にタックを交わし、両船は互いの風上を取るべくクローズホールドで接近する、が、やはり、「kamekichi 」が風上をとって阿武隈の左舷前方から迫ってきた。「阿武隈」も「kamekichi 」に肉薄すべく、右舷舷側を目指して突撃する。

    「左舷砲戦用意!」で阿武隈の砲手を務めるゲストとPrincessBayII船長が配置につき、「圧縮開始、撃ち方用意!」で敵に照準を合わせる。しかし、この段階で射程が長い「kamekichi 」が先制して撃ってきた。水流が次々と命中するが、阿武隈は耐え忍ぶ。ほどなく、「kamekichi」が正横をすれ違い、手を伸ばせば敵の水鉄砲を奪えるほどに接近した。「てぇーっ!」ブッシューと噴出音を立てて満を持した阿武隈の初弾が「kamekichi」の砲手に命中する。

    「やったー!今度はやられるだけじゃないぞおおお」と凱歌を挙げたいところだが、前回、すれちがっても漫然と直進する「阿武隈」がすれ違い直後に風上を取るべく機動した「SIESTA」に翻弄された過ちを繰り返さぬよう、すぐさま「kamekich」iの船尾目指して転舵する。当然、「kamekichi」も「阿武隈」の後ろをとろうとして回り始める。

    互いに敵の風上をとろうとして激しく回り始めたが、風上に回った「阿武隈」は失速してしまう。やはり、湾マリ水軍は一枚上手だ。下手回しで減速することなく回頭した「kamekichi」は再び阿武隈の風上から迫ってくる。こうなったら、また接近して初弾を撃ち込むのみ。かくして、前回にも増して激しい撃ち合いと風上を奪うギリギリの操船が繰り広げられた。

    ほんのわずかだが、「阿武隈」が風上を奪う局面もあった。その、何回目かに「阿武隈」が風上をとって接近したとき、コックピットで操船していた湾マリ水軍司令官が怪しげな動きをみせる。激しく撃ち合ってすれちがう直前、 「kamekichi」のコックピットから滝のような“放水”が撃ち込まれた。「ぐああああ!」アルバトロッサー26に搭載された秘密兵器「加圧ポンプ」がベールを脱いだ瞬間だ。

    その破壊的な威力に「阿武隈」は水鉄砲で挑むしかない。「目標は砲手にあらず!コックピットの湾マリ水軍司令官!」 なぜか、「kamekichi」の砲手たちから歓声が上がる。 「kamekichi」の水流をかいくぐって、湾マリ水軍の司令官に水鉄砲を叩き込む、と同時に「kamekichi」のバケツのような放水も頭から浴びた。

    ここで、タイムアップ。第二次保田沖海戦は終わった。 浴びた水流は「阿武隈」側が圧倒的に多かった負け戦だが、それでも、「kamekichi」に一矢を報いることはできたのではないかという、満足感が「阿武隈」の戦士たちを包む。

    保田漁港に入港する「kamekichi」と別れ、再びゼノアを揚げた「阿武隈」は、南の風を受けて快適な帆走を楽しみつつ、それでも危うく江奈沖の定置網に捕まりそうになりながら、1700、MMFに帰港。みんなに手づだってもらい解装後、船に泊まるという 「PrincessBayII」船長と分かれて三浦海岸の食堂で共に戦ったゲストと海鮮で腹を満たし、バイクで帰るゲストと別れて一人京急で帰宅した。

    共に戦ってくれた 「PrincessBayII」 船長と阿武隈ゲスト、お付き合いありがとうございました。湾マリ水軍「kamekichi」の皆さん、一緒に遊んでいただきましてありがとうございます。また仲良く喧嘩しましょー。

    Note: 「阿武隈」上架

    9月4日土曜 晴れ 南の風5メートル(剱埼灯台観測値)

    阿武隈を上架することになった。8月21日の保田沖海戦に向かう機帆走から速度が出ないと感じていた。そして、その後の出港入港で船の制御が利かなくなり、これはいよいよダメと判断。船底がさほど汚れていないようなので惜しいところだが、狭い港で船が操れずに迷惑をかけるわけにもいかない。

    金曜日に油壺造船所へ連絡を入れると、ちょうど週末に船台が空いていると言う。予約を入れて土曜日の朝に回航する。土曜日、1130上船。機走で向かうのでそのまま出港する。

    三崎港をぬけて相模湾にはいり、岩礁と灯台を遠回りして諸磯に入る。1210油壺造船所到着。テンダーで待っていたスタッフが上船して海に沈めた船台まで操船。船台にのせたところで下船した。あとは、ウインチで引き上げられる阿武隈を見守るだけだ。

    上がってきた阿武隈の船底は喫水とキールの一部に貝が付着するだけできれいだったが、スクリューが団子になっていた。船底は走らせておけばきれいなままだが、スクリューはどうしようもないのか。6月7月に出港できなかったためか、海水温が高いためか、両方か。

    1300、油壺造船所をあとにして徒歩でバス停に向かう。あちらこちら歩いて帰るつもりが、暑さに負ける。バス通りに出て右にいくか左にいくか迷う。左にいったが、途中の食事処は高くて手が出ず。そのまま、バス停から三崎口に向かい、あすなろで定番のサンマーメンをたべる。次は右に曲がってシーボニアバス停近くにあった店でハンバーグを食べよう。

    火曜日に作業が終了してMMFに回航したと連絡あり。低回転時の水温警告音が鳴らなくなったとのこと。水量減少も原因のひとつだったか。

    夏の三浦半島西岸を帆走する

    8月29日 日曜 晴れ 南西の風 風力4ないし5(阿武独自基準)

    1130「阿武隈」上船、1225出港。スクリューがいよいよダメ。付着物がついて推進力が出ないのにプロペラ反流はしっかりかかる。後進で船を出すときに船尾が振られてぶつかりそうになる。


    MMFを出てすぐにセイルを揚げる。ジブとフルメインの組み合わせ。日差しは強いが空には巻雲がたなびく。春から夏にかけてもやに隠れる大島も積雲を背負ってくっきりと見える。秋の空気に入れ替わろうとしている。

    南西の風がしっかり吹いているが、南西から押し寄せる波もしっかりしていてスピードが思うように出ない。波に揺さぶられながら西に向かう。

    きょうは8月最後の日曜だ。夏といえば湘南、ということで、普段はいかない三浦半島西岸を行けるところまで北上する。

    1430に小網代の紅白ブイを東に見る。うーん、そろそろ戻るべき頃合いだが、もう少し先に進みたい。1500に佐島沖に到達して反転。戻りの帆走はクローズホールド。右舷開きで南東に向かうとぐんぐん進むが、左舷開きで南西に向かうとじりじりと進まない。波のせいか、潮のせいか、マストのチューニングがあっていないせいか。

    安房埼灯台の岩礁をかわし、港入り口東側に広がる定置網を避け、ジブを降ろしもやいとフェンダーをセットし、エンジンをかけてメインを降ろして1730に帰港。派手すぎる夕焼けで港のすべてが橙色に染まるなかを解装。

    30分足を伸ばした結果、帰港が予定よりきっかり1時間遅れた。三崎口に向かう道路は城ヶ島大橋から混んでいるのが海からも見え、三浦海岸に向かうバスは19時までない。家族と約束した時間より帰るのが遅くなる。いかんなー、こりゃ怒られるわい、と帰宅途中の京急快特で書いている。

    戦いすんで日は暮れて

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力3(阿武隈独自基準)

    たぶん、日本で初めてと思われる“ヨット同士による戦い”となった保田沖海戦が終わった。勝者の「SIESTA」の後に続いて敗者の「阿武隈」は保田漁港を目指す。それは、帆船時代の海戦で拿捕された戦列艦の姿に似てなくもない。しかし、勝者は敗者に優しかった。港内は東京湾レースの参加艇でごった返しているのに、レーススタッフは、敗者の「阿武隈」にも親切ていねいに係留場所を誘導してくれた。係留場所は、「風雅」「SIESTA」に連なる外側。

    実を言うと、ほかの船に横着けするのが久しぶりな「阿武隈」は、かなり緊張しつつ、「SIESTA」に“接岸”、「風雅」と「SIESTA」という、大先輩の支援と指示を受けて、1400に係留作業を終えた。

    本当ならば、「SIESTA」のメンバーと戦いを終えた祝杯を挙げたいところだったが、日帰りの「阿武隈」は、一足先に番屋で食事をすることにした。「SIESTA」「風雅」とあいさつしながらゲストともに下船。ほんっっっっとに久しぶりに番屋を訪れたが、いつの間にか、食事をする建屋が増えていて、ほとんど待つことなく、入港手続きをしている間に席に通された。ゲストとともに、“鯵のなめろう”や“朝獲寿司”で1時間ほど食事。今回、「阿武隈」で戦ってくれたゲストは「“海戦ごっこ”のあとは安くておいしい海鮮!」といって勧誘していたので、なんとか約束を果たすことができた。その後は各自で自由行動。1630に「風雅」「SIESTA」のメンバーの見送りを受けて保田漁港を出港する。

    帰りの航海は、南の風がほどよく吹いていた。ゼノアとフルメインでアビームという絶好の条件で帆走する。行く手の空は茜に染まり、黄金色の空と海の中を夕焼けに向かって航行する。その左側には一番星の金星がギラリと光り、振り返るとまもなく望を迎える月が輝きを増している。

    東京湾を横断して剣埼灯台を正横に見る頃合になると、前方で日が沈み、背後から夜空が追いかけてくる。月の輝きで海面には銀色の道ができていた。「ここで、剣埼灯台が点灯したら最高なんだけどね」とゲストに話していた直後、なんと、目の前で剣埼灯台が光りだした。白、白、緑という特徴ある灯質をゲストに見せることできた。なんというか、「これって出来すぎ」と思ってしまうほどに、最高な夏の帆走だった。

    が、やっぱり私はヒーローになれなかった。
    ゲストの1人が「なんか丸い物が繋がって浮かんでいますよ」と行く手を指差した。のあーっ!三崎港東海域名物「南に出っ張った定置網」じゃー!

    ゲストの手前、平然と、しかし、内心は飛び上がらんばかりに動揺しつつ、(前甲板にゲストがいるにもかかわらず)急転舵してタック。定置網をかわして再度タック。なんとか、無事にMMFの港入り口まで到達した。

    後は、係船索をセットして風上に船を立ててヘッドセイルとメインセイルをおろす。

    が!「なんか、また丸い物が浮いていますよ」

    予想以上に船のスピードが出ていて、MMF港口東側に広がる定置網に突っ込みそうになった。セイルを降ろしているから、もう帆走できない。急いで機関中立。行き足が残っているうちに針路反転。なんとか、無事にブイをかわしてMMFに向かう。機走でスピードが出ない。4ノット程度。スクリューの付着物がかなり増えたか。巡航前に船を上げないとだめか。1930にMMF帰港。

    帰宅するゲストを見送った後、疲労困憊でそのまま寝てしまった。南の風がどんどん上がったせいか、蚊がぜんぜんいなかったのに、船内が暑くてよく眠れず。翌日、時間をかけて、休み休み、ゆっくりのったりと船を解装。1200に下船。管理棟でしばし雑談。「Starting Over」のメンバーに車でYRP野比まで送っていただいた。疲れきっていたので、本当に助かりました。ありがとうございました。

    保田沖海戦3~「阿武隈」苦戦す

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力2(阿武隈独自基準)


    (twitterが発端の「海戦ごっこ」が保田沖で勃発! 湾マリ水軍「SIESTA」と三浦水軍「阿武隈」は、ついに砲門を開いた!風上をとられた「阿武隈」に勝機はあるのか?)

    お互いがすれ違って、いったん砲撃が止む。「阿武隈」は風上を取るべくを船を回すが相変わらず風に立たない。そのままノタノタと直進する。だが、「SIESTA」はすれ違った直後にすばやくタックを返し、「阿武隈」の風上側から追い抜きざまに撃ってくる。「阿武隈」も反撃するが風下で水流が「SIESTA」に届かない。

    すばやくタックして阿武隈の左舷後方から迫る「SIESTA」
    くっそー、敵ながら、かっこいいぜ
    水鉄砲の射程は6~8メートル。しかし、風の影響を受けるため……
    風下の船が有効弾を叩き込むには、これぐらい接近しなければならない

    「ヒェー、冷たいぃぃぃっ」

    「SIESTA」は、氷で冷やした水を水鉄砲に装填していた。「キンキンに冷やした水流で敵を飛び上がらせよう」という魂胆だったらしいが、暑い中、微風の東京湾を横断してきた寝不足気味の「阿武隈」乗員は「冷たくてきもちえええええ」とかえって喜んでいたのは不幸中の幸い。

    戦いは、風上を奪えない「阿武隈」が軽快に舞う「SIESTA」に翻弄されまくる一方的な展開になった。マストヘッドリグでメインセイルが小さいためスピードが出ず、風にも立てない「阿武隈」の帆走能力以上に、ミート直後に機敏に操船できない船長兼操舵手(それは私)の未熟さが敗因であるのは、「ヨットが初めて」という「阿武隈」のゲストにも明らかだった。


    航過後すぐに回頭動作にかかる「SIESTA」と。漫然と進む「阿武隈」との違いは、帆走性能以上に勝敗に影響した

    戦いも中盤を過ぎると、動きのとれない「阿武隈」に同情したのか、「SIESTA」は風下から接近してきた。


    激しく砲撃を交わす「SIESTA」と「阿武隈」

    一方的だが激しい海戦は約10分続いた。事前に決めていた戦闘終了時間だ。「SIESTA」から、「ここまでにしよう」と声かががる。戦いは「阿武隈」の惨敗。圧勝した「SIESTA」は「阿武隈」を先導して保田漁港に入港した。

    保田沖海戦2~「阿武隈」奮戦す

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力2(阿武隈独自基準)

    (twitterが発端の「海戦ごっこ」が保田沖で勃発! 湾マリ水軍「SIESTA」と三浦水軍「阿武隈」は、敵の奇襲を警戒しつつ、じりじりと射程距離に近づいていった。撃つか!撃たれるか!)

    「いまにも撃ってくるかも!」と緊張が最高潮に達したときっ、「SIESTA」の全員が手を振ってきた。こちらも手を振って応える。

    終始「紳士的」だった「SIESTA」

     「すぐにいいぃ!始めますかあああぁぁぁっ!」「次にいいぃぃぃ!ミートするタイミングでえええぇぇ!始めましょおおおおおぉぉぉ!」

    ということで、両艦はそのまますれ違い離れていく。「阿武隈」は反転して「SIESTA」の風上を取るべく南西に向かう……はずが、メインセイルだけの「阿武隈」は、ゆるゆると西に向かうばかりで風上に全然上がれない。一方、「SIESTA」は軽々とタックを返し、右舷開きで「阿武隈」の風上から向かってくる。

    うわわわ、風上から来るぞおおぉ!

    水鉄砲の射程は6~8メートル。陸上で遊ぶなら十分でも海上で撃ち合うには短い。なので、互いにギリギリまで引き付けて砲門を開くことになる。

    「シエスタ」がじわりじわりと近づいてくる。帆船小説で戦闘直前の場面でよくあるようなシーンが、現実に展開している。それゆえ、「くるぞおおおおぉぉぉ! 引き付けて、よく、ねらえええぇぇぇ!」と船長は一人で興奮していたりする。

    くるぞおおおおぉぉぉ! 引き付けて、よく、ねらえええぇぇぇ!

    いったん接近すれば、反航してすれ違いさまに撃ち合うので、砲撃できるタイミングはわずかしかない。両艦とも、水鉄砲を構えた砲手に手を伸ばせば届くほどに接近した。

    「かまえぇぇぇぇー!てーっ!!」

    帆船小説なら“雷鳴が轟くような”どっこーん!という効果音が入るところだが、そこは水鉄砲なので「プシュー」という音と共に、互いの船から水流が飛び交う。

    左砲戦!各自、狙い定まり次第、撃ち方始めっ!

    が!

    風上から撃ってくる「SIESTA」の水流は風にのって「阿武隈」の乗員に次々と命中するのに、「阿武隈」の水流は風に押し返されて有効弾にならない。しかも、「シエスタ」の水鉄砲は「阿武隈」のそれよりひと回り大きいようだ。
    くあーっ。

    風上をとった「SIESTA」の砲撃は次々と命中する一方、「阿武隈」の水流は風に押し返される

    保田沖海戦~敵艦みゆ

    8月21日 土曜 晴れ 南の風 風力1~3

    Twitterで局地的に盛り上がった「海戦ごっこ」が現実になった。敵は東京湾マリーナの「SIESTA」(YAMAHA 30S)。保田漁港を目指す「SIESTA」は、0600に東京湾マリーナを出撃。その後、順調に南下する「SIESTA」はTwitterで現在位置を逐次報告してくる。

    迎え撃つ三浦水軍は「阿武隈」が単独で迎撃すべく、乗員5名(掌砲手2名、掌帆手1名、船長兼操舵手1名、報道班員1名)全員がそろった1130、宮川湾を出撃した。天候晴朗、南の風わずか。ゼノアとフルメインをあげた機帆走で保田沖に急ぐ。

    保田沖を目指して進むこと1時間半、1300には内房沖を遊弋する小帆船多数あり。戦闘開始まもなくと戦闘準備に入る。砲手に水鉄砲を手渡し、装填手はバケツに海水を汲む。そして報道班員は防水映写機を回し始め、船長は旗印代わりの日章旗と「N」旗を掲げた。最後に命中判定用のカラーTシャツを「桜印の救命胴衣」の上から着用する。

    左舷11時の方向にメインセイルだけを掲げて接近してくる小帆船を発見。もしや「SIESTA」と総員戦闘配置で警戒しつつ「阿武隈」も接敵を開始。



    11時の方向に敵艦らしきもの見ゆ!

    敵艦と思われる小帆船は西に進みながら「阿武隈」船首を左舷から右舷にゆっくりと横切り、南から吹く風を左舷開きで真横に受けながら、東に進む「阿武隈」の右舷前方に迫ってくる。この時点で、すでに「阿武隈」は風上を取られていた。

    ほどなく、甲板の乗員がカラーTシャツとライフジャケットに身を固めているのが目視できた。「SIESTA」だ!すれ違いざまに奇襲をかけてくるかもしれない!敵が撃ってきたら即座に反撃すべく、「阿武隈」は水鉄砲2門の照準をシエスタに向けつつ接近していく。

    いよいよ、互いの顔がはっきりと見える距離まで迫った。すでに射程距離だ。反航しているので、砲撃できるタイミングはわずかしかない。「SIESTA」は撃ってくるのか? 
    「SIESTA」がじりじりと近づいてきた。すでに射程圏内

    ゲスト来船なれど出港できず

    8月15日 日曜 晴れ 南西の風15メートル(剱埼灯台観測値)

    「阿武隈」にゲスト来船。横浜駅に1000集合。1100三浦海岸駅下車。京急ストアで食料とソフトドリンク(一人当たり2リットル)を調達してタクシーでMMFに向かう。運転手によると、三崎口駅からでは全く身動きできないそうだ。

    1200「阿武隈」上船。晴れているが風が強く出港できないとゲストに伝える。晴れているだけに(そして、港ではさほど風が強く感じられないだけに)非常に残念とのこと。

    ギャレーで塩漬け豚肉のソテー、塩ゆでのブロッコリー、スパゲティーのトマト和えをこさえて昼食にする。「こんなシンプルな料理は初めてみた」とはゲストのコメント。

    切れて「PrincessBayII」の船長に応急していただいたスターンラインを張り直す。切れたロープを修復してバックアップのためにミジップラインとして使う、が、太すぎてクリートにうまくとめられない。交換した「PrincessBayII」のロープを戻す。ありがとうございました。本当に助かりました。

    舷側に生えてしまった海草とフジツボをボートフックでかき落とす。フジツボの残骸をついばもうとして、小魚が群れをなして集まってきた。

    エンジンを回してスクリューについた貝類を吹き飛ばす。ビルジも処分。切れていたポータブルトイレの消臭分解液を補充。ボトルで購入してきたので頻繁に使ってもしばらくは持つだろう。

    本来のヘッドの上に設置したポータブルヘッドを使うときに使用する踏み台代わりの「風呂いす」を試す。これならズボンを下げた状態でもポータブルヘッドに座れる。

    タブレットPC「Viliv 5」にシリアルUSBアダプタのドライバを入れてAISと接続、ハイパーターミナルで通信を確認。ためしにインストールから日が経ってフリーバージョンになってしまったSoftware On Boardを起動すると、おろろ、AISで受信した本船データがアイコンになって表示されるぞ。これでいいのか。

    1700下船。宮川町からバス停から三浦海岸駅に向かう。

    夏の帆走は夕暮れがいい

    8月1日 日曜 晴れ 南南東の風 風力1のち3(阿武隈独自基準)

    長期合宿に出撃する家族を見送ってから自宅を出発。モトラのテールランプ不具合が解決せず、夜間走行を避けるため電車バスで向かう。

    1300、阿武隈上船。風はほとんどないが南の風が顔を撫でていく。この時期は夕方に向けて風が上がってくる。その風を期待して1400出港。

    南の風が緩やかに入ってくる。ゼノアとフルメインの組み合わせで帆走開始。テルテールで風をとらえて、クローズホールドで南下する。ようやく舵が効くだけの速度だったのが少しずつ風が上がって船足も上がっていく。

    栄町の生協で購入した丸パンとバナナを食べながら微風の帆走を楽しむ。昼過ぎの出港で暑い盛りだったが、半袖上下の下に化繊長袖のアンダー上下を重ねて日焼けと体力消耗を防ぐ。微風だったが風が涼しい。

    1440、反転して北上を開始する。午後になってもなかなか風が吹いてこなかったが、1530を過ぎるあたりからようやく上がってきて快適な帆走になった。風は東に回ってほぼアビームで風を受ける。

    1700、ほとんどの人が去って静かになったMMFに帰港する。夕暮れ直前で日が翳ってきた中を解装。1800、下船。きょうの航海で消費した飲料はスポーツドリンク1リットル、麦茶0.5リットル。サイダー350ミリリットル。それでも足りず、帰り道、アイス2本を食べ食べ帰った。

    燃料調達で手間取る

    7月19日 祝日 晴れ 南の風11メートル(剱埼灯台観測値)

    日の出とともに出撃するつもりが、自宅発1100。最近異様に朝が弱い。燃料漏れを直したモトラを駆って港に向かう。途中、岩堂山近くのピークで眼下の太平洋を眺める。遠くに見える大島を乗り越えようと盛り上がる雲の群れが白く輝いていた。



    1330、MMf到着。やや強めの南風が吹く。すぐにも出港したいが、懸案の燃料調達を優先する。MMFは燃料補給施設を持たず、ガススタンドに電話をかけて軽ローリーに来てもらうか、三崎港の軽タンカーに接舷して購入することになる。が、どちらも価格が高い。それゆえ、多くの係留艇は街のガススタンドで軽油を購入する。船を持つ代わりに車を持たない「阿武隈」は、モトラが稼働するようになって、ようやく街のガススタンドで調達できるようになった(移動手段にモトラを選んだ理由も「積載能力に優れた原付だから」だった)。

    「阿武隈」の増槽は20リッターポリタンクと20リッター金属タンクが1基ずつ。その金属タンクが錆びだらけでもう限界だ。これを廃棄して新たにポリタンクを調達することにする。ところが、三崎界隈でポリタンクを購入できる店が見つからない。ガススタンドで買えるが1050円するという。んー。ポリタンクは自宅近くのホームセンターで購入しよう。

    船内タンクと増槽1基を満タンにしただけで、もう、16時になってしまった。モトラのテールランプが点灯しないことに気付いたので、日没前に帰宅しないといけない。なので、1630下船。甲板でタコを茹でて盛り上がっている「YeeHAW!」のメンバーに挨拶して、MMFを後にする。

    モトラで自宅とMMFを往復すると、その距離120キロ。片道2時間から2時間半ほどかかる。燃料代は往復で380円(さすが、カブエンジン)。電車バスの往復交通費2000~2500円に比べたら経費節減の効果は絶大なり。しかし、自宅についたら疲労困憊で動けなかった。おしりと腰も猛烈に痛い。前はそんなことなかったんだがなー。

    港で足をくじく

    7月11日 曇り時々雨。南の風やや強く。

    とある事情で、「強風下の雨中帆走」をすることになった。予報によると日曜の昼に雨が降る。風もぐんと吹くそうだ。というわけで、日曜昼前に港に到着。6月の後半から所用と強風で出港できていなかったので、ヤル気満々で丸よしの前を歩いていたら、右足をくじいた。

    シングルハンドで強風下の帆走、となると足元に不安を残しておきたくない。いろいろしがらみもあって迷うところだが、安全をとって出港せず。

    エンジンのビルジを処理して、3週間回していなかったスクリューを回して、雨降るMMFをいろいろ撮影して、1500、いつもより早く下船。

    帰りに横須賀でも寄ってみようかとも思ったが、京急で爆睡してそのまま帰宅した。足の痛みは時間がたつほどに増した。

    南西の風で港に籠る

    6月19日 土曜 曇り 南西の風17メートル(剱埼灯台観測値)

    日曜に所用が入って土曜日に港に行く。強い風が吹いて帆走には申し分なさそうだが、南西の風が吹き続くようなので、港口の波が気になる。

    MMF到着。管理棟前の岸壁から港口を偵察する。両側の防波堤に波が激しく打ち付けているが、港口の航路に白く崩れる波はない。だが、海面が大きく盛り上がって重そうな塊となって港内に侵入してくる。航路中央に大きな藻の塊が滞留。出港するかどうか判断に迷うところ。すでに、一隻のセイリングクルーザーが出港している。

    管理棟にいた漁船の船頭さんと話をする。MMF、というか宮川漁港港口の防波堤は外に広く開いた「ハ」の字になっているので、中央に開いた航路に海水が集中してしまうとのこと。「大きな藻の固まりがペラに絡まったらえらいことになるね」というアドバイスを聞いて出港をやめる。その海をよく知る経験者の助言は信頼できる。

    「阿武隈」上船。残っていたスパゲティを全部ゆでて昼食にする。味付けは塩だけ。腹が膨れたのでバースに横たわって昼寝。気が付いたら2時間も熟睡していた。そのまま、なにもせずにごろごろと過ごす。

    1700、下船。終始曇って薄暗く、南西の風は強いままだった。が、帰る間際に雲の間から太陽が銅色に輝いた。きょうはなにもしない、いい一日だった。

    梅雨入り前の海を帆走する

    6月13日 日曜 曇り 南の風 風力4(阿武隈独自基準)

    予報では、土曜日は晴れるが風が弱く、日曜日は雨が降るが風が吹く。風を取って日曜にMMFへ向かった。

    1230、「阿武隈」上船。南の風がほどよく吹いている。雨はまだ降らず、日が射してきた。ヘッドセイルにジブを選んで艤装。Bluetooth GPSとX02HTに導入した航海ソフト「Pathaway」でリンクを設定するがうまく行かず。時間が惜しいので1345、出港する。

    1400、ジブとフルメインの組み合わせで帆走開始。南の風を受けて間切って南下したのち、アビームで城ヶ島沖を西に進む。三浦半島を北上するか南西沖ブイを目指すか迷ったが、沖にズンズン出たかったので針路そのままで南西沖ブイに舳先を向ける。

    太陽が時折射す。風は強いが湿って重い。服装は上が化繊の長袖アンダーに木綿の半袖ポロシャツを重ねる。下はMUSTOのトラウザーをはく。これで寒くもなく暑くもなく。

    1500、南西沖ブイに到達。反転して東に進む。浪高く、バンチングを避けるため浪を斜めに割きながら進む。だんだんと雲が厚くなるが雨は降らない。海の色は黒々としているが波頭が白く崩れる寸前に青黒く光る。

    1700、MMF帰港。解装して1800、下船。増設タンクの軽油がなくなった。船内燃料タンクも残り少ない。

    なんとか家に着くまで雨が降らずにすんだ。翌日の月曜に関東も梅雨入りした。